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森にて拾いたるは忘れじの……

作者: 猫凹

 森で、娘を拾った。


 年の頃は十代半ばといったところか。腰まで伸びた青い髪、瞳は紺色。がりがりに痩せた身体、青白い肌。

 薄汚いぼろを身にまとい、森の中をふらふらと彷徨い歩いていた。名や出身を問うてみたところ


「……分かりません」


 記憶が無いらしい。怯えた表情で、声を震わせ応えた。少なくとも、標準語を解することは分かった。

 森には数こそ多くないが、危険な獣が棲んでいる。放ってはおけず、馬車に乗せ、屋敷に連れて帰った。


 執事には渋い顔をされたが、女の召使いたちは新しい玩具を手に入れたように大喜びで、娘を風呂に入れ、清潔な衣服に着替えさせる。そうして改めて連れてこられたのを見ると、幼さが残るその顔は、それでも美貌と表現して差し支えない。先の尖った、特徴のある耳に気付く。私自身直接に会ったことは無いが、エルフという種族だろう。立ち居振る舞い、言葉遣いも洗練されており、高貴な生まれを思わせる。

 身元が判明してから後悔するなどということのないよう、客人として接遇することとした。


   *


 娘を保護してから、五年が経った。


 賓客としてもてなしつつ、教師をつけて教養を身に付けさせ、乗馬、弓術を習わせた。

 確かに、人とは違う。物事の覚えも良く、身体も強健である。そして、一向に年をとる様子がない。十代半ばの見た目のまま、健康的に程良く肉のついたその身体からは、その年頃の少女の、健康的な魅力が溢れている。


 魅力的なのは、見た目だけではない。家人に囲まれて過ごした年月が、娘の生来のものであろう、明るく人好きで、気の優しい性格を取り戻させた。賓客として下にも置かない扱いを受けながら、私にも末端の召使いにも等しく気さくな態度で接する娘は、誰からも好かれた。娘は我が屋敷に笑いをもたらし、生活の中心と言える存在にさえなっていた。


 一抹の不安は、娘の記憶が戻らないことである。

 手を尽くして、高貴なエルフの家に行方不明の者や攫われた者がいないか調べても見たが、それらしき情報は入らなかった。そもそも人とエルフの間には交渉は乏しいが、手配がかかれば、人相書きくらいは回ってくるものである。

 自分が何者か思い出せないのは不安ではないか、との問いに、娘は私の袖を取ると、身を寄せて小声で応えた。


「記憶を取り戻すことで、今の幸せを失ってしまうことの方が、恐ろしく思います……」


 屋敷での生活を幸福と感じてくれていることを、嬉しく思う。その幸福の一端に、どうやら私という者と共にいることが含まれるらしいと気付いたのは、とある夜のこと。


 夜半にふと目を覚まし、茶を求めて炊事場に向かう廊下を、寝るものを起こさぬように静かに進む。娘の寝室の前を通りかかった折、扉の向こうに


「旦那様……旦那様、お慕い申しております……」


 吐息混じりの悩ましげな声を聴き、私は周章狼狽した。


 なにしろエルフであるから、実際の年齢は、見た目通りではない可能性も大きい。しかし、外見上は子供のような娘から想いを寄せられるのは、そのような性癖のない者としては、いささか居心地の悪いものである。思いあぐねて家政長の婦人に相談したところ、まず眉をひそめられ、次いで呆れた様子でため息をつかれた。


「お気付きになっていらっしゃらなかったのですか? 家人は皆、あの娘の想いをとうに知っております」


 その日以来、娘と接する際には、必要以上に近づくことの無いように、気を遣うようになった。しかし当の娘は、昼に顔を合わせる間は、一片の陰りもなく陽気に笑いをふりまき、溌剌として振る舞いながら、自然に私に触れてくるのだった。その落差に却って動揺を誘われてしまい、いつしか、私は自らが娘に懸想していることを否定できなくなっていた。


   *


 娘の記憶が戻った。


 遠乗りに出掛けた際、何かの拍子に癇癪を起こした乗馬に振り落とされ、強く頭を打ったのがきっかけだった。

 安静にするように寝かせたベッドで、身体を起こした娘の表情が酷く青ざめていたのは、決して落馬のショックによるものではなかった。娘は、今にも泣き出しそうな様子で、声を絞り出すように、語り始めた。


「私は、エルフではありません」


 なんと。それでは、エルフの不明人を尋ねても、該当する者がいないのは当然である。しかし、それなら……


「私は……エロフ。淫魔なのです」


 エロフ。エルフとインキュバスの間に生まれる混血の魔物。娘はそう語った。


 本来、紛れも無く現世の存在であるエルフと、幻想種である夢魔とが交わることはあり得ない。しかし、両者の相手に対する想いが真に魂からのものである場合に、稀に子をなすことがあると言う。そして生まれるのは、人を堕落させ淫蕩な快楽へ誘う魔性。エルフの強靭な生命力と夢魔の底知れぬ魔力を兼ね備えた、恐るべき魔物。


 エルフの母親と、インキュバスの父親の間に生まれた娘。その両親の馴れ初め、恋路の果ては今となっては知る由もないが、娘は、母親の下に匿われ、十余年の間を隠し育てられた。父親の素性を正直に娘に明かしつつ、その養育の厳しさは、いささかもエルフの範に引けをとる物ではなかったという。

 しかし、ある日娘の存在は一族の知るところとなり、忌み子、種族の血を汚すものとして、全ての記憶を封じられた上で、里を放逐されてしまう。森をあてどなく彷徨い歩いていたところを、私に拾われたと言うことだ。


