駄文エッセイ:12冊目の本の発売日だけど……
今日は12冊目の本の発売日……だったらしいです。
正しくは26日発売らしい(4月末日としか聞いてない)のだけど、一部店舗ではもう早売りしているらしいのです。
出版した本は『ダンウィッチの末裔』(創土社)【Amazonはhttp://p.tl/onbU】で、ゲームブックですが菊地秀行先生と牧野修先生のオマケとしてくっつかせていただきました。
ということで、4月末の段階で去年1年間で出した本の冊数(6冊)に追いついたことはめでたいなーと思うわけですが、ここから先も考えていかないとならないと、ちょっと頭脳が失速気味なのが気になる所。プロットの当たりが今ひとつという感じなんですね。
プロットは基本叩かれるもの。編集者に突き返されるものというのはわかっていますが、頭でわかっているのと実体験をするのとでは大きく違いますよね。突き返されれば当然ショックも大きいわけで、そのために同時期に別のレーベルでデビューした作家さんたちもいつの間にか消えていってしまっていて、先日、メッセージをいただいてちょっと考えさせられてしまいました。
その人はとあるラノベ賞の受賞作家さんで、昨年なんとか3冊まで泣きながらプロットを作って本を出したけど、こんなに苦しい思いをするならもう小説は書きたくないと言って、一般企業に就職することを考えられたとか……。そういうことはボクにはなかったのか? と聞かれてしまいました。
当然あります。というか、ありまくりです。
確かに、ボクらは小説という商品を出しているわけで、買ってもらう以上はそれなりに叩かれたり、理不尽なプロットの突き返しをもらったりします。シリーズの納得いかない打ち切りだってありえます。
商品である以上売れるものを作らなければならず、それは当たり前にあることで、巨匠でもないボクらは当たり前にそれを受け入れてやっていかないとならないとボクは思っています。
同時に、イベントなどに参加せずに引っ込んでいたなら、これだけの数を出すこともできなかっただろうなぁ……というものでした。やっぱり、人とのつながりって大切ね……とこの年になってしみじみと思いましたよ。やっぱりアナログな名刺交換は重要ですし、イベントで出会った同業の先生たちは遠慮無く意見を言ってくださいますし、同時に先生方の着眼点を見ることで、自分の見ていなかった部分が見えたりしました。
叩かれて、いろんな意見を聞いて、それの影響で新しい作品ができて、少しずつ文章も上手くなっていって(ホントか?)……いるような気がします。12冊目の本を見ていると。まぁ、菊地先生の文章があって、牧野先生の文章があるわけで……直接比べると、もう、気分はどん底ですけどね(笑) 比べて見るともう死にたくなってきます。
イベントとかに出て、常に新しいものを見つけて、常に上を見上げ諫言を素直に耳にしていけば、躓かないで済むと思うのだけど……と、一般就職を考えていらっしゃる同時期作家さんにメッセージを返しましたが、今の所、返事はありません。
コミックの『湾岸ミッドナイト』(講談社)ではないですが、いつでも降りる自由があるのが自由業なのでそれ以上の追いかけはしませんが、でも、せっかくなれたのにって気持ちは多分に残ります。
そんな感じなので、最近のCMで『自分探しをいつまでしてんだ』みたいなものがありますけど、あれ見るたびにムカつくんですよね。
妙に大人ぶった上から目線なもんだから、『じゃあ、貴様はそんな偉そうな口をきける存在になってんのかよデコ助野郎!』と、某カネダさんの名台詞バリに叫びたくなります。ボクはいつだって『ここではないドコか』を探して彷徨っていますからね。何年経っても中二病患者ですよ。じゃないと上を向いてなんかいられません。
あのCMのように『自分探しを忘れたら』多分、作家なんてやってられませんもんね。
12冊目の本が出たのだから、自分になにかご褒美でも買って、また書き続けようと思います。