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君と歩く永遠の旅  作者: 夜野うさぎ
第四章 神と人が交差する大いなるバビロン
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2.メディア王女アミュティス

 予定通りにアレッポから東に向かいプラトゥ(ユーフラテス)川に出た。この川がイディクラト(チグリス)川と最接近する場所が中流域にあり、そこが後のバグダットになる。バビロンはそこからさらに南にずっと行ったプラトゥ川沿いにある。


 とはいえ今回はそのバビロン周辺を避けるので、早々に2つの川を渡って東のザクロス山脈沿いに南下を続ける。山脈の中に続く交易路に出たところで東へと進路を変えた。

 バビロン周辺を避けてのルートであるせいか、思いのほか時間がかかってしまったか。


 さらに幾重にも連なる山を進むこと数日。イラン高原に入ると、ようやくメディア王国の都、エクバタナが見えてくる。


 後にハマダーンと呼ばれるこの都市は、バビロンからカスピ海沿岸につながる道の拠点でもある。

 さらに東にはテヘラン、カスピ海南岸、バクトリアへとつづいていくんだけど、このバビロン―エクバタナ―バクトラ(バクトリア)のルートは、シルクロードの主要ルートになっていた。そのため、エクバタナもまた既に何度も訪れたことがある。


 メソポタミア地方と異なって高原の城砦都市で、気候は涼しく雨は少ない。今ごろは昼間で20度あるかどうかというところかな。

 もとは高原型オアシス都市であったこともあって水源は豊富だったはず。おそらく周囲を山に囲まれていることから、このあたりの地下を雪解け水などが流れているんじゃないかって思う。


 気持ちの良い風が吹き抜けて、私の服をはためかせた。


 少し早い春の気配のただよう山裾では、背の低い草が一面に生えていて風に揺れている。


 遠くでは放牧中の羊の集団。そしてその向こうには馬に乗った巡回している兵士の姿がある。あの騎馬技術と戦車がメディア軍の強みで頼もしい。


 どこまでも続く広く高い空に、鳥がゆっくりと旋回している。エクバタナの上に広がる雲の間から光が射し込み、美しい光のカーテンを見せていた。

 石造りの美しい街並みが、あたかも天地に祝福されているかのように壮麗に見える。


 さあ、あともうちょっとでエクバタナだ。


 無事に到着した私たちは、いつものように指定された広場で荷物の検分を受ける。


 とはいっても、私たちの商品は焼き物の食器がほとんどで、あとは製作につかう土や釉薬の材料でさほど高価な物はない。商品の食器も夏樹と私が焼いたものだから、売れればそれだけ(もう)けとなる寸法になっている。


