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第47章 崩れゆく城塞

挿絵(By みてみん)


 タイヤが砂利を踏みしめる音が、まるで乾いた骨を砕くかのように響いた。


 ブラウィジャヤ邸の駐車場。かつては高級車が並んでいたこの場所も、今では手入れの行き届かない庭木の影が落ちるだけの寒々しい空間と化している。私はハンドルを握る手に力を込め、エンジンを切るのをためらっていた。


 助手席のディオは静かだった。彼は不安げでもなければ、緊張しているようでもない。ただ、黄色がかった庭園灯の下で傲慢にそびえ立つチーク材の巨大な扉を、静謐な瞳で見つめていた。


「覚悟はいいか?」


 彼のバリトンボイスが車内の静寂を切り裂き、漂流しかけていた私の意識を現実に引き戻す。


 私は強張った首を縦に振った。


「覚悟なんて……できるわけないわ。あそこはライオンの檻よ」


「俺がいる」


 短く、しかし重みのあるその言葉だけで、止まりかけていた息を、ようやく吹き返した。


 車を降りる。ケバヨラン・バルの湿った夜気が肌にまとわりつく。そこには雨上がりの土の匂いと、あまりにも馴染み深いジャスミンの香りが混じっていた。母の香水の匂いだ。鋭く、支配的で、嵐の前の警告のように鼻腔を刺激する。


 ロビーの冷たい大理石の上で、私たちの足音が虚しく反響した。この家の雰囲気は変わっていない。隅に置かれた人間ほどの高さがある古時計が、威圧的なリズムを刻んでいる。


 カチ、コチ、カチ、コチ。


 その一秒一秒が、爆発へのカウントダウンのように思えた。


「こんばんは、エララお嬢様。ディオ様」


 使用人が囁くように挨拶をする。この家で大きな声を出すことは大罪であるかのように。「旦那様と奥様は、ダイニングでお待ちです」


 私はディオを見上げた。彼は礼儀正しく頷き、私の冷え切った指先を一瞬だけ強く握りしめた。その掌の熱だけが、この氷のような空間における唯一の救いだった。


 ダイニングルームの重厚な扉が開く。


 そこにある長いテーブルは、純白のレースのクロスと銀食器でカモフラージュされた戦場そのものだった。


 母、インディラはテーブルの端、上座に座っていた。その背筋は鋼鉄の定規のように真っ直ぐで、完璧に結い上げられた髪からは一本の後れ毛さえ許されていない。漂うジャスミンの香りが、テーブルに置かれたアスパラガススープの湯気と混ざり合い、息苦しいほどの密度を作り出している。


 父、ラフリはその右側に座っていた。先日オフィスで会った時よりは身なりを整えているものの、顔に刻まれた深い疲労の色は、薄いファンデーションでは隠しきれていなかった。


「お座りなさい」


 母は顔も上げずに命じた。その視線は目の前の磁器の皿に釘付けになっている。


 私たちは父の向かい側に座った。即座に沈黙が支配する。スプーンが陶器に当たる微かな音だけが、神経を逆撫でするように響いた。


「それで……」


 ようやく母が顔を上げた。その鋭い視線が、ディオの頭の先から爪の先までをスキャンする。それは普段、馴染みのブティックでシルクの品質を鑑定する時の目つきだった。


「この男が、あなたに家族への反逆をそそのかしたのね、エララ?」


 私はスプーンを置いた。カチャン、と少し大きすぎる音が鳴る。


「彼の名前はディオよ、お母さん。それに、私は反逆なんてしていない。自分の人生を選んだだけ」


 母は鼻で笑った。乾いた、侮蔑に満ちた笑いだった。彼女は唇の端を歪め、刺すような視線をディオに向けた。


「ディオ……何といったかしら? アトマンタ?」


 母はわざとらしい優雅さで水を一口含んだ。


「セノパティでカフェを経営しているそうね。可愛らしいご商売だこと。趣味にしては上出来ね」


 ディオは動じなかった。挑発には乗らない。


「趣味ではありません、インディラさん。あれは私の生業です」


「生業?」


 母は片方の眉を吊り上げた。


「エララ、聞いた? あなたはレイ・ダルヴィアン――ダルヴィアン・トレーディングの唯一の相続人――との輝かしい未来を捨てて、こんな……コーヒーを淹れるだけの男を選んだの?」


