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千の桜貝

掲載日:2026/06/07

「はい、到着」


浜辺の入り口に、一人の女性が立っていた。

その隣には、幼い少女。


少女は、前かがみになり、わずかに息を切らしていた。


「頑張ったね」


女性は少女の肩にそっと手を乗せた。


「体、つらい?」


「だいじょうぶ」


少女は下を見つめ、息を整えながら、答えた。


「あ」


少女が何かを拾い上げた。


「お母さん見て!きれい!」


片方の手のひらを、そっと母に向けた。

そこには、薄いピンク色をした、小さな貝殻。


「ほんとだ!綺麗だね」


母が娘の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。


「ね、これ何ていうか知ってる?」


「わかんない」


「桜貝っていうんだよ。お花の桜みたいでしょ?」


「ほんとだ……」


娘は手のひらの上の桜貝を指で撫でた。


「まいちゃん」


母が小さく娘の名を呼んだ。


「この貝はね、いっぱい集めるといいことがあるの」


「いいこと?」


「……神様がね、お願いを聞いてくれるの」


「ほんとに!?」


「うん。でもね、一日に一つしか拾っちゃいけないの。そうしないと神様が『ズルした』って、お願いを聞いてくれないんだよ」


「えぇっ、じゃあ、どのくらい集めればいいの?」


まいの問いかけに、母は「うーん」と空を見た。


「……千個、かな?」


「千個!?大変そう……」


そう答えたまいの手に、母はそっと自分の手を重ねた。


「そうだね。でも、お願いごとを叶えるのってそのぐらい大変なんだよ」


「そっか」


まいが小さく呟いた。


「じゃあ、そろそろ帰ろっか。行けそう?」


母が、まいの肩に軽く手を置いた。


「うん!」



翌日から、二人は毎日のように砂浜に来た。


数日浜辺に来なかった日のあと、まいが「一日二回きたら二個拾ってもいい?」と母に尋ねることもあった。

その問いに「それは、駄目かなぁ。一日一個まで、だね」と母が優しく答えた。



季節が巡っても、二人は変わらず浜辺に来て、桜貝を一つ拾って帰っていった。



ある日。

まいが一人で浜辺にやってくる。

母の姿はない。

いつものような笑顔もない。

ただ、いつものように桜貝を拾って、しばらく一人で海をながめて帰っていった。



翌日は、母も隣を歩いていた。

いつものように話しながら、いつものように貝を拾い、帰っていった。



次の日も二人。

しばらくして、一人。

また二人。

そして、一人——


やがて、少しずつ一人の日が増えていった。



数日あけて、母と二人。


「大丈夫?」


まいが母の手を取りながら「ここ、座る?」と声をかける。


「うん、ありがとね」


母がそっと、まいの髪に触れる。


「休んでてね」


まいはそう言うと、桜貝を探しに行く。

母は、その姿を目を細めてながめていた。



そして、また一人の日が続いた。



その日は雨だった。

カッパを着たまいが、浜辺に一人。

いつものように、しゃがんで桜貝を拾う。

そして、しゃがんだまま、じっとしていた。

雨の中、動かずに、ただ下を見つめていた。



その後も、まいは浜辺にやって来た。

一人で、桜貝を拾いに。



また一つ季節が変わる頃、桜貝を手に取ったまいが「あと、ひとつ」と小さく呟いた。


翌日も、まいは浜辺を訪れた。

桜貝を拾おうとして、止める。

一度、二度、拾おうとする。

その度に、手を止める。


そんな日が、続いた。



ある日。

まいが、浜辺で瓶を抱えて立っていた。

中にはたくさんの桜貝。

その瓶を砂の上に置くと、そのまま浜辺を後にした。


少しして、息を切らしたまいが戻ってきた。

そして、倒れるように瓶の前に座り込んだ。

両手で瓶を抱え込むと、そのまま、しばらく海を眺めていた。


まいは、一度置き去りにした瓶を持ちあげると、そのまま砂浜から立ち去って行った。


その日から、まいが浜辺に来ることはなかった。



それから、幾つもの季節が巡った頃。

浜辺で一人の女性が海をながめていた。

その隣には、幼い少女。

女性が何かをそっと拾い上げる。


「時間、かかっちゃった」


手のひらを見つめながら、小さく呟いた。

隣にいた少女が、不思議そうにながめている。


「それ、なぁに?」


「これはね——」


風が、二人の髪をそっと撫でた。


おわり

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