「へぇ。これゴツゴツしてるのは、わざとなの?」


 若い女性の声にふと顔を上げると、そこには高校生くらいの少女がいた。


 すぐ傍に30代くらいの女性が控えているところを見ると、おそらくは高貴な身分。お忍びなのかな。当然、先買権を持っているはずで、それで品定めをしていたんだと思う。


 話しかけられた夏樹が、

「そうです。こういう触って楽しいものも味があって良いかと思いまして」

と答えると、少女は、

「へぇ。てっきり素人のものかと思ったけど、男の人らしい変なこだわりねぇ。……あれ? もしかしてここにあるものは全て貴方たちが作ったの?」

と言いながら、他の器も手に取ってしげしげと見てくれていた。


 男の人らしい変なこだわりと聞いて、思わず心の中で〝確かに〟とうなずいてしまった。


 自分からその少女に、

「それは夫の夏樹が焼いたものですけど、私は花を飾るのには悪くないんじゃないかと思っています」

と言うと、その少女は私を見て小さく笑った。「ははは。なるほど」


 花を飾るのに良いと私に言われて、夏樹が複雑そうな表情をしている。

 でもね。小型サイズとはいえ火炎型縄文土器を触って楽しいものというセンスは、一般的じゃないと思うんだ。かつて暮らしていた平成や令和の日本ならともかく、ね……。

 夏樹には悪いけど、花甁にしてパピルスとかヤシの木なんかを入れるとよく映えそうだと思うんだよね。


 もちろん一緒に持って来た商品としては、ちゃんと薄手で模様を描いたものもある。決して変わった(変な)ものばかりを焼いているわけではない。

 火炎型土器はもの珍しくて少女の目を惹いたのでしょう。


「ふむふむ、自分たちで焼いた物と。それで土なんてものも持っているわけ。……考えたわね」


 そういってチラリと私たちを見る少女。


 商品なら税がかかるけれども、材料の土のままなら税は高くないわけで、どうやら関税対策ということがバレてしまったようだ。

 ――いやまあ、神様の力で物質創造ということもできるけれど、なるべくそういうのはしたくないんだよね。


 ともあれ、10代半ばと見えるにしては随分鋭い少女のようだ。ついでに何か1つでも買ってもらえるとうれしいんだけどな。

 そう思っていたのが伝わったのだろうか、その少女はまた別の器を手に取った。


 今度は私が作ったもので、形はカラス貝をイメージした薄手の白い皿。

 自分としては優美なカーブのフォルムにできたと気に入っている。この形のもつ上品さを活かすために、あえて模様を入れるのはやめたものだった。


「これはいいわね」

「そちらは私が作りました。どのような料理にも合うようにと考えたものですよ」

「ははぁなるほど。女性らしい視点というわけね。……その顔立ちからして東から来たのかな? 遠くから来たんでしょ? 夫婦で職人をしてるの?」

 たたみかけるような問いかけに夏樹が答えてくれた。

「はい。ずっと遠く東の果てにある国から来ました。土器も焼きますが、普段は交易品も取り扱う商人です。……といっても、今の持ち物はご覧の通りですが」

「ふうん」


 私が作った皿をじっくりと見つめる少女。ちろりと私と夏樹の方を見てと、いかにも面白そうだといいたげな表情を浮かべていた。何かを企んでいるような雰囲気に少し身構える。


「そうね。あなたたちの名前を聞いておこうかしら?」

「はい。夏樹と言います。こちらは妻の春香です」

「そう。私はアミュティス。エクバタナ(ここ)の王女よ」


 お、王女? いきなりの爆弾発言に驚いて、あわてて少し姿勢を正す。夏樹がおなかに手を当てて、

「王女様でしたか。これは失礼を」

と言ってうやうやしく頭を下げるのに合わせて、私も頭を下げた。

 そんな私たちの様子を見ていたアミュティス王女が、私の焼いた土器持ったままで、突然思いもよらぬことを言い出す。


「よし、決めた。――あなたたち、しばらくこの町に滞在なさいな。窯のある家を1つ用意してあげるから」


 思わず夏樹と同時に、

「「え?」」

と聞き返してしまった。

 王女の後ろで傍付きの女性が、うえぇといいたげな表情になっている。唇の動きを目で読むと「またはじまった」とつぶやいたような……。


 夏樹に視線で問いかける。どうする? と。

 すると夏樹も困惑した様子で、

「ここには既に王家に仕える職人たちがおられるかと存じますが」

 けれども、王女は自信満々な笑みで、

「大丈夫。もちろん後で取りまとめをしている王宮の工房長にも挨拶してもらうけど、基本的に私専属の職人として、私のために何か作ってもらいたいのよ」

「は、はあ」

「もちろん商人でもあるんでしょ? あなたたちがどんなものを仕入れてくるか興味があるから、交易は行ってもかまわない。ただ出発前と帰還後に報告はしてもらうわ。

 契約期間は……そうね。とりあえず1年。様子を見て互いに合意がとれたら延長というところでどうかしら」


 すらすらと条件を言う王女。なんだか面白いことになってきたと思う。取りあえず1年というのは、きっとお試し期間ってことなのだろう。


 改めてアミュティス様の顔を見る。どうやら、この王女様()なかなかのお転婆というか、思い切りが良い女性みたいだ。かつてナクソス島で出会った少女を思い出してしまう。


 ここしばらくは――といっても何年もだけど、人間社会に関わりすぎないようにと思っていた。けれども、それはそれで少し寂しかったのも事実。良い機会だから、できれば引き受けたい気持ちがある。