『コーヒーを淹れるだけの男』という言葉は、まるでそれが家系図に付いた汚点であるかのように、極めて低い声で吐き捨てられた。


「今夜、あなたがへまをしなければ、レイはあなたの夫になるはずだったのよ」


 母の声が次第に高くなる。


「彼にはすべてがあった。権力、資産、名声。それに比べて、この隣の男は何を持っているの? 毎日あなたの服に染み付くカフェインの匂い以外に、何を提供できるというの?」


 怒りで血が煮えくり返るような感覚に襲われた。視界が熱くなる。


「いい加減にして、お母さん! ディオは、腐りきったレイの資産なんかよりずっと価値がある人よ!」


「価値ですって?」


 母は冷笑した。


「この世にはね、プライドで支払える借金なんてないのよ! ベクター・ホールディングスとかいう会社が、なぜか救いの手を差し伸べてくれたから良かったものの、あなたが私の社交界での顔に泥を塗った事実は変わらないわ!」


 私は椅子を蹴るようにして立ち上がろうとした。もう限界だった。愛する人が、目の前でこれほどまでに侮辱されるのを黙って見ていることなどできない。


「ディオ、行こう。こんなところ――」


 バンッ!


 凄まじい音が炸裂し、私の言葉を遮った。


 テーブルの上のクリスタルグラスが激しく震え、耳をつんざくような共鳴音を立てる。


 全員が息を呑んだ。視線がテーブルの端に集まる。


 父が、立ち上がっていた。


 呼吸は荒く、いつもは蒼白な顔が怒りで赤黒く染まっている。テーブルに叩きつけられた手は、爆発した感情の余波で小刻みに震えていた。


「いい加減にしろ、インディラ!!」


 父の怒号が、高い天井のダイニングルームに雷鳴のように轟いた。


 母は口を半開きにして凍り付いた。信じられないものを見る目で夫を見つめている。数十年間、父は従順な男だった。母の野心と見栄の前で、常に自分の意見を飲み込んできた男だったのだ。


「お父さん……?」


 私は驚きのあまり、掠れた声を漏らした。


 父は私を見なかった。その目は、母だけを射抜いていた。


「我が家の客人を侮辱するのはやめろ! 我々が娘を捨てた時、彼女を守ってくれた男を侮辱するのはやめろ!」


 父は震える指で私を指差した。


「私は会社の経営権を失った。債権者たちの前でプライドも失った。だがな、インディラ。お前の空っぽな見栄のために、これ以上娘を失うつもりはない!」


 母が何か言おうとして、唇を震わせた。


「でもラフリ、レイは……」


「レイはクズだ!!」


 父は容赦なく切り捨てた。


「あいつが会社を締め上げたんだ! あいつが我々を破滅させようとしたんだ! 金を持っているというだけで、まだあんな男を崇拝するのか!?」


 父の視線がディオに移る。その瞳から怒りの色が消え、代わりに深い恥辱の色が浮かんだ。


「ディオ君……すまない。妻の無礼を、この家族の愚かさを許してくれ」


 そして父は私を見た。疲れ切ったその目に、涙が滲んでいる。父はテーブルを回り込み、私に近づいてきた。


「エララ……許してくれ」


 絞り出すような声だった。


「父さんは臆病者だった。貧乏になるのが怖くて、失敗するのが怖くて、お前を生贄にしようとした」


 父の手が私の肩に置かれる。その感触は、驚くほど脆く、そして温かかった。


「だが、目が覚めたよ。会社なんてただの箱だ。ベクター・ホールディングスがすべてを引き取ってくれたおかげで……不思議なことに、私は自由を感じている。もう、偉大な実業家のふりをする必要はないんだ」


 父は再びディオを見た。今度は探るような、しかし敬意を含んだ眼差しだった。


「エララが君といて幸せなら、私にはそれで十分だ。億万長者の婿なんていらない。私はただ、娘がまた笑ってくれればそれでいい」


 母が椅子に崩れ落ちた。まるで空気が抜けた風船のようだった。絶対的だった支配力は、弱者だと思っていた夫の反乱によって一瞬にして崩壊した。彼女は一言も発せず、膝の上のナプキンを虚ろな目で見つめている。


