第44話 魔女の計算、少年の解答
放課後の特別研究棟。
本と紙の匂いが充満する密室で、僕はエレノア先生と向き合っていた。
「……なるほど。貴方の水魔法は、空間を縮めることで生成している…」
先生は興味深そうに顎に手を当てた。
青い瞳が、獲物を見つけた猛禽類のように光っている。
「はい。僕は空気には水が含まれているって聞いたから……。
だから、空間魔法で無理やり作ってるんです」
「原理は?」
「えっと……」
僕は身振り手振りで説明した。
「ここにある空気を、ギュッてするんです。
だいたい……そうだな、教室と同じくらいの量の空気を、このボールくらいの大きさに押し込めるイメージで」
両手を大きく広げ、それを胸の前でサッカーボールぐらいの大きさに示す。
「そうすると、中から水が絞り出されるんです。
でも、そうやって作った水は、なぜか開放すると、最後は爆発するんです」
先生の眉が、ピクリと動いた。
「……ちょっと待ちなさい。
貴方、今、『教室一個分の空気』を『ボール大』にすると言ったわね?」
「はい。それくらい集めないと、まとまった水にならないので」
「それを、ここで実演できる?」
「え?」
僕は首を傾げた。
「やめたほうがいいですよ……たぶん、この部屋の物がなくなっちゃいますけど」
「なくなる?」
「はい。爆発っていうか……こう、跡形もなく消え去る感じです」
すると、エレノア先生の顔色が一瞬で変わった。
彼女はバッと立ち上がり、背後の本棚――聖典たちが鎮座する棚を両手で守るようなポーズを取った。
「訓練場に行くわよ!! 今すぐ!!」
必死な形相だった。
研究者としての好奇心よりも、オタクとしての愛が勝った瞬間だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
日が落ちかけた、夕暮れの屋外訓練場。
放課後の練習生も帰り、静まり返っている。
僕たちはその中央に立った。
「やってみなさい。私が観測するわ」
エレノア先生が少し離れた位置で、手元にメモ帳を用意した。
その瞳が、うっすらと青く輝き始める。
あれが先生の『解析眼』なのだろうか。
「はい」
僕はいつものように、空間を意識する。
目の前の空間。
だいたい10メートル四方くらいの範囲。
これを、力ずくで圧縮するんじゃない。
ただ空間を小さくする丸くするイメージをするだけ。
空間の座標定義を、頭の中で書き換える。
フッ。
世界が騙された音がした。
そして、
かすかな風が巻き起こった。
逃げ場のない空気は、急速に熱を帯びていく。
中心部では、空気中に含まれていた水分が無理やり凝縮され、水球が形成される。
「……っ!」
先生が息を呑むのが分かった。
目の前に浮かぶのは、綺麗な形をした、サッカーボール大の、不気味なほど静まり返った水球。
これが僕の水魔法
「壁は三重にしておくか…」
僕は手慣れた動作で空間の壁を展開し、その塊を覆った。
「じゃあいきますよ」
直後。
カッ――――!!!
ズドォォォォォォン!!!
空気の壁の中で、圧縮されたエネルギーが解放された。
凄まじい衝撃音が響き、結界が内側から激しく揺さぶられる。
もし結界がなければ、訓練場の地面ごと抉り取っていただろう。
数秒後、結界の中には、ただ真っ白で濃密な蒸気だけが渦巻いていた。
地面も、小石も、すべてが粉砕され、熱い霧に変わっていた。
「……と、こんな感じです」
僕が振り返ると、エレノア先生は猛烈な勢いでメモを走らせていた。
ブツブツと何やら呟いている。
「座標の再定義……事象の書き換え……
いや、空間そのものを小さくして、結果として断熱圧縮がおきている……?」
先生は顔を上げ、呆れたように言った。
「貴方の魔法、理解できたわ」
「本当ですか!?」
「ええ。……ハッキリ言って『ズル』よ」
「ズル!?」
「物理的な圧縮工程を無視して、空間そのものの定義をいじってる。
これを術式に落とし込むなんて……考えただけで頭が痛いわ」
先生はこめかみを押さえた。
やっぱり、僕のやり方は一般的じゃないらしい。
「あの、先生。
僕、ここから『普通の水』を取り出したいんです。
爆発させずに、チョロチョロって水を出すだけでいいんですけど……」
僕の切実な願いに、先生は眼鏡を押し上げた。
「そうね。
原因は、急激な圧縮によって発生した『熱エネルギー』よ。
断熱圧縮……ディーゼルエンジンと同じ原理ね」
「だんねつ……?」
「まあ、理屈はいいわ。
要するに、その『熱』が邪魔なんでしょう?」
「はい」
「なら、吸い取ってしまいなさい」
「え?」
「魔力として回収するのよ」
先生は、さも当たり前のように言った。
「魔力とはエネルギーの一種。そして熱もエネルギー。
相互変換は可能よ。
発生した熱を魔力に変換して、貴方の体内に戻しなさい」
「……あ」
なるほど。
エネルギーは魔力。魔力はエネルギー。
熱を吸い取っちゃえば、あとには冷えた水だけが残るのか。
それもそうかなんで気づかなかったんだ。
僕は早速、イメージしてみることにした。
さっきと同じように空間を縮め、水球を作る。
そして、そこで発生した熱を――
「……待って」
先生の声が震えていた。
先生の『眼』が、僕の手元の水球を見つめている。
「一之瀬君、貴方……その水球を作るのに使った魔力は、ごく僅かよね?」
「はい。だって空間を小さくするだけですから」
「でも、そこにある熱エネルギーは……巡航ミサイル級よ?」
「へ?」
「それを、魔力に変換して回収する……?」
先生が、後ずさった。
「待ちなさい。
『1』の魔力で、『100』のエネルギーを生み出し、それを魔力として回収する……?
差し引き、『99』の黒字……」
先生の顔が青ざめていく。
「とんでもない量の魔力だわ……!
撃てば撃つほど魔力が溢れてくる……!?
貴方、永久機関になる気なの!?」
世紀の大発見をした科学者の顔で、先生は叫んだ。
でも。
「えー、いらないです」
僕は即答した。
「は?」
先生が固まる。
「だって、そんな大量の魔力があっても、精神が持ちません。
精霊たちにも言われてるんです、魔力の使いすぎはダメだって」
「い、いいえ! 器さえ広げれば、貴方は無尽蔵の魔力を……」
僕は付け加えた。
「魔力なんて、足りなくなったら地面から吸い上げればいいだけなので」
「…………はい?」
「えっと、だから。 足の裏からこう、地球のエネルギーをぐいっと引っ張ってくる感じ?
地面がある限り、魔力なんて無限みたいなものじゃないですか?」
シーン……。
夕暮れの訓練場に、カラスの声が響く。
「……地面から、吸い上げる?」
「はい。おじいちゃんちの井戸水みたいに、いくらでも湧いてきますよ?」
僕は不思議そうに首を傾げた。 え、みんなやらないのかな。便利なのに。
ふと見ると、エレノア先生が白目を剥いて立ち尽くしていた。
座標改変。
永久機関の拒否。
地球直結の魔力炉。
天才魔女の脳内メモリが、音を立ててパンクしたようだった。
「……っ」
先生はふらりとよろめき、眼鏡を外してこめかみを強く押さえた。
「……帰りましょう」
「え、水魔法の練習は?」
「今日は解散。
……一度、脳のメモリを整理させてちょうだい。
今の私は、キャパシティオーバーよ……」
背中を丸めて歩き出す先生の姿は、いつものクールな魔女ではなく、
ただの疲れた中間管理職のようだった。