 そんなことを思いながら夏樹の背中を見ると、タイミング良く私の方に振り向いてくれた。きっと私の意向を知りたいのだろう。

 にっこり笑ってうなずきかえすと、夏樹も決心したようだ。


「かしこまりました。詳しい契約は後ほど詰めさせていただくとして、妻も賛成のようですのでお申し出をありがたく受けたいと思います」

「決まりね」


 そういったアミュティス様はさっそく侍女に指示を出し、その侍女がすぐに近くの役人のところに歩いていった。

 30代にしては苦労が背中に漂っているその侍女は、普段からこの王女に色々と振り回されているのだろう。


「取りあえず、この2つはもらうわ。できたら次は色を載せたり図柄があるものを。食器でも花瓶でもなんでもいいから焼いてちょうだい。それを持ってお父様や他の人に紹介します」

「はい。しばらくは窯の調子を見ないといけませんが、焼き上がりましたら直ぐに」

「それでは完成したら、これを持って王宮の門番のところに。話は通しておくから」


 そう言ってアミュティス王女は小さな円形の粘土板を夏樹に手渡した。なんだろうと横から見てみると、コインともいえるその粘土板に印章が押してあった、きっと王女様専用の印章なのだろう。これが私たちの身分証というわけだ。

 その粘土板を見ていると、なぜかワクワクしてくる。久しぶりに都市の中、長屋かもしれないけれど、それでも家で暮らすことになる。


 ご機嫌な様子で歩き去っていく王女様を見送ってから、指示を受けた役人がやってきて私たちを案内してくれた。さっそく誘導されるまま通りをゆくことに。

 石造りの建物が左右に並んでいる。活気がある商業区から人々が行き交う住居区へと、ロバを引き連れていく。やがて到着したのはエクバタナの端の区画にある一軒の家だった。


 周囲の建物と同じように石造りで、外から見る限りだけれど、奥に庭か何かがあって土器を焼く窯があるようだ。その煙突部分というか、のっぽの頭部分がここからでも見える。


 今は焼き物職人は需要の増大にともない、決められた区画に斜面を利用した大きな窯を造るのがほとんど。大量生産のためだ。

 昔の土器づくりは乾期の期間労働であり、町なかで住居区画に窯を作ったり空き地に窯を造っていたというから、きっとこの家はそういった時代のものなのだと思う。

 専業化している土器職人たちと違って、私たちの場合は王女のお抱え、かつ商人を兼ねてということなので生産区画ではない場所に手配されたのだろう。


 さっそく中に入ってみたところ、掃除が必要なのは当然だけれど建物の造りはしっかりしているようだ。

 周囲の人々の生活音や子どもの声などが聞こえてきて思いのほかにぎやか。でも、そのにぎやかさがいい。町中で暮らしていることを感じられるから。期待で妙にワクワクしてきた。


 間取りは、入り口から奥に向かって部屋が4つ並んでいて、そのさらに向こうに庭がある。その庭は比較的広くて、外から見えていた焼き物窯もあれば井戸もあった。

 役人が帰ってから改めて敷地を見てまわる。

 夏樹とああでもない、こうでもないと相談をして、手前の部屋をリビング兼ダイニング兼キッチン。次の部屋を寝室、3つめの部屋を浴室にして、一番庭側の部屋を倉庫にすることにした。


挿絵(By みてみん)

※台所のかまどは、腰高の円筒形。


 よし。そうと決まったらまずはお掃除だ。


「さぁてお掃除! お掃除!」

と言い、下ろしたばかりの荷物の中から掃除道具を取り出す。


 ふんふんと鼻歌をうたいながら、ほうきで天井を払うと、早速もうもうと舞い下りるほこり。夏樹がそれを見て慌てて布をマスクにして鼻と口を覆っている。アタフタしている姿を見て思わず笑ってしまう。

 まるで平成の日本で暮らしていた時の大掃除のような光景。そんなことを思い出すと急におもしろおかしくなってきた。


 かくして掃除をつづけ、ようやくひと段落した時にはすでに夕暮れ時に……。

 掃除のために開け放っていた玄関の扉を閉めて、(かんぬき)をしてから2人で浴室で水浴びをすることにした。


 早めに浴室に火鉢を置いたつもりだったけれど、すでに気温が下がっていて思いのほか寒い。

「あ~、こりゃあ工夫しないと明日から辛いな」という夏樹に同意する。


 正直、神さまである私たちにとって、感覚を調整すればどうにでもなる部分でもあるけれど、普段はなるべく人であった頃と同じ状態を心がけている。

 もちろん病気や傷なんかとは無縁だし、ついでに肌荒れもない。肌を気にしていたのは既に遠い昔のこと。……いや、未来のことになるのかな?


