熱論 2123
翌朝。ステファナは、宿舎の戸が叩かれる音に目を覚ました。
「ステファナさん、ナディムです。起きてください、緊急事態です」
ナディムのうわずった声に急かされ、慌てて身支度を終える。
廃工場の入り口から少し入ったところに、人だかりができていた。物見高い民兵たちを押しのけて前列に出る。長机の一辺に並んでいたのは、独立軍の幹部面々。とはいえ、そのほとんどとステファナは面識がなかったし、過半は名前すら知らなかった。その対辺に掛けていたのは……
「おお、ステファナ社長ではありませんか。お久しぶりです」
妙に鼻につくキングス・イングリッシュを使う、ステファナよりほんの少し年上の男。二十年前にステファナ&ナヴィードの買収交渉を担当した彼は、今では大きく出世していた。
「私はもう、社長ではありません」
「ともあれ、お久しぶりです」
独立軍の幹部の並びの端、唯一空いていた席に掛ける。これほど早くなるとは予期しようがなかった再会に、ステファナは顔をしかめた。
「それで、ソラヤさんは?」
「議長は、諸事情ありまして欠席です。われわれ代表団が、全権を任されています」
ソラヤの腹心、ラフマトが間髪いれずに答えた。
「なるほど。僕を前にして、暴走機関車になることを恐れたわけだ」
がり、とラフマトが歯をきしり合わせる音がした。
「インド軍のカブール総督、デヴェーンドラ・サマルジット・シンどの。結局、どのような要件でこのような朝早くからおいでになったのです」
苛立ちを隠そうとしないラフマトを、デヴェーンドラは冷ややかな目で見つめた。また、別の方向から発言が飛び込む。
「単身敵地に乗り込んだあなたの勇気には敬意を表しましょう。しかし、それは幾分無謀ではありませんかな」
「おっしゃる通りだ。して、あなたは」
いかにも熟練の士官といった風の、初老の男が口を開いた。
「カンダハール平和戦士団のミル・ラスーリです。儂らは、あなたを人質に取ることくらいはできる。それどころか、日頃の恨みのためにあなたを八つ裂きにするかもしれない」
「ご心配なく、僕は皆さんを信じています。愛国心と義侠心に満ち溢れたあなた方なら、評判を落とすだけの卑怯な真似は絶対にしないでしょう。それに、僕にも対抗手段はありますから」
言いながら机に飛び上がったデヴェーンドラは、反対側に座るラフマトを踊るように軽快な動きで左腕につかみ込むと、右手で腰元から引き抜いた太刀を彼の首筋に差し当てた。
デヴェーンドラへの警戒をまったく緩めていなかったにも関わらず、ラフマトは攻撃にまったく反応できずに、目をしばたいた。
「僕にも、このくらいはできますから」
「おい、放しやがれ!」
ラフマトが手足をばたつかせても、デヴェーンドラはびくともしない。
後方の兵士から銃を受け取ったミルが、敵に照準を合わせた。
「人質ごと撃てばすむ話です。それに、ここにいるものはみな命を失う覚悟は出来ています」
「僕も、奥歯に発信機を仕込んであります。合図ひとつでこの廃工場に、戦術核を仕込んだミサイルを落とせる。ここに乗り込んだ時点で死ぬ覚悟はあります。共倒れというのはセンスがない、建設的な議論をしましょう」
突然に解放されたラフマトは、勢いあまって地面に倒れ込んだ。悠々と太刀を鞘にしまうデヴェーンドラに殴りかかるわけにもいかず、しばらく辺りを見まわした彼はすごすごと席に戻った。
「さて、ミルさん。あなたを交渉の首班と考えてよろしいですかな」
「まあ、議長がいない状況ではそれも致し方ありませんな」
すこし嬉しそうに答えたミルは、すぐに表情をもとに戻した。
「それで、今日こちらにいらしたわけはなんでしょうか」
「ニューデリー政府から。本日、アフガン独立軍との最初で最後の交渉をおこなう。インド本国で日付が変わるまでに、あなた方が政権の満足できる条件を掲示できれば、それを呑むこともできる。
本来、交渉の権利を持たない違法組織であるあなた方への、最大限の譲歩だ。僕としても、無駄な血を流さずに済むのならそれに越したことはない」
「なるほど……儂らも、今すぐには主張の整理がつきません。しばしお待ちください」
「ええ、もちろん。最終的なタイムリミットは本日の二十三時、インド本土の時計が零時を指すその瞬間。ウィン・ウィンの結論をお待ちしていますよ。ああ、コーヒーを一杯いただけますかな」
「ああ、それはもちろん。よし、奥に戻って作戦会議といたしましょう」
「お疲れさまです、皆さん。部屋から見ていました。うっ、ごほっ」
「大丈夫ですか、ソラヤさん」
ソラヤの、昨日よりいちだんと激しい咳に、顔面を蒼白にしたラフマトが駆け寄る。
「そういえば、ソラヤ議長はどうして欠席を」
役職上はともかく、じっさいこの場でいちばんの権力者は自分だと自信を持ったのだろう。ミルの咎めるような質問に、ラフマトひとりだけが怒りの目を向けた。
