第3話 神官スリオラ
孝太郎の脳が、再びその機能を取り戻したのは翌朝のことだった。
「これが、知らない天井ってやつか」
定番の台詞を自分が体験するハメになるとは思わなかったというのが、孝太郎の正直な感想である。
実際に見覚えのない天井であり、記憶の最後は街へ向かう馬車の中だ。
「あ、孝太郎様気がつかれましたか?」
天井を眺める視界を覗き込んだのは、創造の槌のメンバーである神官のスリオラだ。
そこは、カフェルの街にある神殿の治療院だった。
孝太郎が意識を失ったあと、創造の槌のメンバーにより運び込まれたのだ。
意識が戻ったとはいえ、全身の痛みは未だ引いていない。
痛みを堪えながらも日常生活が送れるようになるまで3日かかった。
スリオラの献身的な介護もあり、入院生活に不自由はなかったっが、大事をとるというスリオラの方針により、更に3日間ベッドの上での生活を余儀なくされた。
入院中はとにかく暇である。
それを判ってか、スリオラは暇を見つけては孝太郎のもとを訪れ、話し相手になっていた。
しかし、孝太郎とスリオラに共通の話題が多くある訳もない。
途中からは、スリオラの話を一方的に聞く孝太郎の姿があった。
たとえば、この世界のお金について。
貝貨1枚で1シズ 貝貨10枚で銅貨1枚分の価値
銅貨1枚で10シズ 銅貨10枚で銀貨1枚分の価値
銀貨1枚で1コル 銀貨100枚で金貨1枚分の価値
金貨1枚で100コル 金貨10枚で白金貨1枚分の価値
白金貨1枚で1000コル 白金貨10枚で白金板1枚分の価値
白金版1枚で1万コル 白金版10枚で霊銀板1枚分の価値
霊銀板1枚で10万コル
貝貨というのは、大きな貝をコイン状に削りだしたもので、その材料となるのがシズ貝という名で、お金の単位の元となっている。
貝が材料であれば、自分で貨幣が造れるのではないかという懸念もあるが、シズ貝は、武具にもの使われるくらいに堅い貝であるのと同時に、貨幣としての価値が最低なこともあって、削って貨幣を造る労力を考えれば他の仕事をした方が稼げるのだ。
銀貨以上のコルという単位は、そのまま「銀貨何枚分の価値」という意味で、商人同士の大口の取引や、耐久消費材の価格などで使われている。
銀貨の価値は高く、1枚で4人家族が1月暮らせる目安となる。
庶民の日々の生活では、銅貨と貝貨で事足りるので、金貨以上を目にすることは少ない。
金貨が10枚もあれば、賑やかな通り沿いに家を構えることができるだろう。
白金貨以上の貨幣は、主に国同士の取引に使われていて、一般には出回っていない。
まちがっても庶民が目にすることはない程の希少性だ。
たとえば、この世界の暦について。
1週間は8日で、太陽の日、大月の日、小月の日、火の日、水の日、地の日、風の日、竜の日の八つの曜日がある。
この世界には月が二つあって、大月と小月と呼ばれている。
小月の公転周期は25日で、これが一月となっている。
大月の公転周期はずっと遅く、その日数は325日で、これが一年とされる。
たとえば、この世界の信仰について。
この世界は、大半が多神教だ。
多くの人が主神とそれ以外に自分と関わりの深い副神を崇めている。
主神は、輝竜神と呼ばれる実在する竜の神を崇めているが大半である。
スリオラの信仰を捧げる相手も輝竜神で、孝太郎が入院している治療院も輝竜神の神殿の一部として造られたものだ。
最近は、聖女神教という宗教も広がりを見せているが、これも輝竜神の人化した時の姿を聖女神として信仰しているのだという。
副神は、顕現したという事実のない神が殆どだが、亜神と呼ばれる神に近い存在も在る。
たとえば、この世界の成り立ちについて。
ここカフェルの街は、中央大陸ミドラスの北西部を占めるロードリア王国の一都市
王都メルキスまでは、馬で2週間(16日)かかる。
中間地点に商都ベルトアがある。
商都ベルトアまでは、馬で1週間(8日)
中央大陸ミドラスには、ロードリア王国の他に、大陸南部を占める聖エルミナ帝国、北東部を占めるメルトリア王国、二つの国がある。
三国の中心には、輝竜神様信仰の総本山である聖ドレア神殿領がある。
中央大陸ミドラスの他に四つの大陸があり、それぞれ「光の大陸メルデ」「智の大陸パリエス」「戦乱大陸アルザス」「冥黒大陸ノヴェラ」と呼ばれている。
こうして、孝太郎はこの6日間で、必要最低限の、この世界の一般常識を身につける結果となった。
7日目の朝には、日常生活を送ることに支障がないレベルまで回復した。
「もう大丈夫でしょう。退院してもかまいませんよ」
「ありがとうございました。それで、ご存じかと思うのですが……」
「はい?」
孝太郎が言い淀むが、スリオラは見当が付かないといった様子だ。
「す、すいません。文無しでお代をお支払いできません!」
孝太郎はそういうと、土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。
スリオラはその様子に驚いたように答える。
「いえ、ご心配には及びません。神殿の治療院は基本的に無料ですので」
「そうですか、よかった」
「しかしながら、お金に余裕のある方にはお布施として幾らか納めていただいております」
「あ、じゃあ、お金を手に入れたら払いに来ますよ」
「いえ、できれば……」
今度は、スリオラが言い淀んだ。
「い、今お持ちのモノでお支払いいただきたいのです」
「え?」
「神官の職にある私から、このような事を申し上げるのは心苦しいのですが」
今持っているモノで支払うという言葉に、仄かな期待を持った孝太郎を誰も責められまい。
「武威に優れる孝太郎様には、神殿に何かあった時に、そのお力をお貸し願いたいのです」
「そういうことか」
僅かな落胆を顔には出さず、孝太郎は考えていた。
引き受けないに越したことはない。
しかし、一文無しの身としては無下に断るのも気が引けた。
宗教と色恋が絡んだ依頼や約束は、面倒な事になることが多い。
それもあって、孝太郎に「やる気」が湧いてこない。
逡巡の後、孝太郎は笑顔で答えた。
「わかりました。何かあった時は力にならせてもらいます」
「ああ、ありがとうございます」
孝太郎はこう考えることにした。
神殿に力を貸すのではなく、この世で一番親しい女性、しかも美人の職場で何かあった時の助勢を頼まれた。
断る理由もないし、やる気も湧いてくる。
何かあった時が何時になるかは解らないが、その時にスリオラ側に立つのは問題ないと考えることにしたのだった。
「それでは、お世話になりました」
そう言って、治療院を出ようとする孝太郎をスリオラが呼び止めた。
「そうでした、孝太郎様。先日、お手伝いいただきました件の報酬と素材などの取り分を鍛冶屋のボクソンに預けてありますので、受け取りに行ってくださいね」
「あ、ああ。わかりました」
取り分をスリオラが持っていない事と、助力の約束の後に思い出したかのように伝えることといい、偶然ではない策めいたものを感じる孝太郎であった。
女性は強かだ。
それはむこうもこちらも変わらない、今以上に女性には注意しようと孝太郎は心に誓のだった。




