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希望 2150

 アフガン自治領の設置から、二十七年が経った。


 ステファナは現在、七十九歳。下院議員は十期目、外務大臣と経済開発大臣を兼ねている。


 ソラヤ・シャハラミは、自治領の設置式典を終えた翌日に息を引き取った。三十一歳だった。生前の望み通り、自治領最高の称号や地位が贈られたほか、デヴェーンドラの働きかけかインド中央政府からも勲章が授与された。


 三年前、インド政府は服属する各国に呼び掛け、「南アジア共同体」を設置した。加盟国は、イラク、オマーン、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド、バングラデシュ、ネパール、ブータン、モルディブ、スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、マレーシア、シンガポール、インドネシアの二十ヶ国。制度上だけでも対等になれば、格差解消への弾みになるのではという期待もあったが、それはみごとに裏切られた。この新しい制度は、インドの権威向上を大きく助けるだけのものだった。従来、国際法上は非合法な侵略者であったインド連邦が、地域統合のリーダーという体のいい称号を手にした、それだけだ。


 そして、年々ほんの少しずつではあるが、アフガニスタンの自治権は浸食されていった。


【連邦法は、自治領議会の定める法に優先する】


 自治領設置の条約に定められた、この一文のために、である。この条約は、新体制のもとでも「二ヶ国間地位協定」として効力を持ち続けていた。


 ステファナは、ニューデリーまで条約の改正交渉に出向いていた。しかし、アフガンの交渉団は門前払いに近しい対応を受け、ステファナは失意のなか特急列車での帰路についていた。


 パキスタンの大都市、ラホール。列車が故障を起こしたために、ステファナはこの街で一晩を過ごすことを余儀なくされた。半世紀近くが経って、今では核による傷跡もまばらになった。しかし、パキスタンはいまだ完全な復活を遂げてはいない。


「おばあちゃん、道案内しようか」


 みすぼらしい恰好の少年が、ひょこりと顔を出した。


「急いでいるから、ごめんなさい。宿はもう取ってあって、いまは散歩をしているだけだから」


「ちぇっ。今にも飢えて死んでしまいそうな子供に、小銭を恵むことすらケチるんだね」


 よく見れば、気丈にふるまっている少年は骨と皮ばかりの体型をしていた。


「胸に手を当てて、考えてみてください。あなたの大切な人に、ケチな自分を見せられますか」


 大切な人。最近では、もう思い出すことも少なくなってしまった。あのパラウは、どんな味をしていたのだろう。人生でもっとも輝いていた、取り返しのつかない時間を、自分がほとんど忘れかけてしまっていることに気が付いて、ステファナは愕然とした。


「大切な人、ね……」


「あなたの大切な人がいまのあなたを見て、何て言うでしょう」


 ナヴィードは、物乞いに気前よく施しを与えていた、ように思う。そんな経験があったかどうかすら、思い出せない。けれども彼は、きっと財布を空にして言うだろう。


『僕たちは、家に帰ってアイスでも食べよう』


 彼は、そんな人間なのだ。正義感と責任感が強く、明るくて、そして。


『いつか、世界じゅうの人を笑顔にしたい。君と仕事を始めるにあたって、僕の望むことはそれだけだ。今はまだ、目の前の人を助ける仕事くらいしかできないけれど。まずはこの国、そうしたら次は隣の国、そのまた隣の国……そしていつか、世界じゅうの平和を実現したい』


 あれから忙しくて、すっかり忘れてしまっていたけど。ナヴィードは、確かにそう言った。


「……どうぞ」


 財布から紙幣を三枚、少年に渡す。


「一枚はあなたが生きるため、一枚はあなたの大切な人を生かすため、そしてもう一枚は、あなたの未来のために使って」


 つむじ風のように駆け出した少年は、すこし先で立ち止まった。


「こう言うと、みんなたくさんくれるんだ」


 騙された、ということだろうか。少年を追い駆ける。ナヴィードの好きだった、健康な食生活というものを心がけてはいるけれど、やはり齢にはかなわない。走りつかれて立ち止まったとき、少年の声が聞こえた。もうずっと先へ行ってしまったのだろう、姿はうかがえなかった。


「これで、兄ちゃんの薬を買えるし、僕も今週は学校に行ける。ありがとね、おばあちゃん」


 空耳かもしれない。けれど、ステファナははっきりとその声を聞いた。


『みんなを、よろしくな』


 ナヴィードは最期、ステファナに「みんな」を託した。それは、ステファナ&ナヴィードの社員であり、アフガニスタンの国民であり、そして世界じゅうの人々だったのだ。




 政治から社会を変えることができないなら、他から変えればいい。


 世界すべてには手が届かないかもしれない。けれども、今なら隣の国には手が届く。


 起業家だったころの勘は、まだまだ衰えてはいない。


 人生は長い。今からでも、遅くはないだろう。


 気が付けば、ステファナはこれからのことを考えだしていた。


 とりあえず、蜂蜜をたっぷりかけたサラダと、手作りのパラウが食べたいな。


 〈終〉


 〈あとがき……かもしれない〉

 話の都合でインドが悪役になっています。この場を借りて謝罪いたします。申し訳ありません。インドは好きです。いつか行きたい。


 ステファナの今後が気になる方は、拙作『ゲオルネ・M・ンカリスクの旅路』(https://kakuyomu.jp/works/822139836960601653) および『宵闇と朝陽と、そしてもう一日』(https://kakuyomu.jp/works/16818622175026652625) をお読みください。


〈参考文献〉

『目で見る世界の国々59 アフガニスタン』ロジャース、国土社、二〇〇二年

『そして山々はこだました上・下』ホッセイニ、早川書房、二〇一四年

『ナショナルジオグラフィック世界の国 アフガニスタン』ウィットフィールド、ほるぷ出版、二〇〇九年

「インドの地方自治 ~日印自治体間交流のための基礎知識~」財団法人 自治体国際化協会、二〇〇七年、https://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/j27_new.pdf


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