第57話(番外編)魔女の夏休み、あるいは職員室の憂鬱
夏休み。
それは生徒たちにとっての楽園であり、青春の輝きだ。
だが、我々教師にそんなものはない。
お盆休み以外は、基本的に学校に詰めて業務や研究に追われる日々だ。
しかし。
私、エレノアにとって、この期間は至福の時でもあった。
キンキンに冷えた研究室。
誰にも邪魔されない空間。
私は亡命者ゆえに帰る実家もない。寮と研究室が我が家だ。
「……ふふ、最高ね」
机の上には、研究資料に見せかけたラノベの山。
モニターには、研究映像に見せかけたアニメの再生画面。
涼しい部屋で、給料をもらいながら趣味に没頭する。
こんな天国、他の職場では到底考えられない。
キーンコーンカーンコーン。
無情なチャイムが鳴り響く。
……チッ。職員会議の時間か。
私は名残惜しそうにアニメを一時停止し、ブックカバーで厳重に偽装したラノベを小脇に抱え、会議室へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
会議室は、重苦しい空気に包まれていた。
教頭先生が進行役を務める。
「では、夏休み中の生徒の動向について報告を」
生活指導の先生が立ち上がる。
「2年の男子生徒が、帰省中のBBQで火魔法の制御を誤り、ボヤ騒ぎを起こしました。警察から厳重注意を受けています」
「高等部3年の数名が、地元の不良に絡まれ、魔法で返り討ちにしすぎました。現在、相手方は入院中……」
会議室にため息が漏れる。
魔法学校の生徒が夏休みに羽目を外すのは、もはや恒例行事だ。
普通の学校なら大問題だが、ここでは「報告書一枚」で終わる日常茶飯事である。
「はぁ……。まあ、いつものことですね。次」
教頭が淡々と進める。
だが、次の議題で空気は一変した。
「さて、本題です。1年の一之瀬ヒロについて」
一瞬で、先生たちの顔が引き締まる。
一体何度目だ、この議題。
「彼は危険すぎる!」
口火を切ったのは、神経質な顔をした男性教員、先生Cだ。
「水魔法の爆破に火竜の召喚。それに飽き足らず、なんだあの雷は!
あんなもの、天才ではなく天災だ。歩く災害どころではないぞ!」
「いや、私は評価しているよ」
ゆったりと構えた年配の先生Dが口を挟む。
「今はまだ学生だが、あの力はいずれ軍で管理すべきだ。
たった一人で戦略核並みの働きを期待できる。国のパワーバランスが変わるぞ」
「軍事利用か……。だが、制御できるのか?」
「待て待て、君たちは節穴か?」
先生Eが呆れたように言った。
「あの聖女撃退の時、現場にいただろう? 肌で感じなかったのか?
彼はあほどの極太の雷を、聖女の『天使』にのみ直撃させたんだぞ」
先生たちが沈黙する。
あの日、校門前で見た光景は全員の脳裏に焼き付いている。
「聖女本人は気絶しただけで、ダメージは軽微だった。
あの雷を纏った獣は、そんな神業のような制御を涼しい顔でやってのけたんだ。
まさに人知の及ばぬ存在だ」
それを聞いて、最初に発言した先生Cが青ざめた。
「……あの雷を、完全に制御しているだと?
余計に恐ろしいわ!!」
「二学期からは彼は徹底管理しましょう!」
「いや、縛り付ければ暴発するぞ!」
「どう扱えばいいんだ!」
わーわーと議論が紛糾する。
大人たちの勝手な言い分だ。
私はそんな喧騒をよそに、手元の資料に目を落としていた。
もちろん、会議資料ではない。
巧妙に擬態させたラノベだ。
「(あら? こんなところで力に目覚めるなんて……)」
物語は佳境に入っている。
周囲の議論など、ただの環境音(BGM)に過ぎない。
「ところで、エレノア先生」
「っ」
不意に校長先生から話を振られ、私は反射的に本を閉じた(栞は挟んだ)。
「初めて教壇に立つのはどうでしたか?
あなたのクラスの成績は非常に優秀で、なんならもっと早くから担任を任せるべきでしたな」
校長が笑うと、周囲からヒソヒソと声が聞こえた。
「答えを教えてるんじゃないか?」
「なにか不正してるんじゃ……」
やっかみだ。
私は眼鏡の位置を直し、冷ややかに言い放った。
「心外ですね。私は『理論』を伝えているだけです。
それを吸収し、自分のものにしたあの子たちが頑張っただけ。
もし、これが私の力だと言うのであれば……あの子たちの才能を伸ばせていない、他の先生方の怠慢ではなくて?」
「うぐぅ……!」
図星を突かれた先生たちが言葉に詰まる。
「はっはっは! まあまあ、あんまりいじめてやらんでくれ」
校長が苦笑しながら場を収めた。
「引き続き二学期もよろしく頼むよ。一之瀬ヒロは君に任せてよかった」
私は小さく会釈をして、すぐに手元の「資料」に戻った。
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職員会議が終わり、廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「エレノア先生!」
振り返ると、同僚の霧島先生だった。
若い男性教師で、少し暑苦しいタイプだ。
「さっきの発言、かっこよかったですよ! スカッとしました!」
「……あら、ありがとう」
私はそっけなく答えた。早く研究室に戻って続きを読みたいのだ。
その時。
「あ、それ」
霧島先生の視線が、私が抱えている「資料」に注がれた。
しまった。小脇に抱えた拍子に、ブックカバーが少しズレて表紙が見えてしまっている。
「それって、『黄昏の龍王』の7巻じゃないですか!」
「ッ!?」
バレた。
私が固まっていると、霧島先生は興奮気味にまくし立てた。
「いやー先生、わかってらっしゃる!
そこ熱いですよね!!!
このヘタレ主人公が、ここから自分の命を削って覚醒してヒロインのために……」
私のこめかみがピクリと跳ねた。
魔力が漏れる。
「……おい、霧島」
「はい?」
「それ以上ネタバレしたら、万死に値すると思え」
絶対零度の視線を送ると、霧島先生は「ヒィッ」と飛び上がった。
「あ、それは申し訳ないことをした!
まさか初見だと知らずに……!」
「……まあいいわ。忘れてあげる」
私はため息をついて歩き出そうとした。
すると、霧島先生が慌てて言った。
「あ、お詫びと言ってはなんですが……先生が読み終わったら、そのアニメ版、うちで見ていきませんか?」
「アニメ?」
「はい! 全巻、劇場版のブルーレイまで揃ってますよ!
もちろん、大画面のプロジェクターで!」
ピタリ。
私の足が止まった。
全巻。劇場版。大画面。
振り返った私の目は、先程までの殺気が嘘のようにキラキラしていたと思う。
「……劇場版も?」
「はい! 特典映像付きです!」
「…………行くわ」
即答だった。
こうして、私の夏休みは「同僚宅でのアニメ鑑賞会」という予想外のイベントによって、さらに充実することになった。
教師というのも、悪くない仕事ね。