「私は魔性。必ずや皆様に御迷惑をお掛けします。ご恩に報いること叶わず申し訳ございませんが、この場で命を奪ってください」


 娘は、涙ながらに訴えると、とうとう両の手で顔を覆い、声を上げて泣き伏した。


 エルフと思われてこその客人としての待遇。それを鼻にかけるような素振りは露ほども見せたことのない娘であったが、自ら負うところが皆無であったはずも無い。しかし、明らかになった過去は、その自負を無残に打ち砕いたろう。


 打ち明け話にしばし呆然となる。なるほど淫魔か。夜な夜な私の名を呼ぶその惚けたような声に苛まれ、この頃はすっかり安眠を奪われてしまっていた。女生(にょしょう)などについぞ興味を持つことのなかった私が、その幼気な容姿に心を奪われたのも、ひとえに淫猥な魔力のなせるわざだったということか。

 顔を伏せ、涙にくれる娘。今ではその顔を覆う両手の下に隠れてしまった、花咲くような笑顔を、心地よい笑い声を思い起こす。


 ――否。


 娘は、この辺境での陰鬱な屋敷の生活に、明るさと彩りをもたらしてくれた。その向日葵のように朗らかさが、どれほど屋敷の皆を元気付けたことか。その慈しみに満ちた心遣いが、どれほど私を慰めたことか。この娘のいない屋敷に、私に、どれほどの価値が残るだろう。私が娘に惹かれたのは、否、断じて、魔力などという得体の知れない物のためではない。


 自らには何らの落ち度も無く、その生まれ故に我が身を呪い、誰をも責めることもなく自ら消えようと言う、その健気さ。淫魔などという蔑みの言葉が、これ以上似つかわしくない者が、地上のどこにいると言うのか。

 肩を震わせてむせび泣くその姿は、触れれば壊れてしまいそうなほどに儚げであり、見るほどに心が締め付けられる。


 泣くな。

 泣かずともよい。

 これ以上、泣かせはせぬ。


 憤りにも似た激しい感情に揺さぶられ、ひとりでに口が動いていた。


「命は奪わぬ」


 娘は顔を上げると、涙に腫れた目で私をしっかと見据え、応えた。


「ならば、森へお捨てください。皆様の目に付かぬところに、永遠に去りましょう」


 柔和な面の裏側に秘めたその気丈さは、今では行方すらも知れぬ、人一倍想いの強かったであろう両親の気性を受け継いでのものか。天涯孤独というのなら、尚のこと都合が良い。


「それもならぬ。お前は私の妻となり、生涯をここで暮らせ」


 呆気に取られた様子で、口をぽかんと開けて、私を見つめる娘。散々に泣いた涙で汚れたその顔は、そんな表情をしていてすら美しい。やがて、正気づいたように目を見開き、あたふたと拒絶の言葉を発する。


「い、いけません旦那様。私は淫魔。必ずや、旦那様の精気を吸い尽くし、この家を滅ぼしてしまいます」


 いけません、いけませんと繰り返しながら首を振るその顔に、しかし、言葉とは裏腹に、微かな希望の、切望の兆しを認める。そのまだ弱々しい火を、確かな炎にしたいとの思いが、つい軽口を叩かせる。


「我が家系は強壮なことでは敵無しでな。倒れるのはどちらが先か、今夜からでも試してみるか?」

「――っ!!」


 看病に当たっていた女たちから、賑やかな黄色い笑い声が上がる。今や、見た目とさほど変わらぬ年齢と知れた娘は、言葉に詰まり、先ほどまでは涙に濡れていたその顔を、母方の血を色濃く引くその耳の先端まで真っ赤に染めて、毛布の下に潜り込んでしまった。

 その直前に見せた表情に思いつめた様子はもはや無く、自らに拓けた運命を受け入れた色を見て取り、私は女たちと顔を見合わせ、声を上げて笑い合った。



   *



 偏屈で知られた辺境の伯爵が、若い奥方を迎えた。その知らせが国を巡ったのは、それから数年の後のことである。夜想曲(ノクターン)に歌い継がれるその仲睦まじさは、海千山千の娼婦ですら顔を赤らめるほどであったとか。


 身を流れる時の速さの違いが、やがて二人を分かつこととなった時、伯爵は、その年老いた手を握り締める夫人に対して、決して後を追うことはならぬと厳しく言い残し、天に召された。その後の夫人の消息は、ようとして知れない。しかし、伯爵が没してから十を超える世代が移ろった今でも、その血に連なる者たちは一様に、彼女が伯爵領を取り巻く森のどこかで、変わらぬ慈愛をもって彼らを見守っていると固く信じている。


 生涯にわたり連れ添い、多くの子をもうけた伯爵と夫人の姿は、今も屋敷の壁に掲げられた肖像画に残る。壮年の伯爵に寄り添う夫人の笑顔は、十代の娘のように若々しく、その耳は細く尖り、人ならぬ素性を偲ばせる。


 その尖った耳の特徴を、それぞれに受け継ぐ一族の者たちは、彼女を「忘れじの母君」と呼び、深く敬い慕うのである。


 タグ「生き恥」は、もっぱら作者にかかります。こんな痛話を晒すとかもうね……orz


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[一言] ええ感じやわ サキュバスやからって情移ったら殺せるものちゃうしな 楽しかったです。
[一言] ほっこりさせて頂きました こういう話が好きなのかもしれません
2011/10/06 15:43 退会済み
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