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第67話 冒涜と契約

 翌朝。  重厚な鐘の音が鳴り響く中、僕たちは大聖堂の最奥へと案内された。


 長い廊下を抜け、巨大な両開きの扉が開かれる。  そこは「謁見の間」。  高い天井には宗教画が描かれ、金や宝石で飾られた柱が並ぶ、豪華絢爛な空間だった。


 だが、空気はどこまでも淀んでいる。


「よく来たな、極東の魔法使いどもよ」


 部屋の奥、一段高い玉座に座っていたのは、昨日の空港のベルンハルトよりもさらに豪華な法衣を纏った老人だった。  ヴァイスラントの実質的な支配者、ゲオルグ枢機卿だ。


 その左右には、武装した聖騎士たちがズラリと並び、こちらを威圧している。


「単刀直入に言おう。  貴様らが不当に所持している雷獣イカヅチを、我ら教会に返還せよ。  あれは神の御使い。貴様らのような異端が使役してよい存在ではない」


 枢機卿の声が朗々と響く。  校長が一歩前に出て、外交官としての口調で反論を試みるが、枢機卿は聞く耳を持たない。


「交渉? 勘違いをするな。これは命令だ」


 老人は不快そうに鼻を鳴らし、僕を見た。


「一之瀬ヒロと言ったか。  子供の遊びは終わりだ。大人しく従えば、命だけは助けてやる」


 僕は枢機卿を真っ直ぐに見返して言った。


「断ります」


「……なんだと?」


「イカヅチはモノじゃない。僕の大切な友達だ。  誰かにあげたり、返還したりするものじゃない」


 僕の言葉に、枢機卿は呆れたように嘆息し、そして――嘲笑った。


「友達、か。  嘆かわしい。精霊を対等な存在などと……これだから野蛮人は困る。  精霊とは神の下僕。我々教会が管理し、正しく導いてやるべき存在なのだ」


 カッ、と頭に血が上る。  神の下僕? 管理?



「精霊は、誰の下僕でもない。  神ごときが……精霊を語るな」


 僕の低い声に、謁見の間が静まり返った。  枢機卿の顔が、怒りで赤く染まる。


「神ごとき、だと……?  いいだろう。真の『信仰』とはどういうものか、教育してやる」


 枢機卿が指を鳴らす。  玉座の後ろにあった巨大なベルベットの幕が、ゆっくりと左右に開かれた。


「――ッ!?」


 そこに現れた光景に、僕たちは息を呑んだ。


 壁一面に描かれた魔法陣。  その中央に、一人の青年が椅子に縛り付けられている。  虚ろな目。だらりと垂れ下がった頭。口からは泡を吹き、意識があるのかどうかも怪しい。


「あ、あれは……フィリップ殿下!?」


 エレノア先生が悲鳴のような声を上げた。  殿下? ということは、この国の王子様か。


 だが、異様なのはそれだけじゃない。  王子の背後の壁に――それがいた。


 巨大な、白蛇。  透き通るような美しい鱗を持つ精霊が、何本もの黒い杭で壁にはりつけにされていたのだ。


 ――ギィィィィ……!


 精霊が身をよじるたび、杭が肉に食い込み、青い血が流れる。  痛ましい。あまりにも残酷な光景。


(昨日の……違和感はこれだったのか)


