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風花  作者: 日向あおい(妹の方)
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6.春じゃないのに

 

 不意に風向きが変わった。風に乗って、酒の匂いが漂ってきた。

「おい、早季。見つけたぜ」

 赤茶色い髪を風に靡かせて姿を現せたのは、先見だった。後ろに風通いもいる。

「見つけたか」

「あっちだ」

「夢月、行くよ」

 どうやら、この先見と風通いは早季の式であって、この時代の彼らではないようだ。

 ゆずるも彼らを呼べば、彼らそっくりな彼ら自身がやって来るのだろうか?

 疑問を感じながら、直久とゆずるも二人の後を追った。

 先見の軽やかな足が止まったのは、中庭。

 この地に九堂の家が建てられた時に植えられたという、樹齢何百年という桜の木が佇んでいる。

 さぁー、と風が吹き抜けた。桜の花びらが舞う。

 ――真冬に?

 驚いて見上げれば、桜の木は満開に花が咲き乱れていた。

 ――春じゃないのに。

 これは夢なのだと思い直す。それも夢魔が入り込んだ夢だ。  

「直、桜を見つめるな。あんな禍々しいものを」

「ああ」

 禍々しい。その言葉は正しい。ピンク色の花びらを連れた生暖かい風は、淀んだ気配を漂わせている。

 悪魔の気配。記憶のある気配だ。

「パノン、出てこい! いるんだろう、そこに!」

 早季が声を張り上げた時、桜の木の幹が不自然に盛り上がった。まるで瘤ができたように。

 瘤は見る見るうちに大きく膨れ上がり、人型を取った。ニッと笑う。笑った口は耳まで裂け、幹の色から朱へと変わった。そして、次の瞬間、すべてに色が変わる。

 幹から離れ、空を飛んだそれの肌は、異様に白い。先が二股になっているとんがり帽は、紫。

 継ぎ接ぎだらけの派手な服は、ギラギラと金色がかった色で光っている。 ぶかぶか過ぎる青いズボンに、爪先が上を向いた黄色い靴。

 狂気のピエロ。――パノンだ。

「お久し振り、九堂家の方々」

「お前の企みは外れた。お前はこの夢で、その存在を完全に消すことになる」

 早季だけではなく、ゆずるまでも相手に戦わなければならないパノンは、確かにしくじったとしか言いようがない。そのことをパノンも承知しているようで、夢魔は醜い笑みを浮かべた。

「君たちまで、この時代にやって来るとはね。確かに予定外だったよ。――もっとも僕は、もう少し前の時間にやってくるはずだったんだ。あの春のあの時、そちらの九狼殿と初めてお会いした時に」

 早季から視線をゆずるに移した。

「あの時に殺しておくべきだったと思い直してね。殺しに来たのさ。――だけど、ズレが生じて、ここに来てしまった。ズレは君のせいだ。君までもが時空の穴に飛び込んできたからだ」

 あれは僕専用の穴だったのにさ、とパノンを自嘲の笑みを浮かべた。

「あの時だったら、そこのそいつもまだ力がない状態だったし、九狼殿はまだ次代と呼ばれ、手持ちの妖狼も五匹しかいなかった。あの時だったら、殺せたはずだった。――それをよくも」

 ギロリと、パノンの目が大きく見開かれ、早季を睨み付けた。  

「何もかもお前のせいだ!」

 ドスッ。重みのある物が勢いよく落ちてくる気配がして、咄嗟にゆずるを突き飛ばし、共に地面に転がってから、それを確かめた。斧が突き刺さっていた。

 ――そう言えば、このピエロ、笑いながら斧を振り回してくるんだっけ。

 めぐるめく思い出に浸ってみたが、そうそう暢気なこともしていられない。急いで起き上がって、パノンを振り返った。

 早季が火刈りを呼び、炎の玉をパノンに放った。その間に、ゆずるは迷い土を呼び、空を逃げるパノンを地に拘束する。爪先が上を向いた黄色い靴が、見る見るうちに泥沼に沈んでいく。

