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君と歩く永遠の旅  作者: 夜野うさぎ
第四章 神と人が交差する大いなるバビロン
126/132

1.B.C.E.616 隊商


 荒野の上を晴れた空が広がっている。

 ゴツゴツとした黄ばんだ岩山を横に、踏み固められた道が続いていた。その街道には今、荷物を載せた100頭以上のロバが列をつくっていて、その脇には複数の商人が長い木の杖をつきながら歩いている。


 中東のイェルサレムの北方に交易都市ダマスカス(アラム)がある。

 私と夏樹は夫婦だけの小さな交易商人として、3頭のロバを引き連れ、ダマスカス(アラム)から北のアレッポに向かう隊商に参加していた。


 まだアルの月(4月中旬ごろ)に入ったばかりだというのに、陽射しが思いのほか強い。乾燥した空気に見えないほどの土埃が舞い上がっていたのだろう、いつしか口の中がじゃりっぽくなってしまっていた。

 夫の夏樹が気遣わしげな目で私を見る。あごひげを生やしたその顔を見て、思わず笑みが浮かぶ。


 たしかに今の私はフムルと呼ばれる布をかぶって髪を隠し、さらに鼻から下も見えないように布で覆い隠しているわけで……、内側にそうとうの熱気が籠もっているはずなのだ。

 かつて暮らしていた平成の日本では、このフムルはイスラム文化のように誤解されていたが、実はもっと古くからある風習だったりする。

 顔を隠す布は地方によって着けない場合もあるけれど、これらの風習はその女性が誰かの保護下にあることを意味している。だから私も、夏樹の保護下にある妻であるという身分を、こうして示しているというわけだ。


「大丈夫?」

 そう尋ねてくる夏樹に、私はその目を細めながら、

「うん。例の力(神様の力)で中は適温に調整しているから」

と答えた。


 かつて、平成の日本に生きていた私と夏樹は、家がはす向かいの幼なじみだった。


 いつしか夏樹のことが好きになっていたんだけれど、私が告白する前に夏樹から告白され、そのまま恋人同士に。

 父がガンになった時も支えてくれて、プロポーズまでしてくれた。大人になって結婚して……という生活をしていたら、ある時、夏樹が重大な秘密を告白してくれたのだ。


 なんでも夏樹はあの時、2度目の人生だったらしい。最初の人生でも私たちは互いに好き合っていたのだけれど、どちらも勇気を出せなかったせいで付き合うことがなく、離れて暮らすことになってから疎遠になってしまっていたという。その間に私の家では父が亡くなり、そのショックに母が耐えきれず、ついに私も生活苦から……。

 夏樹は、考古学を専攻する研究者となって、不思議な縁に導かれてチベットの隠された聖地で天帝釈と巡り会い、霊水アムリタの力で神格を得た。


 そして、1度目の時間遡行(タイムリープ)をして小学校4年生から2度目の人生をやり直し、そして私と恋人となり夫婦となったという。


 打ち明けてくれた夏樹が、最後に〝俺の眷属になってくれないか〟と申し出てくれて、私は即座に、

 〝わかった。私。あなたについていく〟

と答えた。だって凄くうれしかったから。

 神様になってまで私のところへ戻ってきてくれた。そして、こんなにも幸せな毎日を過ごすことができている。夏樹と一緒の人生が、ずっとずっと続くなら……。私の答えは一つに決まっている。


 そんなわけで、私もチベットの聖地に連れて行ってもらって天帝釈様と面談し、霊水アムリタの力によって神格を得たのだ。

 そして、2柱の神となった私たちに、指導教官の帝釈天様から出されたのが、人間の歴史を体験せよという指示だった。


 不老不死となった身で歴史を歩き、人の善性や悪性、欲望や気高さ、様々な要因で人が動き、国が動き、歴史が動いていくということを知るようにと。


 そんなわけで、私たちは紀元前1660年のギリシャはナクソス島に時間遡行し、それから2人でずっと人々の歴史を歩き続けている。

 今は紀元前616年だから、ナクソス島から始まった旅は1000年が過ぎた。言葉でいうのは簡単だけど、1000年ってもの凄い時間の長さだ。


 その間、シルクロードの東西を行き来して色々な人と出逢ってきたし、戦乱も見てきた。東の中国では()と周との戦乱の時代で、幼子を託されて自分たちの娘として育て上げたりもしたんだ。

