第1話 見知らぬ風景
「夏休み中は東京にいないんだ。せっかく誘ってくれたのに悪かったね。それじゃ」
真田孝太郎は、同じクラスの女子からの海への誘いを、にべもなく断ると、通話を終えたスマートフォンの電源すらも切った。
「まったく、何の因果で健全な男子高校生が女子からの海への誘いを断らなきゃならないんだってーの」
孝太郎は、自らの境遇を嘆いた。
都内の高校に通う幸太郎は『とある事情』により、夏休みを利用してN県の山中で忍者としての修行中であった。
その修行は、彼がまだ幼い頃から始められており、中学から高校へと年齢を重ねるに連れ、より高度に、より実戦的になっていった。
そして通算八回目となる夏休み恒例の山籠もりは、投げる得物が「飛礫」から「苦無」に変わった以外にさしたる変化もないまま、その期間の半分が過ぎようとしていた。
幼い頃から忍者の修行に明け暮れ、同年代の子供と遊ぶ暇も与えられず、高校生となった今では、同年代に比べ体力的に隔絶としか言いようのない、差が生まれている。
自由になる時間は、真夜中近くの就寝前の時間だけ、そんな彼が、ネットやゲーム、ラノベなどに精神の安定を求めたのも無理からぬことだったのかもしれない。
有り体に言えば、真田孝太郎は、驚異的な身体能力を持つボッチヲタクとなっていた。
午前の日課としてのロードワークと苦無の投擲練習を兼ねた狩りに行こうとしたところへ、何も考えていなそうなクラスメイトの女子からの電話が入ったのであった。
「さてと、気を取り直して朝のロードワーク行きますかぁ」
孝太郎は、簡単に柔軟体操を済ませると、舗装などされているはずもない山道を走り始めた。
山道を15キロメートルが一応、朝のロードワークである。
孝太郎が、山道を走り始めると、それに並走する影が現れた。
「おはよう、犬神様。今日もよろしくな」
その影は犬。
孝太郎が宿にしている山小屋の近くに神社があった。
犬神神社という名の神社で、比較的大きめの神社だが、宮司などがいるでもなく、ごく普通の山の中にある神社である。
その神社には、一匹の犬が住み着いていた。
夏休み恒例の山篭りをはじめた頃からの付き合いになるから、小学4年からの付き合いになる。
その犬を孝太郎は犬神神社に住む犬であることから犬神様と呼んでいた。
体毛は濃い茶色で所々に黒っぽい斑のような模様があるその犬は、年齢的には既に老犬の域であろうが、風格の様なものも感じさせる。
ひょっとすると狼の血が入っているのかもしれない。
その犬神様と山野を駆け回り食材を探すのが孝太郎のロードワークだ。
午前中で距離にして約15キロぐらいが、ロードワークの大凡の目安ではあるが、飯のおかずになりそうな物を見つけた時は、その限りではない。
特に、動物性蛋白質の場合は直ぐさま狩りとなるため、一日に走る距離は日によってバラバラである。
孝太郎に併走していた犬神様は、突然動きを止めた。
大きくジャンプして着地すると遠吠えを始める。
犬神様が吠えることは滅多になく、8年の付き合いの中で吠える声を聞いた数は両手に余る。
遠吠えともなると初めてのことだった。
「どうした。犬神様」
見たこともない犬神様の行動に、何か危険な動物でも近づいているのかもしれないと孝太郎は身構える。
しかし、周囲を探ってもそれらしい気配はない。
犬神様の身体が光っていた。
「え?」
見る間に犬神様の身体はその輝きを増し、孝太郎をも飲み込む。
犬神様の輝きによって一瞬奪われた視力が回復すると、周囲の風景は一変していた。
かなり広い洞窟の中らしき所にいる。
位置的に犬神様がいたあたりには、犬神様のゆうに三倍はあろうかという光り輝く巨大犬がいる。
さらに、背後には剣や鎧で武装した集団がいて、目の前には四本腕の巨大なゴリラがいる。
そして、孝太郎自身も巨大犬と同様に光り輝いていた。
「もう、どっからツッこんでいいのかわかんねーよっ!」
突っ込みどころ満載の状況にあっても、瞬間的に感じとった戦場に居るという感覚は、彼の中に蓄積された修行の成果だったかもしれない。
周囲の状況を再度確認する。
四本腕のゴリラは敵だろう。敵でなくとも危険度は高い。
光る巨大犬は四本腕と同様に危険度は高い。
背後の武装集団は不明だが、中立はありえまい。
背後を取られている位置関係からしてこちらも脅威度は高い。
四本腕と武装集団の関係は、敵対ならいいが、そうでない場合に挟撃となるこの位置関係はあまりにまずい。
そう判断した孝太郎は、左に大きく跳躍し、着地と同時に両手に飛苦無を構える。
が、同時に更なる混乱の種を拾ってしまう。
着地点の大きなズレだ。
孝太郎は、自身の跳躍のイメージからかけ離れた跳躍の高さと、それによって稼がれた距離により戦場の中心から一気に外縁へと逃れていた。
これにより、四本腕と武装集団をほぼ、前面に捉えている。
