第79話 月夜の予感
長崎の港からフェリーに揺られること数時間。
潮の香りと共に、僕たちは祖父の住む五島列島へと到着した。
「おう! よう来たばい! 待ちくたびれたぞ!」
港で出迎えてくれたおじいちゃんは、相変わらず声が大きく、肌は日焼けして真っ黒だった。
御年七十を超えているはずだが、背筋はピンと伸びている。
「久しぶり、おじいちゃん」
僕とお兄ちゃんが挨拶した後、少し緊張気味の二人を紹介した。
「えっと、こっちが新しい家族の……」
そこには、デパートで買ってもらった新品の服と、お母さんの手でバッチリメイクを施されたフレアとシラユキがいた。
フレアは真紅のワンピースで華やかに、シラユキは清楚なブラウスとスカートで可憐に。
田舎の港には不釣り合いなほどの、圧倒的なオーラを放っている。
『ごきげんよう、おじい様』
『お、お世話になります……』
二人がぺこりと頭を下げた瞬間。
「…………っ!!」
おじいちゃんが目を見開き、硬直した。
「な、なんと……天女様ごたる……!?」
あまりの衝撃にのけ反った、その時だった。
グキッ。
嫌な音がした。
「ぐあぁぁぁっ!? わ、ワシの腰がぁぁぁ!!」
「おじいちゃん!?」
再会して五秒で、おじいちゃんが崩れ落ちた。
美女の衝撃に耐えきれなかったらしい。
「じいちゃん、動かないで!」
すぐに動いたのはお兄ちゃんだった。
スッと手をかざし、真剣な表情で魔力を練り上げる。
「『治癒』!」
淡い緑色の光がおじいちゃんの腰を包み込む。
学校で習得した、初歩的な治癒魔法だ。
「お、おお……? 痛みが、引いていくばい……」
おじいちゃんがおそるおそる腰を伸ばす。
「凄かぞカイト! お前、魔法使いになったとね!」
「まあね。これくらい基本だよ」
お兄ちゃんは少し照れくさそうに鼻を擦った。
おじいちゃんは感動した様子で、何度も頷いている。
「いやぁ、孫が立派になって……。
よし! 近所の連中に自慢してくるばい!」
全快したおじいちゃんは、ものすごいスピードで走り去っていった。
元気すぎる。
◇◇◇
それから十分後。
おじいちゃんの家の前は、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
「おい聞いたか!? ベッピンさんが来たってよ!」
「天女様げな!? 拝ませてくれ!」
おじいちゃんの拡声器並みの声を聞きつけ、近所のおじちゃんやおばちゃんが集結してしまったのだ。
「あら、ベッピンさんだなんて……」
お母さんが「やだもう」と言いながら、まんざらでもない顔で前に出ようとした。
「私かしら? 参っちゃうわねぇ」
「お前は引っ込んどけ!!」
おじいちゃんが食い気味に怒鳴った。
「えぇー……」
「ワシが言うとるのは、こっちの天女様たちたい!」
お母さんがすごすごと引き下がる横で、島の人々はフレアとシラユキを見て「おおぉ……」と溜息を漏らした。
「こりゃ凄か……ほんとに天女様ばい」
「拝んどこ、拝んどこ」
なぜか合掌され始めている。
そして、田舎特有の「おもてなしラッシュ」が始まった。
「これ食え! 朝採れた大根ばい!」
「こっちはブリたい! さっき釣ってきた!」
次々と押し付けられる野菜や魚。
フレアたちは目を白黒させている。
『え、あの、お代は……?』
「いらんいらん! 持って行くがよか!」
そこへ、お母さんがドサクサに紛れて口を挟んだ。
「あら皆さん、ありがとう!
でもね、この子たち、とってもお上品で『お茶』が趣味なのよ〜。
さっきも可愛いティーセットば買うてきたばかりで……」
お母さんのエセ方言交じりの言葉に、一人の農家風のおじさんが反応した。
「なに! お茶ね!
そいなら任せろ! 東彼杵の親戚がお茶農家やっとるんじゃ!」
おじさんは軽トラの荷台から、段ボール箱を下ろした。
「最高級の『そのぎ茶』の新茶たい!
売るほどあるけん、全部持って行け!」
『えええ!?』
渡されたのは、小袋ではなくキロ単位の茶葉だった。
一生分くらいあるんじゃないだろうか。
『こ、こんなに……?
人間の……いえ、島の皆様の愛が重いですわ……』
シラユキが野菜とお茶の山に埋もれながら、嬉しい悲鳴を上げていた。
◇◇◇
夜。
ようやく騒ぎが収まり、家の中は静けさを取り戻していた。
精霊たちはお母さんと一緒にお茶(大量にある)を楽しんでいる。
僕は一人、縁側に出て夜風に当たっていた。
隣には、パイプをふかしているおじいちゃんがいる。
「……ふぅ。賑やかな一日やったな」
「ごめんね、騒がしくして」
「なんの。家は賑やかな方がよか」
おじいちゃんは笑って、煙を吐き出した。
僕はなんとなく、夜空を見上げた。
そこには、満天の星と、海を照らす大きな月があった。
「……なんか」
僕は目を細めた。
都会で見る月よりも、ずっと大きく、そして明るく見える。
海面に映る月の道が、どこか遠くの異界へ繋がっているような……そんな不思議な感覚。
「ここの月って、すごく綺麗だよね。
なんか……吸い込まれそうっていうか」
「そうか? ワシにゃあ、いつも通りたい」
おじいちゃんは夜空を見上げて、いつもの調子で言った。
でも、ふと思い出したように呟く。
「ま、この辺の海は、昔から『神様』が通る道だとも言うしな。
月も近く感じるかもしれん」
「……神様の、通り道」
僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
美しい景色のはずなのに、背筋がゾクリとする。
僕にとって「神様」というのは、ロクな思い出がない相手だ。
幼い僕を殺そうとした雷神。人々に歪んだ信仰を植え付けた教会。
この美しく輝く月も、もしかしたら僕たちを監視している「何か」の目なんじゃないか――。
そんな嫌な予感がよぎり、僕は思わず身震いをした。
どうか、これ以上厄介ごとは起きませんように。
僕は心の中でそう祈りながら、早足で部屋へと戻った。




