第62話 必修科目はラノベ読破(カイト視点)
高等部2年1組。
そこは、俺、一之瀬カイトが在籍するクラスだ。
すでに進路が確定している生徒もいれば、まだ迷っている者もいる。ごく普通の、しかしそれなりに優秀な生徒が集まる教室だ。
5限目の風魔法の授業。
担当の霧島先生が、黒板に風の流動係数について板書している最中だった。
ガララッ。
教室の扉が開き、白衣を羽織った女性が入ってきた。
「授業中に失礼するわ。霧島先生、連絡事項だけいいかしら?」
銀髪に、知的な眼鏡。
中等部のエレノア・ヴァレンシュタイン先生だ。
数年前に日本へ亡命してきた、極めて優秀な魔導研究者だと噂されている。
(……ヒロの担任か)
俺はペンを回しながら彼女を見た。
確かに噂通りの美人だ。
火の精霊フレアといい、あの担任といい、どうして弟の周りにはこうも顔面偏差値の高い女性が集まるのか。兄としては少し気がかりではある。
「ええ、構いませんよエレノア先生。
みんな、今日は中等部から特別講義の予告だ」
霧島先生に促され、エレノア先生が教壇に立つ。
「単刀直入に言うわ。
来週のこの時間を使って、あなた達に最新の防御魔法理論――『複合装甲』を伝授するわ」
複合装甲?
聞き慣れない単語に、クラスメイトたちが顔を見合わせる。
「ついては、来週までの『事前課題』を出しておくわ。
全員、タブレットを確認して」
先生が端末を操作すると、俺の手元のタブレットにデータが送信されてきた。
論文か? それとも軍事資料か?
俺は画面をタップした。
そこに表示されたのは――。
『黄昏の龍王 』
……は?
極彩色の髪をした美少女と、大剣を構えた少年のイラスト。
どう見ても、書店でよく見かけるファンタジーライトノベルだった。
「先生、これは……ミスでしょうか?」
最前列の生徒が恐る恐る手を挙げる。
しかし、エレノア先生は真顔で答えた。
「ミスじゃないわ。それが来週の教科書よ。
授業までに、最低でも8巻まで読んでくること」
「は、8巻!? ラノベをですか!?」
「ええ。魔法はイメージよ。
その作品の中に、今回教える魔法の極意……『多重構造の防壁』をイメージするための全てが詰まっているわ」
「で、でも、どういう理屈で……」
「問答無用。つべこべ言わずに読みなさい」
先生はピシャリと言い放った。
「変な先入観やネタバレは厳禁よ。真っ白な状態で、物語の展開に没入すること。
いい? 8巻よ。絶対に読んでくるのよ」
かつてネタバレをした同僚を殺しかけたという噂は本当らしい。
その目は本気だった。
◇◇◇
そして一週間後。
実技訓練場には、どこか寝不足気味の生徒たちが整列していた。
みんな、真面目に8巻まで読破してきたらしい。
もちろん俺もだ。(意外と面白くて、徹夜してしまったのは秘密だ)
「よし、全員ちゃんと読んできたようね」
エレノア先生が満足げに頷く。
「あの、先生」
その時、クラスの男子生徒がおずおずと手を挙げた。
「僕……その作品、面白くてついつい16巻まで読んじゃったんですけど……ダメでしたか?」
一瞬の沈黙。
エレノア先生の表情が、パァッと明るくなった。
「あら! 素晴らしいわね!
あの12巻からの展開、熱いでしょう? 私も大好きなのよ。
あなた、いい感性をしているわ」
先生は上機嫌で生徒を褒め称えた。
……まあ、怒られなくて何よりだ。
「さて、イメージの共有は済んでいるわね。
まずは感覚的な部分を、霧島先生にお願いするわ」
「はい。では皆さん、8巻のシーンを思い出してください」
霧島先生が前に出る。
「従来の防御魔法は跳ね返すことに重点を置いていました。
しかし、今回の魔法は違います」
霧島先生が自身の身体に風を纏わせる。
その風は、いつもより柔らかく見えた。
「内側には、クッションとなる通常の魔力層。
そしてその上から、鋭い風の刃による硬い壁を重ね着する。
……感覚としては、『着ぐるみ』を着て、その上から『プレートメイル』を装着するようなイメージですね」
なるほど。
「着ぐるみ」という例えは少し子供っぽいが、理屈は分かる。
衝撃吸収と物理防御のハイブリッドか。
「イメージはできましたね?
