第76話 重すぎる贈り物
ヴァイスラントでの激闘から、もうすっかり日常に戻り、数日が過ぎたある日。
寮の同部屋で、親友のユウスケが参考書片手にさらりと言った。
「なあヒロ。お前、来週の学年末テストの勉強、進んでるか?」
「……え?」
僕は飲んでいた麦茶を吹き出しそうになった。
「て、テスト? 来週?」
「当たり前だろ。もう学期末だぞ。
俺は今回、学年順位一桁……いや、4位以内を狙いたいから必死なんだよ」
「よ、4位……?」
そうだった。こいつ、座学も実技もトップクラスの超優等生なんだった。
一方、僕はというと。
精霊との契約やら海外遠征やらで、授業の内容が頭からスッポリ抜け落ちている。
「や、やばい……赤点取ったら補習だよね? 春休み返上だよね?」
「当然だろ。まさかお前、何もやってないのか?」
「ユウスケ先生!!」
僕は土下座の勢いでユウスケに泣きついた。
「お願いします! 僕に勉強を教えてください!
このままじゃ進級できない!」
「はぁ……しょうがねえなぁ」
ユウスケは呆れつつも、ノートを開いてくれた。
持つべきものは賢い友だ。
◇◇◇
それからの数日間は地獄だった。
魔法の制御なら感覚でなんとかなるが、数学や魔法史はそうはいかない。
「違うヒロ、ここの魔術式展開は因数分解と同じだと言っただろ」
「うぅ……xとyが踊ってるように見える……」
深夜まで続くスパルタ指導。
時折、隣の部屋からお兄ちゃんが様子を見に来ては、
「お、やってるなー。俺はもう範囲終わったから寝るわ」
と余裕の笑顔で去っていく。お兄ちゃんも要領がいいから成績は上位なのだ。悔しい。
そして迎えたテスト当日。
僕は鉛筆を転がす音と、灰になるほど燃え尽きた脳みそと共に戦い抜いた。
数日後、結果発表。
一之瀬ヒロ:全教科、平均点+2点。
「……勝った」
僕は掲示板の前でガッツポーズをした。
ギリギリだ。本当にギリギリだが、赤点は回避した。
ちなみにユウスケは宣言通り学年4位だった。凄すぎる。
◇◇◇
そして、待ちに待った春休み。
僕とお兄ちゃんは、実家のある九州へ帰省するため、荷物をまとめて校門へ向かった。
するとそこには。
「あら、奇遇ね一之瀬君」
私服にサングラス、そして巨大なキャリーケースを引いたエレノア先生が立っていた。
「先生、どこ行くんですか?」
「九州よ。温泉と美味しいご飯が私を呼んでいるの」
「……仕事は?」
「テストの採点は終わったわ! 私は自由よ!」
先生が高らかに宣言した直後。
背後から校長先生の手が伸び、ガシッと肩を掴んだ。
「エレノア先生。来年度のカリキュラム作成と、予算申請の書類が山積みですよ」
「い、嫌ぁぁぁ! 私は休みたいのぉぉぉ!」
ズルズルと校舎へ引きずられていく先生を見送り、僕たちは苦笑しながらバスに乗り込んだ。
◇◇◇
飛行機と電車を乗り継ぎ、数時間後。
僕たちは九州の実家に到着した。
「ただいまー」
玄関を開けると、そこには異様な光景が広がっていた。
「あ、ヒロ、カイト。おかえり……でも、ちょっとこれ見て」
出迎えてくれたお母さんが、困惑した顔で廊下を指差す。
そこには、「薬師寺製薬グループ」と書かれた発泡スチロールの箱が山積みになっていた。
『献上品:最高級馬刺し(5kg)』
『献上品:大間産 本マグロ(ブロック)』
『献上品:松阪牛(A5ランク)』
もはや市場だ。
「……やりやがったな、アリサ先輩」
箱の上には手紙が添えられていた。
『ヒロ様のご家族と、イカヅチ様へ。日頃の感謝を込めて』
感謝されるようなことしたっけ? ……ああ、モフらせたからか。
「我のだぞ」
縁側の方から声がした。
見ると、いつの間にか先回りしていたイカヅチが、座布団の上でくつろぎながら尻尾を振っている。
「ヒロ、お前、向こうで何したんだ?
どこの組の人と知り合ったんだ?」
お父さんが冷や汗をかきながら聞いてくる。
「えっと……説明すると長くなるんだけど、とりあえず安全な贈り物だよ。
あ、そうそう。お父さん、お母さん。
新しい家族が増えたんだ」
僕は話題を変えるために、シラユキを召喚した。
もちろん、人の姿で。
「はじめまして。シラユキと申します」
和服姿の美少女が現れ、優雅に三つ指をついて挨拶する。
「まあっ!!」
お母さんが両手で頬を押さえて叫んだ。
「なんて可愛いの!?
前のフレアさんは美人系だったけど、この子は本当にお人形さんみたい!
やだもう、ヒロったら!」
お母さんは大興奮でシラユキの手を握る。
シラユキも満更ではなさそうだ。よし、掴みはバッチリだ。
◇◇◇
その夜、一之瀬家の食卓は宴となった。
「よし、父さんが捌いてやろう」
お父さんが柳刃包丁を取り出し、マグロのブロックと馬刺しの塊に向き合う。
普段は普通のサラリーマンだけど、お父さんは釣りが趣味で、魚を捌くのだけはやたらと上手いのだ。
シュッ、シュッ。
見事な手つきで、美しい刺し身が皿に盛られていく。
「お父さん、意外とそういうの得意なんだね」
「まあな。男の嗜みってやつだ」
一方、台所ではお母さんが松阪牛のステーキを焼いている。
香ばしい脂の匂いが部屋中に充満し、イカヅチが鼻をヒクヒクさせている。
「完成よー!」
テーブルに並ぶ、超豪華な料理の数々。
まずはステーキだ。
「うむ……。九州男児としてはだな」
お父さんが肉を睨みながら言った。
「牛肉といえば宮崎牛だ。
いくら松阪牛といえど、地元の味には敵わんよ」
そう言いながら、一切れを口に運ぶ。
もぐもぐ。
……ピタッ。
お父さんの動きが止まった。
そして、その目からツーッと涙が流れた。
「……あぁ、うまい」
「えっ」
「いや、もちろん宮崎牛も美味い。世界一だ。
だが……松阪牛も美味い。美味すぎる……!」
お父さんは手のひらをクルックル返しながら、二切れ目に箸を伸ばした。
プライドよりも食欲が勝った瞬間だ。
そして、イカヅチ。
彼専用の皿に盛られたレアステーキを、一口でパクりといく。
――ドクン。
部屋に心音が響いた気がした。
イカヅチの身体がビクッと震え、その瞳孔が開く。
『…………ッ!!』
言葉にならないらしい。
あまりの美味さに魂が震え、背後から後光が差しているようにすら見える。
「……気に入ってくれたみたいでよかった」
カオスな食卓を眺めながら、僕はマグロの刺し身を口に運んだ。
うん、口の中で溶けた。
アリサ先輩、ありがとう。
今度会ったら、またイカヅチをモフらせてあげよう。僕は心にそう誓った。




