第83話 アイス・セブン
放課後。
俺は大学部の研究棟にある、お兄ちゃんの研究室を訪ねていた。
「ようヒロ、いらっしゃい」
「あら、来たわね」
部屋に入ると、白衣姿のお兄ちゃんと、なぜか我が物顔でソファに座りコーヒーを飲んでいるエレノア先生がいた。
先生曰く、「ここのコーヒーメーカーが一番美味しい」らしい。
「で、今日は何の相談だ? また変な魔法を思いついたのか?」
お兄ちゃんが苦笑しながら椅子を勧めてくれた。
俺は先日成功した『プラズマ・ランス』の話をし、そこから導き出された仮説をぶつけた。
「魔法ってさ、単純に『圧縮』するだけで、とんでもない威力になるんじゃないかと思って。
前回は火でやったけど、他の属性でも試したいんだ」
俺の言葉が終わるか終わらないかのタイミングだった。
――ビリリッ。
空間が震えた。
俺の背後の空間から、凄まじい「圧」が漏れ出してきたのだ。
黄金の雷光のようなプレッシャー。
そして脳内に直接、重低音が響いてくる。
『(……ヒロよ。次は我の番であろうな?)』
姿は見えない。召喚していないからだ。
だが、召喚空間の向こう側から、イカヅチが猛烈にこちらを睨んでいるのが分かる。
「我の雷を使えば最強だ」「早くやれ」「我慢ならん」という思念がビシビシ伝わってくる。
「……あー、なんか耳鳴りがするな」
俺は聞こえないフリをして、お兄ちゃんに向き直った。
「それでさ、イカヅチの雷なんだけど……どう思う?」
お兄ちゃんは少し考えてから、困ったように眉を下げた。
「結論から言うと、理論上は可能だ。
雷……つまり電気エネルギーを空間圧縮して『球電』に近い状態にする。
だが、それを開放した瞬間に発生するのは……凄まじい『EMP(電磁パルス)』だ」
「イーエムピー?」
「ああ。強力な電磁波の嵐だ。
もし学校でそれをやれば、セキュリティシステム、結界の制御盤、範囲内のスマホ、サーバーのデータ……これらが一瞬で『ジュッ』といってスクラップになる」
「うわ……」
「復旧不可能なレベルでな。
イカヅチの『美しき奥義』は、現代社会にとっては『文明のリセットボタン』になりかねない」
お兄ちゃんは真顔で言った。
「ヒロ。一介の生徒が賠償できる額じゃないぞ?
何十億、いや何百億になるか……」
「…………」
俺はゆっくりと視線を落とし、背後(召喚空間)に向けて心の中で手を合わせた。
(……ごめんねイカヅチ。披露する機会は無さそうだ)
――ズーン。
空間の向こうから、世界の終わりのような落胆の気配が伝わってきた気がしたが、無視した。
金には代えられない。
◇◇◇
「なら、水はどうだ?
昨日の授業で圧縮した水弾を使ったけど、もっと圧力をかければ……」
「ああ、それなら面白い現象が起きるぞ」
お兄ちゃんはホワイトボードに図を書き始めた。
「水は、温度を下げなくても、数万気圧(約2〜3ギガパスカル)の圧力をかけるだけで、常温のままカチカチの『氷』になるんだ」
「えっ、凍ってないのに氷になるの?」
「物質としての相転移だな。これを科学用語で『氷VII』と呼ぶ」
「――ッ!!」
俺の中に電流が走った。
「あ、アイス・セブン……!?
なにそれ、めちゃくちゃかっこいい……!」
中二心が激しく揺さぶられる響きだ。
ただの氷じゃない。第七の氷。やばすぎる。
「でもなヒロ。数万気圧っていうのは、地球の深部のような環境だ。
それを魔法で再現するのは、魔力消費が桁違いだぞ?」
「ああ、物理的にプレスするならそうだろうね。
でも僕がやるのは、『空間の圧縮』だから」
俺は空間魔法を展開し、手元の空気中から集めた水球を、見えない『檻』に閉じ込めた。
「ここと、ここの座標を……こうやって縮めるだけ」
俺は指先をキュッとつまむような動作をした。
力なんて要らない。
ただ、空間の定義を書き換えて、体積をゼロに近づけるだけだ。
すると。
バギィッ!!
硬質な音が響き、透明だった水球が、一瞬で幾何学的な模様を描く結晶体へと変貌した。
熱いわけでも冷たいわけでもない。常温のまま固定された、鋼鉄より硬い水の塊。
「できた……これが、『氷VII』!」
お兄ちゃんがポカンと口を開けている。
だが、すぐに真剣な表情に戻り、鋭く言った。
「……おいヒロ。それ、維持してる間は『最強の盾』だが、空間の固定を解いたらどうなるか分かってるな?」
「え?」
「一瞬で元の体積に戻ろうとして、散弾銃みたいに弾け飛ぶぞ。扱いには気をつけろよ」
「マジで……?