 無から有を作ることもできるので温水を用意することだってできるけれど、できるだけ人としての生活から離れたくないんだよね。

 ともあれ井戸から水を汲んできて布を浸して身体をぬぐう。最後に頭からぬるめに調整した水をかぶると随分とさっぱりした気分になる。

 これで湯船があったらなぁと思うので早めに何とかしようと決心した。


 髪を下ろしたままで新しい服に着替え、ランプを持って台所に向かう。

 今日の料理は羊肉のシチュー。ちょーっと時間がかかるので、おつまみとワインで先に始め、シチューはでき次第で出す予定だ。


 おつまみとワインの準備は夏樹に任せ、私はさっそくかまどに火を入れて水を張った鍋を載せる。

 こっちのかまどは地面から円筒形で、てっぺんから串に刺した肉を中に入れて焼いたり内側にパン生地を貼り付けて焼いてナンを作るので、慣れないと戸惑いそう。


 クレソンときゅうりをざく切りにして中に入れ、ハーブのフェンネルとクミンの粉を投入。これがメソポタミア風の野菜出汁となる。

 続いて別のお鍋にも水を張って、乾燥肉と一口大にしたニンジンとニンニクを投入した。


「じゃあ、乾杯しようぜ」

「はいはーい」


 夏樹からワインが入ったカップを受け取って、立ったままで2人で乾杯。夏樹は座って、さっそくチーズを載せたパンに手をのばしていた。


 かまどの前でカップを片手に、お鍋を気にしながら、

「それにしても、やんちゃそうなお姫さまだったね」

「いきなりお抱えだもんな。お付きの人の様子だと今までも同じようなことがあったっぽいし」

「ふふふ。男尊女卑のこの時代になかなかの……」

「戦乱が多ければ女性だって強くなるさ。ただまあ、彼女の場合は王女という身分だから許されているんだろうね」

「なんとなくさ、ナクソス島のアリアを思い出しちゃった」

「ははは、確かに似てるかも」


 テセウスを引っ張り回していたあの子。アミュティス王女の方があの頃の彼女より年上ではあるけれど、絶対に同じタイプだと思う。


 お鍋の中はだいぶ火が通ってきたようなので野菜の出汁を加えて味見をする。お塩を入れて味を調整してから、最後に小麦を少し入れお玉でかき混ぜた。


 長い歴史の中で人々の食を支えていく麦は、その原産地は地中海からメソポタミア地方。煮込んでいるこの小麦は食料として購入していたものだけど、今度はこれでビール造りにも挑戦してみたい。


 こうして調理をしながら「あれが必要だね」と明日買うべきもの、……となり近所くらいには挨拶をしないといけないか等とやるべきことを2人で確認しながら、またシチューの味見をする。

 ん~、何かもうちょっと味に深みが欲しいところ。少し塩味が出るけれど……と思いつつ、チーズをひとかけら入れて最後にもう一度味見。

「できたよ」と声を掛けると、夏樹はささっと食卓の上を片づけて鍋敷き代わりの板を置いてくれた。


「お待ちどうさま」

「今日は羊肉のシチューか」

「そうそう。メソポタミア風味です」


 用意してくれてあった深めの皿にスープを取り分けて、そこにミントを添えれば完成だ。

 早速スープをすくって口に入れる。……野菜の旨みがもう少しかな。でも充分に美味しくできた。


「……いつもながら美味いな」

「主婦生活ながいですから」

「たしかに」


 2人で笑い合いながら、これからの生活に心を躍らせる私だった。


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