第72話 バレンタインと精霊たちのお茶会
三学期も半ばに差し掛かった、2月14日。
朝、寮の部屋に一つの小包が届いた。
「あ、お母さんからだ」
差出人は実家の母。
中を開けると、綺麗にラッピングされた箱と手紙が入っていた。
『ヒロへ。バレンタインのチョコを送ります。
勉強も魔法も頑張ってるみたいだけど、たまには甘いものでも食べて休憩してね』
箱の中身は、僕の好物である生チョコとホワイトチョコの詰め合わせだ。
市販品じゃなくて、お母さんの手作り。
「……ありがとう、お母さん」
僕はホッと胸を撫で下ろした。
そういえば昔、お兄ちゃんが「学校で嫌になるほど貰うから、母さんからは送らなくていいよ」なんて言ってたのを思い出す。
それでもお母さんは「これは私がやりたくてやってるの!」と譲らなかったっけ。
あの時は「お兄ちゃん贅沢だなぁ」と思ってたけど、今の僕にはこの「実家の味」が何よりも嬉しい。
さすがお母さん、僕の好みを完全に理解してくれている。
僕は一粒だけ口に放り込み、幸せな甘さを噛み締めながら寮を出た。
しかし。
学校に一歩足を踏み入れると、そこは戦場だった。
「あ! いた! ヒロ君!」
廊下を歩いていると、見知らぬ上級生の女子グループに囲まれた。
「はい、これ! 義理じゃないけど、お返しは気にしないでね!」
「前の聖女事件の時、すっごくかっこよかったよ!」
「これ私の手作り! 食べてね!」
「え、あ、はい。ありがとうございます……」
次から次へと渡される、可愛らしいリボンのついた箱、箱、箱。
名前も顔も知らない先輩たちが、すごい勢いでチョコを押し付けてくる。
どうやら、あの聖女撃退の一件で、僕の知名度は爆上がりしていたらしい。
「ふぅ……」
僕は人気の少ない渡り廊下で一息つき、大量の戦利品を『収納空間』へと放り込んだ。
収納魔法があって本当によかった。普通なら持ち切れない量だ。
「あら一之瀬君、モテモテね」
背後から声をかけられた。
エレノア先生だ。手には何やら高級そうな紙袋を持っている。
「先生……。その袋は?」
「これ? ドイツで買ってきたお土産のチョコよ。
本当はもっと早く渡そうと思ってたんだけど、どうせならバレンタインに合わせて配ったほうが『効果的』でしょ?」
ニヤリと笑う先生。
なるほど、これはホワイトデーのお返し(投資回収)を見込んだ戦略か。
ちゃっかりしてるなぁ。
先生から「ドイツ産高級チョコ」を受け取り、また収納しようとした時だった。
『おい! ヒロ!』
緑色の風と共に、ヒューイが飛び出してきた。
最近、召喚空間の居心地がいいのか、彼らは頻繁にこちらの様子を覗いているのだ。
もちろん、召喚していない今のヒューイの声は、僕にしか聞こえていない。
「(うわっ、びっくりした。どうしたの急に)」
僕は慌てて小声で返した。
『どうしたもこうしたもあるか!
さっきから美味そうな匂いさせやがって!
俺様にもそのチョコとやらを食わせろ!』
「(えぇ……。でもヒューイ、精神体はご飯とかいらないんでしょ?)」
『だからだよ! ちゃんと実体化させて召喚しろ!
あの中で指くわえて見てる身にもなれってんだ!』
ヒューイがジタバタと空中で駄々をこねる。
まあ、確かに自分だけ食べるのは悪い気もするけど……。
ここで召喚するのはまずい。寮の部屋も狭いし、みんな呼ぶとなるとスペースがない。
……そうだ。
僕は目の前のエレノア先生を見上げた。
「あの、先生。ちょっと相談があるんですけど」
「ん? なあに?」
「このチョコ、精霊たちが食べたいみたいで……。
でも、寮だと狭くて全員出せないんです。
よかったら、先生の研究室を使わせてもらえませんか?」
「研究室を?」
先生はきょとんとした後、すぐに目を輝かせた。
「いいわよ! その代わり……精霊たちの観察、させてもらうわよ?」
◇◇◇
というわけで。
僕たちは特別棟にあるエレノア先生の研究室へとやってきた。
部屋の中は、魔導書や論文の資料が山積みになっていて、足の踏み場もないほどだ。
相変わらず片付けができない人だ……。
「ちょっと待ってねー、今場所空けるから」
先生が雑に書類を運び、強引にスペースを作った。
先生が紅茶を淹れてくれている間に、僕は収納から大量のチョコの山を取り出し、テーブルに広げた。
「よし。おいで、みんな」
僕は胸に手を当て、四体の精霊を一斉に召喚した。
ボンッ!