じゃあ、このまま保存してコレクションに……」
「残念だがそれは『普通の氷』として保存はできないぞ」
「え、なんで? 熱は抜いたよ?」
俺は首を傾げた。普通の氷なら、断熱しておけばしばらく保つはずだ。
「『密度』だよ。アイス・セブンは普通の氷より、倍近く重いんだ。
空間のプレスを解けば、リバウンドで一気に膨らむ。
……試しに、そこの実験用コップの中で解除してみろ」
「うん。……解除」
俺は空間の檻を解いた。
バフッ!!
小さな破裂音と共に、硬かったはずの氷が一瞬で白い粉になり、ふわりと消えて水に戻った。
まるで最初から何もなかったかのようだ。
「うわ、消えた……」
「普通の氷は水より体積が増えるけれど、アイス・セブンは逆に縮こまっているの」
コーヒーカップを置いたエレノア先生が補足した。
「だから、常温常圧の世界に戻した瞬間、耐えきれずに自己崩壊(自爆)するわ。
……ま、証拠が残らない暗殺向きの凶器ね」
先生がさらりと怖いことを言う。
暗殺向きって。
「さて、と」
先生は椅子から立ち上がると、お兄ちゃんからペンを奪ってホワイトボードに一つの数式を書いた。
『 Rs = 2GM / c^2 』
「シュバルツシルト半径……聞いたことあるかしら?」
「いえ、特には」
「そう。なら、簡単に説明するわね」
先生はペン先をコツコツと鳴らした。
「貴方は今、空気や水を空間ごと圧縮して、熱を出したり氷を作ったりして喜んでいるけれど……。
もし貴方が、うっかり『土』や『鉄』のような重い質量を持つ物質を、極限まで圧縮し続けたらどうなると思う?」
「えっと……すごく硬くなる?」
「甘いわ」
先生の眼鏡がキラリと光った。
「ある一定のサイズを超えて小さく圧縮された物質は、自らの重力に耐えきれず、崩壊を始める。
そして、光さえも脱出できない『穴』が生まれるの」
「光も脱出できない……それって」
「ええ。ブラックホールよ」
俺は思わず息を呑んだ。
SF映画とかで見る、あの?
「貴方の空間魔法は、『空間の座標そのもの』を縮めている。
これは物理的な圧縮よりも遥かに効率よく、その領域に踏み込めてしまうのよ。
もし貴方が、山一つの質量を、ビー玉サイズまで『うっかり』圧縮してしまったら……」
先生は俺の顔を覗き込み、低く囁いた。
「この地球ごと、飲み込まれて終わりよ」
「…………」
背筋が凍った。
俺はそんな、ボタン一つで地球を消せるスイッチを持っていたのか。
手のひらの実験が、急に恐ろしいものに思えてきた。
「ま、今の貴方の魔力と演算能力じゃ、そこまでの密度を作る前に脳が焼き切れるでしょうけど」
先生はふっと笑って、肩をすくめた。
「でも、覚えておきなさい。
空間を歪めるということは、『重力』を生み出し、『時間』さえも狂わせるということ。
貴方の能力は、ただの爆弾作りには収まらない……もっと恐ろしい『神の領域』の力なのよ」
「……はい、肝に銘じます」
俺は冷や汗を拭った。
科学と魔法。その境界線にある深淵を覗き込んだ気分だ。
――プルルルルッ!
その時、静まり返った研究室に、俺のスマホの着信音が鳴り響いた。
あまりのタイミングに、ビクッと肩が跳ねる。
画面を見ると、『薬師寺アリサ』の名前。
「……もしもし?」
俺は気まずさを誤魔化すように電話に出た。
しかし。
『――ヒロ様』
聞こえてきたのは、いつもの明るい声ではなく、切羽詰まった低い声だった。
『緊急事態ですわ。……「奴」が、動きました』
「え……?」
『教会のトップ……教皇です。
極秘裏に来日したとの情報が入りました』
さっきまでのアカデミックな空気が、一瞬で霧散する。
『奴らの向かっている先は東京ではありません。
……三重県、「伊勢」ですわ』
俺はスマホを握りしめ、お兄ちゃんと先生を見た。
二人の表情も、俺の様子を見て険しくなる。
神の領域の話をしていた矢先に、神を騙る者たちが動き出した。
平和な日常は、唐突に終わりを告げたのだ。