 悲しい別れもあったけれど、それは仕方が無いことだった。私たちと人とでは生きていける時間が違うのだから。

 私には夏樹がいる。この広い世界をずっと寄り添って歩いて行ける人。厳しい環境、移りゆく時代――。きっとこれからも色んなことがあるだろう。それでも私たちは2人で旅を続けていくんだ。


 黙りこくっていると、夏樹から

「まーた考えごとしてる」

と指摘され、苦笑いを浮かべられてしまった。

「今日中にアレッポに着くんでしょ? 夜は2人で乾杯しようよ」

 布に隠れて見えないだろうけれど、ほほ笑みながらそう言うと、夏樹が目を優しく細めながら私を見た。

 あの優しいまなざし。その表情から、愛してるよっていう気持ちが伝わってくる。

 夏樹が今考えていることが何となくわかった。さっきまでの私と同じことを考えていたんだ。


 ……っとと。どうやら感傷的になってしまっていたみたいだ。これが2人きりならば、すぐにでも抱きつくんだけれど、残念なことに今の私たちは商隊のど真ん中にいるわけで。

 だから私は自分の胸もとをトントントンと叩く。それを見た夏樹も微笑みながら肯いて、自分の胸もとを同じように指先で叩いた。

 これが私たちの間の〝愛してる〟のサイン。密やかな2人だけの仕草。ドリカムの『未来予想図』の真似といえば真似なんだけれど、どんな時でも自分の気持ちを伝えられること、そしてそれが相手に伝わるってことが妙にうれしい。



 商隊はその日の夕方になって、ようやくアレッポの町に到着した。

 どこの町でも、到着した商隊はまず領主館の広場で荷物の検分を受ける。そこで1タラント(34.2キロ)あたり(すず)いくらに換算した税金が掛けられ、商隊全体分の税金を、商隊長がまとめて支払うことになっている。


 交易商人が支払う税金には、他にも通行税、関税、人頭税などがあるらしいけれど、これらは他の諸経費とともに商隊長の方で記録してくれていて、商人が商隊を離れるときに一括して商隊長に支払う仕組みになっていた。

 もちろん、道中の経費の一つ一つもきちんと粘土板(タブレット)に記録されているので、手数料こそ支払うけれども、無茶苦茶な暴利というわけではない。


 こうした税金のほかに、訪れた町の領主や神殿には先買権もあって、上手くすれば商取引となるわけだけど、どうやら今回はどこかの商人から小麦をいくらか購入したのみだったようだ。


 一連の手続きが終わると、町の事務官から指示された物資集積所に荷物を運び、それからそれぞれの宿泊地に向かうことになる。

 しかしこの商隊は、このまま北の、トルコはアナトリア方面のリディア王国に向かうらしいので、ここから東へ行こうとしている私たちとは別れることになっている。

 というわけで、解散してすぐに商隊長のイディーさんのところに行って今までの経費を支払うことにした。


 すでにイディーさんが仕切る商隊に3回も参加しているから、彼の人柄もわかっている。

 まだ40代半ばの織物をメインに扱う商人だが、経験豊富で信頼できる人。……まあ、そうでなければ商隊長なんてやっているわけがないか。


 物資集積所でそのイディーさんを捕まえた。すでに私たちの予定は話してあったこともあり、諸経費の支払いもスムーズに済んだ。感謝も込めて少し多めに渡している。


「それにしても……」とイディーさんが私を見た。

「妻を同伴させての交易とは、なかなか見ないね。元奴隷というわけでもないんだろ? よっぽど仲が良いというか。離したくないんだろうなと思うけど、余計なトラブルも多いだろうに」

 そう夏樹に話していた。


 この時代には自由民と奴隷とがいる。奴隷になる理由はさまざまだが、奴隷の女性が自由民になるメジャーな手段の1つに主人となった自由民との結婚があった。もちろん私は違うけどね。