「ちくしょう」

 こんなハズではなかった、とパノンが呻く。

 この時代でゆずるを喰らえば、自身の力は増幅する上、己を倒す程の力を持つ早季は生まれてこない。

 完璧だった。

 ずっと九堂家の者の血肉を喰うことだけを考えてきた。喰らえば、より強い力を得られるからだ。

 だが、更に、より強い力を得るには、喰らう血肉の力もより強い方がいい。

 『九堂家の者』と一言で言っても、その時代によって力に多少の差があることに、パノンが気付いたのは、数百年前のことだ。

 ――もう少し強い力を持った者が現れるかもしれない。

 100年前、九堂家の次代を見て思った。だから、100年待ち、ゆずると出会った。

 ――もう少し。

 そう思ってしまったのが、間違いだった。ゆずるは今まで見てきた九堂家の者の中でも、かなり強い力を持っていた。 この血肉を喰らえばどのくらいの力を得られるのだろうかと想像して、震えがきたくらいだ。

 だが、予想以上の抵抗に遭い、気が削がれた。もう少し、と思ってしまったのも、それが原因だ。  

「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」

 早季に向かって斧を投げつける。己の欲に嫌気が差す。

 ――要は、待ちすぎたのだ。

 次にパノンの前に現れた『九堂家の者』は、パノンの力を越えていた。

 むちゃくちゃに両手を振り回し、次から次へと斧を放る。だが、早季とゆずるがそれぞれ風通いを呼び、その風で、すべての斧の軌道を変えてしまっている。ザクリ。ザクリ、と斧は地面を抉って転がった。

「先見、風通い、火刈り」

 ゆずるが同時に三人の名を呼び、大きく両手を振り上げ、振り下ろした。早季も片手を振り下ろす。

「朝霧、トドメだ!」

 三匹の狼が線のように駆け、パノンに襲いかかった。

 パノンは一匹目を避けた拍子に、二匹目によって掠り傷を負い、怯んだところ三匹目に肩を浅く抉られた。

 肩の痛みに顔を歪めると、それを見下ろすように、漆黒の長い髪を靡かせた青年が目の前に立っている。

 朝霧だ。彼は、ふっと不敵な笑みを零すと、その長い爪でパノンを頭のてっぺんから縦に引き裂いた。

 ザッ。 パノンに走った四本の縦線。

 地にできたひび割れのようなそれから、どくどくと、どす黒い液が流れ出てきた。これがこの悪魔の血なのだろう。

「ぐわぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っ」

 醜い悲鳴を上げて、パノンは顔面を抑え、のたうち回る。

 再び朝霧が爪を払う。パノンの右腕が跳んだ。払う。左足が跳んだ。

 左足でパノンの下半身を押さえ付け、右足で上半身を蹴り飛ばすと、ピエロの躰は二つに千切れた。

「朝霧、遊ぶなっ」

「徹底的にやらないと、悪魔は死なないぞ」

「お前が悪魔嫌いなだけだろう」

「そうとも言う」

 朝霧は早季に、ニッと笑った。その顔は直久の知っている朝霧とは比べものにならない程、穏やかで、優しい。

 朝霧は最後とばかりに右足を大きく振り上げ、パノンの胸に向かって振り下ろした。

 ズボッ。足は胸を貫通して、背中から飛び出した。だが、ぴくん、ぴくん、と二度痙攣した躰は、それでもまだ生きているようだった。

「さすが、これだけやっても悪魔は死なないな」

「封印するしかない」

「封印?」

「封じて、本家の蔵にしまい込むか、魔界に送り返すか」  

 ゆずるが提案すると、朝霧は早季に振り返った。

「どうする、早季?」

「また出てこられたら困る。魔界に送ったら、パノンの仲間の悪魔がいるかもしれない」

「そんな仲間がこいつにいるようには見えないが? ――なら、どうする? 蔵か?」

 基本的に、人間界に現れた異界のモノは、それがいるべき世界に返すというやり方を、ゆずるは取っている。特に霊に関する扱いは、徹底している。

 そして、相手がその土地古来の神であったり、妖だった場合、人に害を及ぼさないモノであれば、手を出さず、見て見ぬ振りをする。

 宥め、説き伏せ、その憂いを取り除いて、人の住処から距離を持って貰うこともある。その存在を完璧にまでも消してしまうようなことはしないものなのだ。

 ――だが、例外もある。言葉にまったく耳を貸さないモノは、神であっても妖であっても同じ、力でもって、その存在を消す。それは人を守る行為であると同時に、他の神や妖を守ることにも繋がっていた。