では、それを魔法として成立させるための『理論』を説明するわ」
バトンタッチしたエレノア先生が、ホワイトボードに流麗な文字で文章を書き始めた。
『旋風装甲』
その横に、数行の詠唱が書き添えられる。
「この詠唱の一節一節には、全て意味があるの」
そこから、先生の熱のこもった解説が始まった。
魔力の属性定義、指向性の指定、螺旋回転によるベクトルの制御、出力係数の最大化……。
一見、物語に出てくる必殺技のセリフに見える詠唱が、いかに論理的に構築された『魔術コード』であるか。
先生の解説は数十分に及んだ。
……長い。
長いが、言っていることは極めてロジカルだ。
ただのアニメ好きかと思いきや、やはりこの人は本物の研究者なのだと思い知らされる。
「――というわけよ。
この構成を理解した上で、あの小説の『熱いシーン』を重ね合わせて詠唱するの」
理論と感情。
左脳と右脳の融合。
それがこの魔法の正体か。
「ちなみに」
エレノア先生が補足する。
「この『複合装甲』という概念自体は、中等部の一之瀬ヒロ君が考案したものよ。
もっとも、彼の場合は風魔法じゃなくて、独自の物理魔法を使っているけれどね」
ザワッ……。
再び訓練場がざわめく。
中等部の生徒? あの災害か?
そんな囁きが聞こえてくるが、俺は思わず口元が緩むのを止められなかった。
(やっぱり、お前かよ……ヒロ)
常識外れの二重装甲。いかにもあいつらしい。
もっとも、ラノベを教材にするという奇行は、間違いなくこの先生の趣味だろうけど。
「さあ、実践よ! 一之瀬カイト、前に!」
「はい」
俺は指名され、前に出た。
イメージは完璧だ。
ヒロが作った理論、兄の俺が失敗するわけにはいかない。
俺は目を閉じ、小説の主人公になりきって魔力を練り上げた。
そして、紡ぐ。
「――舞え、空を裂く刃よ」
風が巻く。
内側に柔らかな圧力を感じる。
「風の精霊よ、螺旋を描き我が身を巡れ!」
ゴォォォォォッ!!
周囲の空気が渦を巻き、俺の身体を中心に美しい竜巻が発生した。
だが、不思議と身体は軽い。
内側のクッションが、遠心力から守ってくれている。
「――『旋風装甲』!!」
カッ!!
目を開けた瞬間、俺の視界はクリアだった。
だが、身体の周囲には、目に見えるほどの濃密な風の鎧が形成されていた。
完璧な制御だ。
「……合格よ、一之瀬カイト」
エレノア先生がニヤリと笑った。
「天才とは聞いていたけど、やるわね。
一発で成功させるなんて」
俺は風の鎧を霧散させ、小さく息を吐いた。
「ありがとうございます。読んでみます」
僕は渡された本を、さっそく覚えたての空間収納に放り込んだ。 どっさりとあった本が一瞬で消える。 うん、やっぱり便利だ。
すると。 それを見ていたエレノア先生が、ボソリと呟いた。
「……素晴らしいわ」
その目が、未知の魔法を発見した研究者の目――いや、獲物を狙う肉食獣のようにギラリと光っていた。
「一之瀬君。もう一度やってみて」
「え?」
「その空間接続のプロセスよ。 もっとゆっくり、魔力の波長を見せなさい。 ……今の現象、私が必ず『解析』して、汎用的な術式に落とし込んでみせるわ」
「じゅ、術式化するんですか? これを?」
先生は僕の肩をガシッと掴み、顔を近づけた。
「当たり前でしょう。 その亜空間なら、湿度ゼロ、紫外線ゼロ、経年劣化ゼロの完璧な保存が可能になる……! これは革命なのよ!」
先生の鼻息が荒い。 瞳の奥に、怪しい炎が揺らめいている。
「物流業界? 軍事利用? そんなことより、私の『コレクション』の保存環境における特異点よ!!」
「あ……そっちですか」
「この魔法が完成すれば、コレクションを永遠に『新品同様』で保管できるわ!」
先生は恍惚とした表情で虚空を見つめた。
「いいわね、一之瀬君。 この研究は、私とあなたのトップシークレットにするのよ。 他言無用。代わりに、私の研究(コレクション保存計画)に協力しなさい」
「は、はい……」
鬼気迫る表情に、僕は頷くしかなかった。
こうして僕は、便利な収納魔法を手に入れたのと引き換えに、エレノア先生の終わりのない「オタク活動(研究)」に巻き込まれることになったのだった。




