第46話 特別講師は真紅の女王
魔法学校の授業は、座学が多かった。
魔法の実技は実のところ、最初だけだった。
それでも、知らない魔法の授業は楽しかった。
数学や理科も先生の説明は分かりやすいし、新しいことを知るのはパズルみたいで面白い。
だから、中学生になって、勉強が難しくなったらどうしようって心配していたけれど、意外とそうでもなかった。
「えー、では教科書の20ページを開いて」
今日の授業は『魔法基礎理論』。
担当するのは、この間の実技の時の先生だ。
実技の時は少し怖かったけど、教室だと穏やかな口調で話してくれる。
「前回、実技で詠唱を行ってもらったが、今日はその構成について詳しく見ていこう」
黒板に、見慣れたフレーズが板書される。
『灯れ、温かな火よ。火の精霊よ、我が願いに応え、小さき炎をここに示せ』
「魔法がこの世界に顕現してまだ日は浅いが、詠唱の研究は日々進んでいる。
最近では、特定の言葉を省略して発動を早める『短縮詠唱』も実用化されつつあるんだ。
だが、どうしても短縮できない一節がある」
先生はチョークで『火の精霊よ』の部分を囲った。
「ここだ。
なぜここが省略できないのか。
私は、魔法という力が神秘的であるがゆえに、これは神、あるいはそれに準ずる高次存在、それこそ精霊への『祈り』だからだと考えている。
一度でいいから、この目で拝んでみたいものだよ」
先生の言葉に、クラスのみんなは「なるほどー」「やっぱ祈りなんだ」と納得している。
でも。
(……ん?)
僕は首を傾げた。
ヒューイと言ってたことと違うぞ。
僕は小さく手を挙げた。
「あの、先生。それ違います」
教室の視線が僕に集まる。
先生も驚いた顔をした。
「一之瀬か。何が違うのかな?」
「祈りじゃなくて、気持ちです」
「気持ち?」
「はい。僕、友達に聞いたんです。
詠唱っていうのは、ご飯を食べる前の『いただきます』みたいなもので、力を貸してくれる相手への『ありがとう』なんだって」
僕が説明すると、先生は困ったように眉を下げた。
「友達……?
一之瀬、それは君なりの解釈としては美しいが、学術的な根拠には……」
「それに先生も、入試の時に見ましたよね?
僕が出した火竜、あれが火の精霊ですよ」
「……あの竜か」
先生の顔が引きつった。
あの日、腰を抜かしていたのを思い出したのかもしれない。
「あれは……君の想像力が具現化した、高密度の魔力塊だったのではないのか?
あれが本物の精霊だなんて、まさか」
「本物ですよ?
なんなら、ここに呼びましょうか? 本人に説明してもらったほうが早いですし」
僕が立ち上がろうとすると、先生が慌てて制止した。
「ま、待て! やめろ!」
「え?」
「ここで火竜など出されたら、校舎が崩壊する!」
「あ、大丈夫ですよ。竜じゃなくて、人の姿で来てもらいますから」
「は……?」
先生が固まるのを他所に、僕は虚空に向かって声をかけた。
いつも通り、難しい儀式はいらない。
友達を呼ぶのに、仰々しい言葉は必要ない。
「フレア、来て」
ドッ。
教室の空気が、一瞬で熱帯になった。
僕の隣の空間が陽炎のように揺らぎ、燃えるような赤い髪と、深紅のドレスを纏った女性が現れた。
「あら」
彼女は優雅に扇子を開き、口元を隠して僕を見た。
「どうしたの? もうホームシックかしら? 意外と早かったわね」
火の精霊、フレアリス・ヴォルカ。
その圧倒的な美貌と、隠しきれない高貴なオーラに、クラス中が息を呑んだ。
「だ、誰だ……?」
「すげぇ美人……」
「今、何が起きたんだ…」
みんな、あまりの美しさに言葉を失っている。
「いや、ホームシックじゃないよ。授業で説明が必要だったから来てもらったんだ」
「ふうん?」
フレアは興味なさそうに教室を見回し、そして僕を見た。
「久しぶりの召喚だったけど、ちゃんとできてよかった。」
「あら、ヒューイたちは?」
「ここ最近忙しくて呼べてないんだ」
「あら、そう」
フレアの目が、少しだけ嬉しそうに細められた。
「あたくしが、一番最初なのね」
あ、機嫌が良くなったみたいだ。
「なら、ちょっとは教えてあげてもよろしくてよ?