「わたしが冷静さを失う、というのも一つです。しかしそれ以上に、欠席はわたしの健康状態に依るものが大きいのです。わたしの病状の深刻さは外部に隠されていますから、彼に知られてしまってはこちらの立場が不利になる。それと、あまり言いたくはないのですが……わたしは、英語が話せないんです。この場にいる方はみなさんわたしの経歴をご存じでしょうが、わたしは、小学校の途中で戦災に見舞われて以来、学校教育をまともに受けていないので。読み書きは辛うじて独学で身に着けましたが、話す方はどうにも。わたしが舐められることで自治の獲得が遠のくなら、むしろ姿を見せない方が有効だと判断しました」
「なるほど」
「それでは、うっ、自治獲得に向けた交渉案を作りましょう。ラフマト、現状の案を」
「はい。アフガニスタンの自治回復にあたり、現在提出されている案をまとめました。
こちらの要求についての案は二通りあります。内政への干渉を認めない政治的に完全な自治か、現状の不公正な選挙制度の改善と本土の州と同等の限定的な自治か。
こちらからインド政府側に提供できるものは六つ。まず、特に重大なものを挙げます。
はじめに、われわれアフガン独立軍の解散。自治政府が確立するまで武力を維持することを認めさせつつ、それ以降は公式な自治領兵に移行します。われわれの安全を保障させる文面も必要との意見が多いです。
次に、アフガンからの徴税権の保証。インド本土では州政府のものになる鉱産税、通行税、奢侈税、農業関係の税、電力関係の税などを手放すというものです。しかし、もともとマイナーなものが大半の州税をさらに貢納して、自治政府の財源が確保できるかは甚だ疑問です。じっさい、インド本国の州は多くがその収入を中央政府からの補助に頼っています。
それから、アフガンの一部地域をインドの支配下に残す、という案もあります。人口密度の極端に低いワハン回廊などが候補に挙がりましたが、少数とはいえ住民を切り捨てることへの忌避感が強く現実的ではありません。
最後に、この国に眠る地下資源の採掘権です。前世紀の高度経済成長期に多くの鉱山は底をついています。しかし、採掘効率が悪く後回しにされていた中小規模のところにはまだまだ資源が残っている。この二十年間、インド企業は何度もアフガンの鉱山に挑んでは、地元住民の妨害に耐えかねて撤退してきた。そのことを鑑みれば向こうにとっても十分魅力的な提案に映るでしょう。これまでは、まともな採掘ができずにいたわけですから。
その他にも、インド産兵器の購入やイランや中央アジアとの国境の軍事基地提供などといった案が出されました。これらをうまく組み合わせた上で先方に提示します」
「というわけです。わたしとしては、完全独立案を目標とし、領土割譲は度外視として、逐次交渉してもらえたら、と思っています。皆さんの忌憚なきご意見をぜひ、うっ、ぐはっ」
ソラヤが、ソファに倒れ込む。幹部の面々が顔を見合わせた。まず、ソラヤに次ぐリーダー格といった調子で、ミルが手を挙げる。
「完全独立案は、どうも非現実的に思えます。一般の州と同等か、それより少し進んだ自治を目指すべきでしょう」
異論、反論、擁護、多方からつぎつぎに飛び出す意見に、部屋はにわかに騒がしくなった。しかし、ステファナが恐る恐る手を挙げると、室内は水を打ったように静まりかえった。ステファナが引退してから二十年。ナディムやラフマトら若い世代は、彼女のことを知らない。
しかし、ソラヤ以上の世代にとって、高度成長後期の象徴ともいえるステファナの姿は、強烈な原体験であった。彼女はたんなる起業家ではなかった。彼女の持つ圧倒的なカリスマ性は、ソーシャルメディアを通じて再生産された。
もっとも、ステファナ自身はそういったことにまったく無頓着だった。世間への広報はむしろ、ナヴィードの仕事だったのだ。
ともあれ、ステファナの第一声は誰にも遮られることはなかった。
「私は、もと経済人という立場から発言をしたいです。見たところこの案は、軍人である皆さんらしいものになっているので。それが悪い、というわけではありませんが」
「ぜひ、聞かせてください。あなたを呼んだのは、このときのためなのですから」
「それでは。まず……」
ステファナの提案はおおむね受け入れられた。手の空いているメンバーはありったけ動員されて、細かい内容が煮詰められていく。
「そう、それから……」
ソラヤが、しゃがれた喉を振り絞って指示を出す。ステファナが手柄を挙げたことをよく思わないラフマトも、大きな目標のために動き出した。幹部から一般の戦闘員、末端の見習いまで。交渉のため、締め切りを遅らせることはできない。九時過ぎからはじまった作業は、十五時には切り上げられた。ほとんどが素人によって作られた資料は、字体も文体も不揃いで、けれども故国を助けようという、気概と情熱に満ちあふれていた。