正面に巨大犬、右手に武装集団、左手に四本腕だ。
「さて、ここらかどうしたものか」
孝太郎が次の一手を考える間に状況が動いた。
右手の武装集団の一人が声をあげる。
「エルダーフェンリルよ!古の契約に基づき彼の敵を討ちませい!!」
それに呼応するように巨大犬が長く吼える。
その咆哮の効果か、武装集団の周りは光るドームに覆われた。
怪我人がいるらしく、光のドームの中の武装集団の一部で応急処置が始まった。
武装集団の脅威度はなくなったが、状態からして戦力としては期待もできなくなった。
孝太郎の脳内では、修行の成果か、はたまた趣味により鍛えられたゲーム脳の成せる技か、勝利条件が明確に浮かび上がる。
巨大犬は低く唸ると、四本腕にとびかかった。
四本腕は、その四本の腕に石でできた棍棒を握っている。
その頭部と身体は鎧と呼ぶよりは装飾品と呼んだ方がいいであろう金色の鎖を
土台とした様々な宝石が散りばめられた金色の小さな板の集合体で飾られている。
防御力は低そうであるが、鎧として四本腕の動きを阻害することもないだろう。
とびかかった巨大犬を四本腕の右上の腕が迎撃するが、巨大犬は予測していたかのように空中で身体を捻り、四本腕の左肩口の肉をその牙で抉って着地する。
四本腕は。その着地点をめがけて振り向きざまに右下腕の棍棒を振り下ろす。
しかし、既にそこに巨大犬の姿はなく、棍棒は洞窟の地面を激しく叩く。
破砕音が響く中、巨大犬は四本腕の首にその牙を立てようと再度跳躍していた。
しかし、四本腕の左上腕により防がれ、爪により腕に浅い傷を着けるにとどまる。
孝太郎は、陽動に動こうとおもったが、両者の攻撃の速度から即席の連携はかえって巨大犬の邪魔になりかねないと考え、四本腕の視界の端に入るように移動する。
注意力を分散させ、僅かでも隙を作るためである。
エルダーフェンリルの跳躍と四本腕の迎撃が続き、四本腕の上半身には少なくない傷が生まれている。
そこからの出血もかなりの量だ。
このまま削りきれるかと思ったその時、四本腕は腕を大きく広げ咆哮を上げた。
四本腕の毛に覆われていない皮膚が赤く染まる。
再び四本腕の棍棒が振るわれる。
(速いっ!)
四本腕の棍棒を振るう速度が格段に上がっている。
巨大犬ははサイドステップでそれを躱す。
しかし、四本腕の棍棒が地面を叩くと、爆砕音と共に地面に窪みを穿ち、その破片が鋭利な飛礫となって巨大犬を追撃した。
(威力も上がってるか!)
攻守は完全に入れ替わっていた。
四本腕の攻撃を躱しながらも、果敢に攻撃を続ける巨大犬あったが、その牙は四本腕に届かなくなっていた。
その間に四本腕の攻撃は地面を破砕し、その破片は巨大犬に小さいながらも多くの傷を負わせていた。
「このままではジリ貧か」
孝太郎は何とか隙を作ってやりたいが、四本腕はそのひとつの腕を常に孝太郎へと向けており、迂闊には仕掛けられない。
逆を言えば、孝太郎が一つの腕を牽制により拘束しているからこそ、巨大犬と四本腕が拮抗しているとも言える。
孝太郎の呟きどおり、その拮抗は長くはもたなかった。
遂に、四本腕の攻撃に巨大犬が捉えられてしまう。
右上腕の横薙ぎの一撃が巨大犬の胴体を捉え、巨大犬は洞窟の壁へと飛ばされる。
「まずいっ!」
孝太郎は、四本腕の首の後ろを狙って右手に持つ飛苦無を放つ。
しかし、放たれた飛飛苦は、振り返る四本腕の頭部の装飾品を掠めて、岩壁に刺さって止まった。
「ち、投擲もずれてるか」
狙った場所から大きく上方にずれた着弾点のもたらす情報から、重力の低下か自分の身体能力の向上だと当たりをつける。
傷を負わせることは叶わなかったが、陽動としての効果は十分だった。
巨大犬はその隙に態勢を整えると、四本腕の頭上を越えて跳躍し、孝太郎の傍に着地する。
一瞬、巨大犬と孝太郎の視線が交差し、巨大犬は咆哮をあげる。
その咆哮には特殊な効果があったのか、四本腕は追撃のために振り上げた腕を振り下ろせずに固まっていた。
この大きな隙を逃す孝太郎ではなかった。
上体の急所へ残りの四本の飛苦無を十字投げで一気に放つ。
もちろん先程のズレの分は修正済みだ。
放たれた飛苦無は、狙いをたがわず急所へと命中する。
眉間、人中、喉、それに左目に命中した飛苦無は柄の半分まで四本腕の達していた。
四本腕は腕を振り上げたまま、ゆっくりと後ろに倒れ、一度大きくビクリと痙攣して動かなくなった。
「やったか?」
動かなくなった四本腕の上に乗り飛苦無に回収しながら、確実に死んだことを確認する。
「どうやら擬態などではないようだな」
得物を回収し、四本腕が確実に死んだことを確認した孝太郎は巨大犬に近づき声をかける。
「犬神様なのか?」
巨大犬は、べろりと孝太郎の頬を舐めると、そのまま半透明になって消えた。