 私はもう耐えきれなかった。父の胸に飛び込み、しがみつく。これまで押し殺してきた痛み、失望、そして渇望していた愛情が涙となって溢れ出した。


「ありがとう、お父さん……ありがとう……」


 父は私の髪を撫でた。私がまだ小さかった頃にしてくれたように。


「もういいんだ。泣かないでくれ。お前は家に帰ってきたんだから」


 ディオが私たちの横に立っていた。彼は何も言わなかったが、その存在は岩のように揺るぎなかった。彼はそっと父の肩に手を置く。それは言葉を超えた、男同士の敬意の印だった。


 ベクター・ホールディングスの真の所有者が誰なのか、父は知らない。ディオもそれを口にはしなかった。ただ、その沈黙の中に、深い慈悲があった。


 熱を帯びていたダイニングルームの空気が、ゆっくりと人間的な温度へと下がっていく。


 コン、コン、コン。


 玄関の方から慌ただしい足音が聞こえ、続いて聞き覚えのある甲高い声が響いた。


「来たわよー! ご飯はどこ!?」


 アルナ姉さんがダイニングの入り口に現れた。ゆったりとしたマタニティドレスを身にまとい、その後ろには大きなケーキの箱を持ったナタン義兄さんが続いている。


 姉さんは室内の異様な光景を見て、足を止めた。抱き合う私と父、そして項垂れる母を交互に見る。


「あら……私、花火大会を見逃しちゃった感じ?」


 姉さんは空気を読まず、明るく言い放った。


 ナタン義兄さんが妻の肘を軽くつつく。


「シッ、アルナ。口を慎め」


 父が微かに笑った。それは本当に久しぶりに見る、父の心からの笑顔だった。


「入りなさい、アルナ、ナタン。本当の夕食は、これからだ」


 姉さんは歩み寄り、私を軽くハグしてから、ディオの肩をバシッと叩いた。


「どう? 生きてる? 皿は飛んでこなかった?」


 ディオが小さく笑う。


「無事ですよ、アルナさん」


 私たちは席に着き直した。ナタン義兄さんが持ってきたプレミアム・ラピス・レギットの箱を開ける。姉さんは妊娠中の出来事について機関銃のように喋り始め、無理やり母を会話に引きずり込んだ。ベビー用品の話を振られた母は、戸惑いながらも少しずつ口を開き始めた。


 堅牢だったブラウィジャヤの城塞に亀裂が入り、崩れ落ちていく。そしてその瓦礫の下から、私が夢にまで見た「家族」の温もりが顔を出し始めていた。


 夜が更けていく。裏庭からは虫の声が聞こえ、古時計の音も今では威圧的ではなく、穏やかなリズムとして響いている。


 私たちはリビングに移動していた。母も少し落ち着きを取り戻していたが、ディオと同じソファに座るその姿にはまだぎこちなさが残っている。


「それで……ディオさん」


 母が口を開いた。声はまだ硬いが、そこにかつてのような毒はなかった。


「そのカフェというのは……セノパティという立地で、本当に利益が出ているの?」


 ディオはティーカップをソーサーに戻した。


「ライラを育て、エララにふさわしい未来を用意できる程度には」


 母はゆっくりと頷き、カップの縁を指でなぞった。


「そう。まあ……少なくとも場所は悪くないわね。私もあそこの近くの集まりにはよく行くのよ」


 それは、エリート層以外の人間に向けて母が言える、精一杯の賛辞だった。私はディオを見た。彼は片目を閉じて、私にウインクを送った。


 父は一人掛けの椅子に座り、温かいお茶をすすりながら、穏やかな顔で私たち全員を眺めていた。まるで、この稀有な瞬間を記憶に焼き付けようとしているかのように。


 私はディオの肩に頭を預け、その確かな体温を感じた。色褪せ始めたかつての栄光の中で、私はようやく本当の意味で家族を取り戻したのだと感じていた。


 カップの中の紅茶が細い湯気を立てている。今夜、ブラウィジャヤの城塞は崩れ去った。だが、その廃墟の上には、大理石や黄金よりも遥かに強固な何かが、確かに芽吹き始めていた。

第 47 章をお読みいただき、ありがとうございます。

今回はエララの家族との重要な転換点でした。

皆さんのご感想をコメントでいただけると幸いです。

続きが気になる方は、ぜひブックマークをお願いします。

次回もどうぞお楽しみに。

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