第66話 聖公国の憂鬱
数時間のフライトを終え、僕たちは聖公国ヴァイスラントの国際空港に降り立った。
タラップを出た瞬間、肌を刺すような冷気が頬を撫でる。
緯度が高いせいだけじゃない。この国全体を覆う空気が、どこか冷たく澱んでいる気がした。
「……ようこそ、異端の客人たちよ」
滑走路の脇には、銀色の甲冑に身を包んだ兵士――聖騎士団がズラリと並んでいた。
その中心に、豪華な法衣を纏った太った男が立っている。
「出迎えご苦労。私が本校校長の……」
「挨拶は不要だ」
校長の言葉を、男は鼻で笑って遮った。
傲慢そのものだ。
「私は聖公国中央教会、司祭のベルンハルトである。
神の慈悲により、貴様らのような野蛮な魔法使いを入国させてやったのだ。感謝するがいい」
いきなりのマウントだ。
校長の眉がピクリと動くが、そこは大人の対応で流す。
ベルンハルトの視線が、僕たちの後ろにいるエレノア先生に向いた。
「フン……。薄汚い裏切り者も一緒か。
祖国の土を踏めるなどと思わぬことだ、魔女め」
「……ッ」
エレノア先生が唇を噛んで俯く。
その肩が小さく震えているのを見て、霧島先生が一歩前に出た。
「言葉を慎んでいただきたい」
いつも爽やかな霧島先生の声が、低く、鋭く響く。
その周囲で、風がゴウッと渦を巻いた。
「彼女は我々の大切な同僚であり、正式な外交使節団の一員だ。
それ以上の侮辱は、我が国および魔法学校への宣戦布告と受け取るが?」
「……チッ」
目に見える風の圧力に、ベルンハルトは舌打ちをした。
「野蛮人が……。
まあいい、車へ乗れ。猊下がお待ちだ」
用意された黒塗りのリムジンに押し込められ、僕たちは空港を後にした。
◇◇◇
車窓から見えるヴァイスラントの街並みは、美しかった。
石造りの重厚な建物、整備された石畳、空に伸びる尖塔。
まるで中世ヨーロッパの絵画のようだ。
でも。
「……変な街だな」
隣に座っていたお兄ちゃんが呟いた。
「ああ。人がいないわけじゃないのに、生活音がしない」
通りを歩く人々は皆、俯いて足早に歩いている。
笑顔がない。話し声がない。
そして何より、街中に溢れているはずの「魔力の輝き」が一切なかった。
日本では、生活魔法で看板を光らせたり、箒で掃除したりするのが当たり前だ。
でもこの国では、魔法を使っているのは巡回している聖騎士だけ。
「魔法はこの国では『神の奇跡』とされ、教会が厳しく管理しているの」
エレノア先生が沈んだ声で教えてくれた。
「許可なき魔法の使用は重罪。
才能ある子供は親元から引き離され、教会で洗脳教育を受けるわ。
……ここは、そういう国よ」
息苦しい。
ただそこにいるだけで、魔力が窒息しそうな感覚だ。
やがて車は、街を見下ろす丘の上に建つ、巨大な要塞のような大聖堂へと到着した。
「王宮じゃないのか?」
校長が問うと、出迎えの神官が淡々と答えた。
「国王陛下はご病気のため、枢機卿が全権を代行されております。
交渉の場は明日。今夜はこの迎賓館でお休みください」
案内されたのは、大聖堂の敷地内にある豪華なゲストハウスだった。
部屋は広いし、家具も一流品だ。
でも、窓には鉄格子が嵌められ、扉の外には見張りの気配がある。
事実上の軟禁だ。
「……嫌な感じだな」
部屋に入り、荷物を置いた僕はお兄ちゃんとお菓子を食べながら顔を見合わせた。
「ああ。完全に敵地だ。
ヒロ、絶対に俺のそばから離れるなよ」
「うん」
食事も毒見が面倒なので、『収納』していた日本のお菓子で済ませることにした。
先生たちが怒ってドイツ観光に行きたがるのも分かる。早く帰りたい。
夜が更けた頃。
僕はふと、窓の外を見た。
雨が降っていた。
シトシトと、冷たい雨が石畳を濡らしている。
「……?」
暗い雨の中に、何かが舞っているのが見えた。
蛍のような、淡い光の粒。
(微精霊……?)
それも、青色の微精霊だ。
普段なら穏やかに漂っているはずの彼らが、今日は様子がおかしい。
右往左往と飛び回り、窓ガラスに体当たりしそうな勢いで明滅している。
まるで、何かを必死に訴えているみたいだ。
あるいは、何かから逃げ惑っているような……。
「ヒロ? どうした?」
お兄ちゃんが心配そうに声をかけてきた。
微精霊が見えていないお兄ちゃんには、僕がただ雨を見つめているようにしか見えないだろう。
「……微精霊たちが、騒いでる」
「え?」
「青い色の微精霊が……何かを訴えてる気がする」
言葉は分からない。
でも、胸の奥がざわざわする。
「……分からない。
でも、すごく良くないことの予感がする」
窓の外、大聖堂の方、
この青い光たちは、そこから溢れ出してきているようだった。
明日の交渉は、ただの話し合いじゃ終わらない。
僕は拳を握りしめ、微精霊たちが騒ぐ暗い雨空を睨みつけた。