光と共に現れたのは、個性豊かな面々だ。
机の上に乗るサイズの、白い小蛇――シラユキ。
足元には、子犬サイズに縮んだ雷獣――イカヅチ。
宙に浮く、ぽっちゃりとした小人――ヒューイ。
そして、ソファに優雅に腰掛ける、真紅のドレスの美女――フレア。
「……やっぱすごいわね」
先生が紅茶のカップを並べながら、呆れたように呟く。
「四体同時顕現……。
『聖典』に出てくる伝説の主人公たちだって、せいぜい二体同時が限界だって描かれているのに。
涼しい顔してこれだもの。恐ろしい子……」
先生が何かブツブツ言っているが、精霊たちは気にした様子もなくチョコに群がった。
『おお! これがチョコか! 甘くて美味いな!』
ヒューイが包み紙ごと食べようとして、フレアに叩かれている。
『お行儀が悪くてよ、ヒューイ。
……ん、これは美味しいわね。上品な甘さだわ』
フレアは人の姿で、器用に紅茶を飲んでいる。
やっぱり絵になるなぁ。
『うむ。我はもっと肉っぽいものがいいのだが……まあ悪くはない』
イカヅチも鼻を鳴らしながら、ポリポリとチョコを齧っている。
そして、机の上のシラユキは。
『はむ、はむ……』
小さな口で、一生懸命チョコを食べていた。
その姿がなんとも愛らしい。
「シラユキ、食べにくくない?
フレアみたいに、人の姿を作ってあげようか?」
『い、いえ! 滅相もございません!』
シラユキが慌てて首を振った。
『王にそのような手間をかけさせるわけには……。
それに、この姿なら皆様の邪魔にもなりませんし、十分でございます』
シラユキはこの姿が気に入っているんだろう。
「そっか。まあ、無理強いはしないよ」
こうして、人間二人と精霊四体による、奇妙なお茶会が始まった。
貰ったチョコの山が、みるみるうちに減っていく。
「ん?」
僕は山の中にあった、ひと際高級そうな黒い箱を手に取った。
中には、ゴルフボールくらいの大きさのトリュフチョコが入っている。
金箔まで散らしてあって、なんだか凄そうだ。
パクッ。
「……!!」
口に入れた瞬間、濃厚な香りと、とろけるような口溶けが広がった。
なんだこれ。今まで食べたチョコと全然違う。
「え! なにこれうっま! めっちゃ美味しい!」
僕が声を上げると、エレノア先生が覗き込んできた。
「あら、どれどれ……って、ええ!?」
先生がパッケージを見て絶叫した。
「これ、『ショコラ・ド・ロワイヤル』じゃない!」
「え? 有名なんですか?」
「有名も何も、超高級店よ!
それ一粒で……安く見積もっても三千円はするわよ!?」
「さ、三千円!?」
僕は口の中のチョコを吹き出しそうになった。
たった一粒で、僕の一ヶ月のお小遣いに匹敵する値段だ。
味わって食べればよかった……!
「まじかよ……。誰だよこんなの渡してきた人……」
箱にはメッセージカードも名前も入っていない。
ただ、「いつも見ています」という達筆なメモ書きが一枚。
「……怖っ」
僕が身震いすると、先生はケラケラと笑った。
「あら、いいじゃない一之瀬君!
魔法の研究には莫大なお金がかかるのよ?
こんな若いうちから、太い『パトロン』がついたと思えばラッキーじゃない!」
「先生……考え方がドライすぎますよ」
「あらそう? 利用できるものはなんでも利用する。
それが優秀な魔法使いってものよ」
先生は上機嫌で紅茶を啜っている。
得体の知れない愛(と財力)の重さに若干引きつつも、僕は残りの高級チョコを大切に味わった。
まあ、美味しいからいっか。
そんな僕たちの様子を、窓の外から誰かが見ているような気がして、僕はふと視線を上げた。
そこにはただ、冬の空が広がっているだけだった。