で? 何の話ですの?」
「あの先生がね、詠唱の『火の精霊よ』って部分は『祈り』だって言うんだ。
僕は『ありがとうって気持ち』だって言ったんだけど、信じてもらえなくて」
「まあ」
フレアは呆れたように溜息をつき、教卓の先生に視線を向けた。
「人間というのは、いつの時代も目に見えないものを難しく考えすぎるのね」
「あ、あ……」
先生は完全に圧倒されている。
「いいこと? 私目線で言わせてもらえば、人間が行っている詠唱の意味は『理解』と『感謝』よ」
フレアの声が、教室中に響き渡る。
「人間が魔法を使うには、手助けが必要なの」
彼女は空中で指を弾いた。
すると、教室のあちこちで小さな小さな光の粒が、楽しそうに舞った。
「この世界には、あなた達には見えないけれど、小さな小さな『微精霊』たちが漂っているわ。
意思を持たないほど小さな、ありふれた存在」
フレアが指差した先で、キラキラと舞う光の粒たち。
僕には見慣れた、どこにでもいる『光の子』たちだ。
(……そっか。みんなには見えてなかったし、名前も知らなかったんだ)
「それが……微精霊……」
「ええ。魔法を使う時、あなた達の言葉は、この子達へのメッセージになるの。
『火の精霊よ』という一節。
それは、力を貸してくれるこの子達への呼びかけ」
フレアは優しく微笑んだ。
それは、火のような激しさではなく、暖炉のような温かい笑みだった。
「だから、祈りなんて堅苦しいものじゃなくていいの。
『ありがとう』って気持ちを込めれば、きっとこの子達にも伝わっているわ」
教室が静まり返る。
教科書のどんな理論よりも、ストンと胸に落ちる説明だった。
先生も、ポカンと口を開けたまま、ただフレアの手の上で揺れる火を見つめている。
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(廊下)
その時。
教室の外で聞き耳を立てていたエレノア・ヴァレンシュタインの脳裏に、稲妻が走った。
「……ッ!」
彼女はずるずると壁に背中を預け、震える手で口元を覆った。
「そうか……そうだったのね!」
彼女の脳内で、今まで解けなかった数式が猛烈な勢いで組み変わっていく。
魔法発動時に発生する、原因不明のノイズ。
数値をどう調整しても消えなかった、計算外のゆらぎ。
あれは計測誤差じゃなかった。
微精霊という「不確定な因子」が介在していた証拠だったのだ!
「感謝というパラメータ……感情による共鳴係数……!
全て計算が合う! 全ての辻褄が合ったわ!」
カチリ、と。
巨大なパズルの最後のピースがハマる音がした。
「……私って、天才!!」
廊下の真ん中で、彼女は歓喜のあまりガッツポーズをした。
生徒に見られたら完全に不審者だが、今の彼女にはそんなことはどうでもよかった。
世紀の大発見が、今ここになされたのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(教室内)
「……というわけよ。分かったかしら、そこの眼鏡?」
「は、はひっ……!」
先生は直立不動で震えていた。 感動というより、伝説上の生き物を前にして、生物としての生存本能が警鐘を鳴らしているようだ。
「り、理解いたしました……! 貴重なご教示、感謝の極みです……!」
「よろしい」
「ありがとうフレア。助かったよ」
「いいえ。ヒロの頼みなら、いつでも呼んでちょうだい」
フレアは満足そうに扇子を閉じた。
そして。
「え?」
フレアが顔を近づけてきて――。
チュッ。
僕の頬に、柔らかい感触が触れた。
「――っ!?」
ボンッ!
僕の頭から湯気が出た。
顔が一瞬でトマトみたいに真っ赤になるのが自分でも分かる。
「ふふっ。相変わらず可愛い反応ね」
フレアは楽しそうに笑うと、
「じゃあね、ヒロ」と言い残し、炎の粒子となって消えていった。
あとに残されたのは、
真っ赤になって固まる僕と、
絶世の美女に見惚れて石化したクラスメイトと、
価値観が崩壊して放心状態の先生。
……あ。
僕は熱い頬を押さえながら、少しだけ後悔した。




