1.何でもアリな我が一族
『月読み』(http://ncode.syosetu.com/n6763d/)の続編です。
――こんなはずではなかった。
呻き声を上げながら、頭の片隅では逃げる裁断を巡らせていた。
――こんなことになるのならば、あの時、あの夢の中で、あのガキの息の根を止めておくのだった。
額に血の筋が伝う。目に滲み、余計に惨めな思いがした。
――なぜ、あの時!
本気で殺そうと思えばできたはずだ。
多少傷は負うかもしれない。だが、可能だった。
あの時、そうしていれば今頃、自分はこんなにも惨めな思いをしなくとも済んだはずだ。
目の前の少女は存在せず、あの時のあのガキの肉を喰らい、数百年分の自慢話のタネを作っているはずだった。
だが、どうしてこうも運命は狂ってしまったのだろう。
――それもこれもあのガキのせいだ!
やりきれない悔しさに視界がぼやけた時だった。自分に敵意を剥き出しにしていた少女の顔が驚愕する。
「待て! 逃げる気かっ!」
――逃げる?
己の背後を振り返って、嗤った。まだ自分にはこれ程に力が残されていたらしい。
空に飛び上がると、もう一度少女の顔を見下ろした。
ニタニタと笑う。愕然とする少女の表情が愉快で堪らなかった。
「お前を殺さずに、消してやる」
「何?!」
「あはははははははっ」
高く笑いながら、時空の穴に飛び込んだ。
▽▲
まったくもって愉快である。
直久はカラカラと音を立ててドアを引き開けると、職員室から出てきた。長い廊下を行く。
担任の天変地異を目前にしたかのような顔を思い出して、笑いが込み上げてきた。
くふっ、と息を漏らすと、背後から気味が悪いと声がかかった。
木村史宏。背の高い彼は、一見、『ひょろり』という擬音語が似合いそうな少年だ。
だが、つい数ヶ月前までバスケ部部長であった彼は意外にも『脱ぐとスゴイ』のである。
――いや、そんなことはともかく!
直久は木村に振り返り、ニッと歯を見せた。相手がいるのであれば、笑いを堪えなくとも不気味ではない。
「職員室に呼ばれたと聞いたから、さぞ、へこまされて出てくるかと思えば、ニマニマしながら出てくるし」
「説教を受けていたわけじゃねーもん。――お前は? 面談終わった?」
「終わった。終わった。――そっちは? 無事、カンニング疑惑は晴れた?」
「この顔を見れば分かるだろう?」
「信じらんねー」
木村は部活を引退してから、眼鏡をかけるようになった。今までも授業中だけはかけていたらしい。
眼鏡をかけると、ますます『ひょろり』という感じだ。
「いきなり成績上がったよなぁ、お前。誰だって疑いたくもなるよ。実際、俺も疑ったし」
「ひでー。ダチじゃん!」
「ひでーのは、お前。俺と同じくらいバカだと思っていたのに。いつの間に勉強していたんだよ。――てか、どういう勉強しているんだ?」
「んー」
どういうって……。
――正直に言おう! 勉強なんてもん、やっちゃぁーいません!
ただ、数ヶ月前、めでたく一族同様に人外パワーをゲットした俺は、テスト用紙を目の前にし、その問題をボケ〜っと眺めていると、答えが分かってしまうのだ。
数久に聞いたところ、テスト用紙には、その問題を作った先生の念が込められていて、念さえ感じ取れればそこから答えが読み取れてしまう……ということらしい。
白紙の回答欄にうっすら『ア』とか『イ』とか、具体的な数字が初めて浮かび見えた時は、マジで、びっくらたまげた。
危うく試験監督の先生に挙手して、回答欄に答えがすでに埋まっていると告げるところだった。
いや、手を上げていたかもしれない。数久がテレパシーで説明してくれなかったら。
あんまりにも正解率が高いと、それが直久の場合、今までが今までなので不審を抱かれてしまうというわけで、適当にわざと不正解を書いて、答案を提出した。
だが、今までの直久の成績は、直久自身が思っていたよりひどかったらしい。成績が急激に上がったということで、カンニング疑惑が浮上し、たった今、職員室にお呼ばれされてきたのだ。
数十分間の問答の結論は、直久は本当に数久と一卵性の双子だったのだ、ということに落ち着いた。
数久の成績が小学校時代からトップクラスだということは、中学校の職員室内でも有名で、むしろ今までその双子の兄の成績がどん底だということに疑問視されていたくらいだ。
丁度、部活動を引退した時期だったことが幸いした。
部活をやめて、受験勉強に集中しだしたおかげで成績が上がったのだろうという話になり、カンニングの疑惑が晴れると、とたん担任の口調は穏やかなものに、そして、誉め言葉を並べるものにガラリと変わった。
その変貌ぶりが滑稽で、また愉快だった。
「……それでさ。お前、どこ受けんの?」
高校のことである。12月も半ば。のんびり屋の生徒もさすがに志望校を決めなくてはならない時期になっている。
直久はわずかに上方を見やると、口を開いた。
「ゆずるや数と同じとこ。深沢先輩やいけべー先輩の高校」
「あそこ良いよなぁ。俺もそこにしようかなぁ」
「頭、たりんのかよ?」
「たりねーよ」
「俺もギリギリだ」
ギリギリどころか、実力では100%無理。
だけど、力を使えば、わけない。きっと受かるに違いないのだ。
「九堂と言えば、あいつの女装……じゃなくて、あの格好にも見慣れてきたよな」
生まれ落ちてからずっと男として生きてきたゆずるは、人生15年目にして急に女として生きることを決意したらしい。
床屋ではなく美容院で髪を切るようになってから、同じ短い髪なのに、急に少女らしくなるから不思議だ。
制服も、男子の物ではなく、女子の物を着ている。
つまり、スカートを穿いているのだ!