 この悪魔の場合もこれに等しい。

 大人しく魔界に帰るモノであったのならば、道を標して返すが、このピエロは今後何度でもこちらに渡ってくるだろう。その度に、この地を騒がす害となる。  

「夢月、頼む」

 早季は従妹に振り返り、夢月は、了解、と笑って瞳を輝かせた。爬虫類の瞳。黒々とした丸い瞳孔を大きく開く。

 次の瞬間、夢月の輪郭がぼやけ、溶けた。

 ――溶けた?

 驚いて目を見張る直久とゆずる。夢月の躰が変化していく。

「……蛇」

 思わず呟いたゆずるの言葉を、直久も声なく呟き返して、呆気に取られる。すでに夢月は人の姿をしていなかった。

 大蛇。――それは10メートルを超す長さの蛇だった。胴回りは1メートルくらい。 色は白。眩しいくらいに純白の大蛇だ。

「夢月」

 早季がパノンに向かって真っ直ぐに腕を伸ばすと、大蛇は大口を開けて、ピエロに飛び掛かった。

 ペロリ。一呑みだった。

 大蛇は満足そうに目をくりくりと瞬かせると、再びその輪郭をぼやけさせ、人の姿に戻った。

 夢月は腹をさすりながら、小さなゲップを一つ。

「あー。満腹〜」

「お腹、壊すなよ」

「分かんない。悪魔なんて初めて食べたし〜」

「ちょっと待て! マジかよっ! マジで喰ったのかよ!?」

 慌てる直久に、夢月はちょっと振り向いて、ニヤリとわざと歯を見せて笑う。

「美味しく頂きましたー。もうしばらくは食べなくても大丈夫なカンジィ〜」

「に、に、人間じゃねぇーっ」

「ひどい! 早季ちゃん、今の聞いた? あなたのお父さん、ちょっとひどくない?」

「てか、蛇に変身した時点で、すでに人じゃねぇーっ」

 今更な話だが、九堂家には何代にも渡って、妖怪の血が混ざっている。人間離れした力を持っているのもそのためである。

 だが、変身した一族の者を見たのは、直久にとってこれが初めてだった。しかも、悪魔を喰ったのだ。

 ――可愛い顔して、なんつーことを!

 双子のように早季と同じ顔をした夢月が、一瞬にして大蛇に変身してしまった光景は、後々まで悪夢として見てしまいそうだ。

「ゆずる、こういうのって、よくあることか? 他にも一族の中にいる?」

「お祖母様はイタチに変身すると聞いたことがある。けど、実際に見たことはないな。他には知らない」

 ゆずると直久の祖母は、イタチの妖怪を父親に持つのだ。夢月の変身を目の当たりにして、さすがのゆずるも驚いているようだ。響きの弱い声を出す。

「夢月の父親は数なんだよな? ――いったい、数は何と結婚したんだぁーっ」

「あはははは。そんなの決まってんじゃん。私の母さんは蛇だよん」

 よほど直久は動揺しているのだろう。夢月はケラケラ笑った。  

「私なんて可愛いもんだよ? 兄ちゃんや姉ちゃんなんて、もっと大きな蛇に変身するし、目から光線が出せるんだよ」

「人じゃねぇ……」

 どうやら、夢月には兄と姉がいるらしい。

 蛇兄妹の兄妹喧嘩は、さぞかし大量に血の雨が降ることだろう。想像してゾッとする。

 さてと、ゆずるは早季を振り返った。

「そろそろ目覚めるとしようか」

「はい」

 早季はゆずるの歩み寄ると、その額に片手を触れさせた。もう一方を直久に差し出す。

 直久が握ると、直久のもう一方の手を夢月が掴んだ。

 ――目を開いて。

 ゆずるの声の響きに似ていたが、早季の声だったのかもしれない。

 分からない。それはただ静かに響いて、徐々に小さく、やがて聞こえなくなった。


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