 昨夜、雨の中で青い微精霊たちが必死に訴えていたのは、このことだったんだ。  助けてくれと、泣いていたんだ。


「見よ。これぞ神の奇跡による救済だ」


 枢機卿は恍惚とした表情で腕を広げた。


「この国の守護精霊である水の大蛇は、愚かにも我々に牙を剥いた。  だが、その契約者であるフィリップ殿下は、熱心な説法の末、ついに真の信仰に目覚められたのだ」


「目覚めた……?」


 霧島先生が、縛られた王子を見て呻く。


「あれがですか? どう見ても、薬物か何かで……」


「失敬な。これは『法悦』の状態だ」


 枢機卿は悪びれもせず言った。


「殿下は自我を捨て、神と一体化されているのだ。  契約者がこうして神に帰依すれば、精霊もまた逆らえん。  これこそが、人と精霊のあるべき姿――完全なる統制だ」


 吐き気がした。  人間を廃人になるまで洗脳して、その繋がりを利用して精霊を拷問し、無理やり従わせているのか。  それを「信仰」だなんて、よくもぬけぬけと。


「……ふざけるな」


 僕の中で、何かが冷たく燃え上がった。  怒りで視界が赤くなるどころか、逆に世界が凍りついたように静かに見えた。


「ほう? 威勢がいいな」


 枢機卿はニヤリと笑った。


「ならば、その身で味わうがいい。神の鉄槌を」


 枢機卿が合図を送る。  近くにいた神官が、王子の首筋に何かを注射した。  ……栄養剤だとでも言うつもりだろうか。


「ア、アアア……」


 王子がビクリと痙攣し、白目を剥く。  その瞬間だった。


「――ッ! ヒロ、下がれ!!」


 誰よりも早く反応したのは、お兄ちゃんだった。  王子から溢れ出す異常な魔力の奔流ほんりゅうを、天才的な勘で察知したのだ。


 お兄ちゃんは僕の前に飛び出しながら、鋭く叫んだ。


「――『旋風装甲サイクロン・アーマー』!!」


 ほぼ同時。  壁の白蛇が絶叫し、その口から高圧の水流が放たれた。


 ヒュンッ!!


 ウォーターカッター。  鉄さえも切断する水の刃が、僕の首を狙って一直線に迫る。  だが、その軌道上には既に、螺旋を描く風の障壁が展開されていた。


 ガギィィィン!!


 激しい衝突音。  水の刃は風の回転に巻き込まれ、弾き飛ばされて天井のシャンデリアを粉砕した。


 ガシャーン!!


「なっ……防いだ!?」


 枢機卿が目を見開く。  発射と同時に防御が完成していなければ、今のは直撃していたはずだ。


「はぁ、はぁ……」


 お兄ちゃんの額に汗が滲む。  ギリギリのタイミングだった。  それでも彼は、風の鎧を維持したまま、僕を背中で守ってくれている。


「へっ……これくらい、余裕だ!」


 強がりを言う背中が、何よりも頼もしかった。  ありがとう、お兄ちゃん。  でも、もう十分だ。


 僕は静かに前に出た。


「ヒロ?」


 お兄ちゃんが驚いて振り返る。  僕は枢機卿と、その背後で苦しむ白蛇を見据えた。


「ほほう。まだやる気か?」


 枢機卿はすぐに余裕を取り戻し、嘲笑を浮かべた。


「無駄なことだ。このシステムは完璧だ。  王子が祈り続ける限り、精霊は我々の奴隷。  貴様らが何をしようと……」


「……ねえ」


 僕は枢機卿の言葉を遮った。


「精霊を、なんだと思ってるんだ」


「なんだと?」


「道具じゃない。兵器じゃない。  僕の、友達だ」


 僕は壁に磔にされている白蛇に向かって、手を差し伸べた。


 昔、聞いたことがある。  地球の核は言っていた。  『精霊はみんな、僕の味方だ』って。


 だから、特別な儀式なんて要らない。  杭を抜く必要すらない。  ただ、呼べばいい。


「……こっちにおいで」


 僕がそう呟いた、その瞬間だった。


 フッ。


 壁に磔にされていた巨大な白蛇の姿が、かき消えるように消失した。


「……は?」


 枢機卿が間の抜けた声を上げる。  壁に残されたのは、空っぽになった黒い杭だけ。


「き、消えた!? どこへ行った!?  結界は!? 呪具の反応は!?」


 神官たちが慌てふためき、警報が鳴り響く。  謁見の間は一瞬にしてパニックに陥った。


 そんな中。  僕の内側に、温かくて、でも悲しいくらいに傷ついた「命」が流れ込んでくるのを感じた。


 僕の「召喚空間」に入ってきたんだ。


(……ごめんね。辛かったね)


 僕は心の中で、震える白蛇を抱きしめた。  地球の核から預かったエネルギーを、惜しみなく注ぎ込む。  傷を癒やし、力を与える。


「……貴様! 何をした!!」


 枢機卿が玉座から立ち上がり、僕を指差して叫んだ。


「返せ! それは我々の所有物だぞ!!」


 僕はゆっくりと顔を上げた。  もう、容赦はしない。


「所有物? ……違うよ」


 僕の身体から、バチバチと大気が震えるほどの魔力が溢れ出す。


「今から、僕たちが『罰』を与える番だ」

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