 それに男性上位の社会だから、その妻となる女性は基本的に家の外に出ることは多くない。私がこうして一緒にいること自体が、商隊のなかで目立っていたのは確かだと思う。


「俺たちはもともと、ずっと東の出身なんですよ。彼女は幼なじみだったので、まあ一緒にいるのが当たり前というか……。俺の目の届くところにいて欲しいんですよ」

 そう言う夏樹に、イディーさんが笑いながら、

「ははっ。なるほど。それはまた熱烈だな。若いってのはいい」

と大きく肯いていた。


 今の私たちの姿は21歳の頃の姿に若返らせてある。見た目が若いっていうだけで危険もあるんだけど、不老不死の私たちにとって、一定期間ごとに若返って人生をリセットすることはとても重要なことだったりする。特に周囲に疑われずに人間社会の中で生きていくのには。

 けれど、その若さがイディーさんの目には危うくも、まぶしくも見えたのかもしれない。


狭い道(密輸ルート)に行くってわけじゃないだろうから心配はしていないが、元気でな」

「ええ。イディーさんもまた今度」

 そういって別れて、宿が集まっている一画に私たちは向かった。


◇◇◇◇

 オリエントとはヨーロッパから見て東方世界のことで、地域としてはメソポタミアからエジプトまでの範囲をいう。

 メソポタミアでは日干しレンガの建物が多いが、山岳地帯や石切場があるようなところでは石造りの建物が多いようだ。


 そんな石造りの宿の一室。

 私たちは、寝台前に布を引いて並んで腰を下ろし、ぬるいシカルで乾杯をしていた。シカルっていうのはいわゆるビールのこと。この宿のものは麦が違うのか少し味が濃い。

 室内はランプの明かりに照らされ、静かで穏やかな雰囲気がただよっている。目の前の床には、布に書いたオリエント地図が広げてあった。


「ここから東に向かって、ユーフラテス(プラトゥ)チグリス(イディクラト)川を渡って、東のザクロス山脈を越えるんだったよね」

「ああ、途中の街で面白いものがあれば、それを仕入れながらメディア王国まで行ってみよう」


 今、メソポタミア地方は全土がアッシリアの支配下にある。しかし、優れた統治者であったアッシュールバニパル王が亡くなってから、国内で様々な勢力争いが起きていて乱れているまっただ中だ。

 危険も大きいし騒然としているわけで、夏樹と相談して少し離れておくことにしたのだ。当面の行き先はメソポタミア地方の東、メディア王国の都エクバタナにしている。


「私、バビロンにも行きたかったな……」

 ぽつりと(つぶや)くと、夏樹が苦笑いしていた。バビロンは交易拠点の大都市で、すでに何度か訪れたことがある。けれども今回、それは避けるべきらしい。なんでも今はバビロン周辺こそ危険地帯だという。


「実はバビロンは今アッシリアから独立をはかっていて、アッシリア軍と戦争中なんだよ」

「うわ。それじゃ無理だね」

「もっと落ち着いたら行こう。どうせ時間はあるんだし」


 夏樹の説明によると、ちょうど今アッシリアの将軍だったカルデア人のナブー・アパル(ナボポラッサル)・ウスルがバビロンに入って王となり、アッシリアに対して反乱を起こしているのだそうだ。

 他の商人から手に入れた情報だと戦況は一進一退だとか、アッシリアの方が押され気味とかで、正確なところはわからないらしい。しかし夏樹がいうには、いずれアッシリアは敗れて新バビロニア王国時代となるのは確実なんだそうで、まもなく時代が大きく動くことになるのだろう。


 もちろん戦乱といえど、神である私たちを傷つけられるような武器は存在しないし、いざとなれば神通力で時間を止めて脱出してしまえばいい。それくらいの力はあるけれど、わざわざ危険なところに行く必要もないでしょう。


 それに私が見たがっているバビロンの空中庭園や塔はもっと後らしくて、ナボポラッサル王の息子であるナブー・(ネブカドネザル2世)クドゥリ・ウスル王の時代の建築なのだそうだ。どうせ行くのなら、その頃が良いだろ? と言う夏樹に私は肯いた。


 おつまみがわりの羊のチーズを口に入れる。

 酸味が強いこのチーズも、かつて日本で食べたような洗練さはないけれど、もう慣れてしまった。

 それに、このチーズに粉砕した乾燥肉とハーブを混ぜ込んでパンと一緒に食べると、独特の酸味がほどよい後味になって意外に美味しい。


 突然どこからか男の声が聞こえてきた。どこかの部屋で酔っ払いが歌いだしたみたいだ。よりによって卑猥な歌で、しかも下手くそ。


 宿といっても大部屋のところが多かったりするけれど、この宿には個室があった。個室とはいっても部屋の入り口には扉など無く、布が掛けられているだけなので、こうした声はよく聞こえてくる。