ゆずるを男だと信じて疑わなかった同級生たちは当然驚いたし、一時は町中が大騒ぎだった。
だが、見慣れてきたという木村の言葉は、皆の思いを代弁しているようだ。数ヶ月が経ち、ようやく落ち着いてきた感じがする。
「見慣れると、九堂って、可愛かったんだな。他の女子とは格違いに」
「そうだろ? 数と同じくらいに整った顔をしているけど、数より細っこいところがギュッとしたくなるカンジだろ?」
――あと、力が使えない時に、憂鬱そうにしている様子がめっちゃ可愛い。
普段、一人でも十分に強いから、直久に黙って人外イキモノの退治に行ってしまうけれど、満月が近付いてくると、直久の側にいてくれる。
守ってくれなんて意地でも言わない彼女は、何だかんだ側にいる理由を捜して、直久の手の届くところにいるのだ。
憂鬱そうな雰囲気と不本意そうな顔は初めだけ。直久が白い歯を見せて笑い、手を招くと、気まずそうに顔を顰め、照れたように俯いて、傍らに座ってくれる。
「最近、数の声がさー。ちょっと低くなったんだよ。それに比べゆずるの声は、きれーなの。耳に心地良いんだよなぁ。数の躰は、ギュッとすると骨張って固いんだけど、ゆずるは柔らかいし。なんつーか、気持ちいいし、落ち着くんだよなぁ」
「直久。のろける、やめろ。――てか、お前の基準は未だに弟なのかよっ」
「当然! 俺、数ダイスキだしぃー」
「ブラコンめ……」
そのまま下駄箱に直行すると言った木村と別れ、直久は教室に向かった。
教室にゆずるを待たせてある。部活を引退してから、一緒に下校するようになった。
帰る家が同じなのだ。 約束などしていなくとも、自然とそういうふうになっていた。
職員室は二階。三年生の教室は四階に並ぶ。
他学年の教室が並ぶ階は生徒が行き交っていたが、部活動のない三年生が放課後の校内でうろつく理由がないので、さすがに四階は静まり返っていた。
そんな中、ゆずるの声が響いて聞こえた。誰と話しているのだろうか、と教室を覗き込んでみれば、なんてことはない、相手は数久だった。
気が付いてゆずるが振り返る。
「遅かったな」
「ごめん、待たせた」
二人は一つの机に向かい合って、何かを紙に書き込んでいる。
「何してんの?」
「試験問題を透視しているんだよ」
答えたのは、数久。あっさり言ってくれたが、その内容は聞き逃せないものがある。
「透視!?」
「受験の日が満月だったら、ゆずる、困っちゃうでしょ? ――力、使えないから」
「……あ、そうか」
勉強して、実力で合格するつもりなど、サラサラないらしい。
「今のうちに試験問題を透視しておいて、答えを覚えておけば、いざという時も大丈夫でしょ? ――姉さんが高校受験した時も満月が近かったから、こうしたんだって」
でもね、と数久は淡く笑う。
「姉さんったら、こんなにたくさん覚えきれないって言って、結局、貴樹さんにテレパシーで答えを教えて貰っていたらしいよ」
「どうしようもねぇーな、鈴加は。……でもさ、貴樹さんって推薦合格したんだろう? 鈴加とは同じ試験は受けてないじゃん」
「だから、超遠距離テレパシー」
「なんだよ、それ……」
「貴樹さんは家に居ながら、姉さんのやっている試験問題を透視して、その解答を姉さんにテレパシーで教えていたってわけ」
「ありないだろう、それは……」
――呆れるほど、何でもアリな我が一族である。
直久は帰り支度をしているゆずるを見下ろす。
ブラジャーを着けるようになって、急に胸がその存在を主張するようになったと思う。気が付くと、目線がそこらへんを漂っていて、焦る時がある。
つーか、今までノーブラだったのかと思うと、嫌な汗が出てくる。
確かに男にしか見えないくらいに小さい胸だったけど、中三になってもブラ無しつーのは、どうなのよ?
ばっちり触ってしまったことがある俺だから言うけれど、なんかの事故で触れちゃった奴がビックリするだろうに!
いやぁー。と・に・か・く、ブラを付けてくれるようになって良かったぁー。
着け初めの頃は、気持ち悪いとか何とか言って、文句タラタラだったのだ。
スカートの方もそうだ。股がスースーすると言って、嫌がっていた。
だけど、こちらは下にスパッツを穿くことで解決した。
スパッツはいい! 風にパンチラされる心配がないからだ。
年がら年中、長ズボンで肌を隠していたゆずるの脚は、雪のように白くて、マジで眩しい。
なんつーか、他の男どもに見せるのがもったいないってカンジで。
今の季節が冬で本当によかったよなぁ。ちょっとでもゆずるの肌が露出していると、落ち着かない気分になるから。
――てか、そんなことを言ったら、来年の夏とか再来年の夏とか、どうするんだろう?
不意にゆずるが鋭い眼を向けてきた。冷ややかだが、どこか呆れているような。
「直、考え事をする時は、心を閉ざしてしろ」
「え」
「お前の心の声、まる聞こえ」
「読んだのかよっ」
「聞こえてくるんだよ。お前、オープン過ぎっ」
「うん。僕にも聞こえたよ。直ちゃん、恥ずかし過ぎっ」
「ていうか、一番ハズイのは、俺だろーが!」
もっともだと笑い、ゆずるは席を立った。帰ろうと柔らかく微笑む。頷いて、直久は目を細めた。