第56話 空海の宇宙、預かっていた炎
夏休みのある日。 実家の居間で、お父さんが少し真面目な顔をして切り出した。
「ヒロ。以前お前たちが言っていた『地球の核』について考えたことがあるんだ」
「うん」
「父さんなりに考えてみたんだが、それは空海さんが言っていた『宇宙』そのものなんじゃないかと思うんだ」
「空海?」
僕が首をかしげると、お父さんは窓の外、延岡の街の方角を見た。
「ここには日本一大きな空海さんの像……『今山大師』があるだろう?
彼はただの宗教家じゃない。治水や医療で現実的に人々を救いながら、己の肉体を通して宇宙と一体になろうとした」
お父さんはコーヒーを一口飲んだ。
「空の上の神様より、もっと地面に足の着いた、星そのものの真理に近い気がするんだよ」
その話を聞いていたイカヅチが、ゴロリと寝返りを打った。
『うむ』
イカヅチは短く同意した。
『あの男は別格だ。 神に縋らず、己の肉体で星の理に触れた人間だ。
教会が崇める、人間を見下す神々とは違う。あれこそが、本来、神があるべき姿よ』
「へぇ……イカヅチがそこまで言うなんて珍しいね」
僕は少し興味が湧いた。
「じゃあ、ちょっと挨拶に行ってみようかな」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
車で今山へ向かう。 長い階段を登りきると、そこには巨大な弘法大師像が鎮座していた。
観光地のような派手さはない。 ただ、地元の人たちが散歩がてらに手を合わせに来るような、穏やかな空気が流れている。
「……なんか、落ち着くね」
教会の荘厳すぎて圧迫感のある雰囲気とは違う。 風が通り抜け、木々が揺れる、自然そのものの静けさだ。
「神聖っていうより、穏やかだ……」
僕は像の足元に立ち、深呼吸をした。 ここなら、深く潜れそうだ。
「(ちょっと、集中してみようかな)」
僕は目を閉じ、意識を足の裏から地面の底へ、もっと深くへと沈めていく。
体を流れるの魔力と地球の魔力を循環させる。
「(おーい、核ー。元気ー? ……なんちって)」
そんな軽いノリで呼びかけた、次の瞬間。
グワンッ。
視界が反転し、
僕はあの温かい光の空間にいた。
『――やあ』
どこからともなく、フレンドリーな声が響いた。
『まさか君の方からアクセスしてくるとは思わなかったよ』
「うわ、繋がった」
僕は光の中で周囲を見回した。
『この間はありがとう。 君から膨大なエネルギーがドカンと返ってきた時は、ちょっとビックリしたよ』
ああ、水魔法(爆縮)の余剰エネルギーのことか。
「あはは、ごめん。もしかして迷惑だった?」
『いいや。君の優しさが嬉しかったよ。おかげでお腹いっぱいになった』
核の声は、くすくすと笑っているようだった。
そして、少しだけ真面目なトーンになった。
『それにしても、厄介な連中(教会)に目をつけられちゃったね』
「うん、まあね」
『エネルギーのお返しと言っては何だけど、
君に一つ、贈り物をしよう。
……いや、「返す」と言うべきかな』
「返す?」
『そう。これは元々、君の力だ。
預かっていたんだ』
核の言葉と共に、温かい光の奔流が僕の中へ流れ込んでくる。
『きっと役に立つよ。君が君であった頃の、優しさの象徴だ』
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家に帰ってくると、僕はすぐに庭に出た。
なんだかとても大事なものを貰った気がする。
これはみんなにも共有しておくべきだと思ったのだ。
「みんな、ちょっと出てきて」
僕が呼びかけると、ヒューイ、フレア、イカヅチが顕現した。
お兄ちゃんも何事かと庭に出てくる。
「どうしたのヒロ?」
「うん、さっきの山で地球の核と繋がってさ。
なんか貰ったんだ」
『貰った?』
フレアが首をかしげる。
「『預かっていた力』だって言ってた。……なんかこう、怪我をしてもすぐに治る力らしいんだけど」
僕は自分の手を見つめた。 特に変わった様子はない。魔力が増えたわけでもなさそうだ。
「でもなぁ、試すの嫌だなー。痛いの嫌だし、わざわざ怪我するのもなぁ」
僕がブツブツ言っていると。
『ええい、うるさい男の子だろ!』
バチッ!
「いっ!?」
突然、腕に痛みが走った。
見ると、イカヅチが鼻先を押し付けて、小さな雷撃を見舞っていた。
腕に赤いミミズ腫れができている。
「痛いなっ!、何すんだよイカヅチ!」
僕が文句を言おうとした、その時だった。
ボッ……。
傷口から、音が聞こえそうなほど唐突に、淡い光が立ち上った。
それは赤とも金ともつかない、揺らめく「炎」のようだった。
でも、熱くはない。
とても温かい。
その炎が傷を優しく撫でると、ミミズ腫れは見る見るうちに消えていき、一瞬で元の綺麗な肌に戻った。
「え……」
僕もお兄ちゃんも絶句した。
「……すげぇ。一瞬で治ったぞ」
お兄ちゃんが僕の腕を掴んで確認する。傷跡ひとつない。
これが、核が言っていた「預かっていた力」……?
ふと、精霊たちの方を見た。
フレアが口元を手で覆い、信じられないものを見る目で僕を見ていた。
『(……あの温かい炎。間違いないわ)』
そして、イカヅチは。
『…………』
静かに目を細め、僕を見つめていた。 驚きはない。
ただ、確信を得たような、深い眼差し。
『(やはり、な……)』
イカヅチは小さく呟くと、満足そうに鼻を鳴らした。
僕は自分の腕に残る、温かい炎の余韻を感じながら、自分の手のひらを見つめた。
空海さんと、地球の核。
そして僕の中に眠っていた、この優しい炎。
全ての謎はまだ解けないけれど、
この夏休み、僕はまた一つ、何かに近づいた気がした。