 大体が男ばかり、連れていても奴隷の女性だったりするし……。そのうちどこかの部屋から、誰かが連れ込んだ娼婦の声が聞こえてくるかもしれない。


 視線を感じて顔を上げると、夏樹が苦笑いを浮かべていた。やれやれといった表情。「まあ、こういう宿だからな」「もう慣れたよ」そう言って私も苦笑い。


 夏樹がすっと右手を伸ばしてきて、私の左手に重ねた。

 特に意味のない行為だけれど、そんな何でも無いことでも夏樹とふれあっているのがいい。


 2人だけの時間が心地よく過ぎていくのを感じながら、広げた地図に目を落とした。

 1000年前にナクソス島に来てから、シルクロードを幾度となく往復した。ここに描かれているメソポタミア地方も何度か訪れ、西北のアナトリア半島も南のペルシャ湾にも行ったことがある。


 オリエントで行ったことがないのはエジプトくらいか。

 夏樹が言うには、エジプトでは王が現人神として崇められているから、目をつけられると大変なことになるとか。ピラミッドや王家の墓、神殿などは見たいと思うけれど、一般人は立ち入り禁止になっているだろうし、行くのならローマ帝国の時代になってからが良いかな。


 それに対して、2つの川の流れるメソポタミア地方は都市国家の集合体である。

 各都市それぞれ、権力構造が宗教と軍事とに分かれ、政治の中心は神殿、軍事長が王となっている。法律が定まっているので、安全はある程度保障されている。

 こうした権力構造も発展してきた歴史的背景があるらしい。それも大元は自然環境によって発達した構造だとか。


 メソポタミアといったらチグリスとユーフラテス川だ。

 2つの川沿いから西には広いシリア砂漠が広がっていて、その砂漠の西側にイエルサレムなどの中東の国々がある。

 2つの川の中流域から北が渓谷地、南が平野となっていて、中流域には湿地帯が広がり、思いのほか水と緑が豊かな土地だ。川が2つとも急流河川なので洪水の時は一気に水が押し寄せて被害が大きいが、土地は肥沃でもある。

 川が急流であることがエジプトのナイルとは大きく違うところで、ノアの箱舟伝承の原型がこの地にあるのも洪水被害が大きい土地柄だからだろう。


 この肥沃な土地を狙って、東、また北部の山岳民から(たび)(たび)侵攻され、その結果、土地の支配者が変わることも多い。支配者は変われど、シュメールの多神教文化だけは継承され続けてきたという。

 各都市にはその都市を守護する神がいて、その神像を祀った神殿が中心となっている。けれども外部の侵略者に対抗するために軍事力も必要で、その軍団長が王として君臨しているというわけ。結果として、各都市は神殿と王(今はアッシリアの代官)とによって治められている。


 一方で、契約の概念が古くから発達していて法整備も進んでいる。これで戦乱がなければ住みやすいのだろうけど……。安定期ならともかく、混乱期はやはり危険だ。山賊なども増えるし。


 手の中でカップのシカル(ビール)がユラユラと揺れている。薄暗い部屋のせいか、その色はわからないくらい濁っている。

 ランプの穏やかな灯火。その明かりは小さくも温かい。ユラユラと揺れるその光に照らされた夏樹がやすらいだ表情で、ちびりちびりとシカルを飲んでいる。


 いくつの夜をこうして過ごしただろうか。どれだけの時間を一緒に歩んできただろうか。

 流転していく世界の中で、変わることがない私たち。たった2人の歴史の旅人。互いにたった1人の唯一の人。この手で感じるのは、かけがえのない夏樹のぬくもり。

 胸の奥から、ただただ愛しているという気持ちがあふれ出していく。


 きっと私たちはこれからも同じように生きていくことでしょう。ふと夏樹が顔を上げてこっちを見た。愛おしげに目を細めている夏樹に、私はそっと微笑み返した。


 愛してる。その言葉を込めて。



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