第43話 普通という壁
魔法学校の朝は早い。
小鳥のさえずりと共に目覚め、食堂で焼きたてのパンを食べ、意気揚々と教室へ向かう。
ここまでは完璧だった。
憧れの魔法学校ライフそのものだ。
しかし――。
「えー、では教科書の12ページを開いて。今日は『力の働き』について勉強します」
1時間目。理科。
黒板に書かれたのは、魔法陣でも呪文でもなく、矢印とグラフだった。
「物体に力が働くとき、その力は……」
先生が淡々と説明を続ける。
周りの生徒たちは退屈そうにペンを回したり、涼しい顔でノートを取ったりしている。
(……あれ?)
僕はノートの端っこで固まっていた。
(魔法の授業……じゃないの?)
続く2時間目は、数学だった。
「小学校までは『算数』でしたが、ここからは『数学』になります。マイナスの世界、そして文字を使った式を……」
黒板に や が踊り出す。
数字じゃない。文字だ。なんで計算にアルファベットが出てくるんだ。
(……うっ、頭が……)
ふと横を見ると、同室のユウスケは猛烈なスピードでノートを取っていた。
いや、取っているというより、先生の間違いを訂正するメモを書いているように見える。
「……ユウスケ、これ分かるの?」
小声で聞くと、彼は眼鏡を押し上げて答えた。
「ん? ああ、この辺は塾の先取り学習で終わってる範囲だからね。方程式の基礎だし」
……そうだった。
ここにいるみんなは、熾烈な受験戦争を勝ち抜いてきたエリートたちなのだ。
「算数」と言いかけて飲み込んでいるような田舎者とは、基礎スペックが違う。
魔法学校という響きに浮かれていたけれど、ここはあくまで「学校」なのだと、僕は痛感させられた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして放課後。
待ちに待った、魔法実技の授業がやってきた。
場所は屋内訓練場。
クラス全員が体操服に着替え、整列する。
「よし、最初の授業だ。まずは基礎中の基礎、入試でも見せてもらったが、『火魔法』の実演を行う」
担当の先生が言った瞬間、クラスの空気が少し緩んだ。
火魔法なんて、みんな入試対策で散々やってきたことだ。
「今日は最初だから基本に立ち返り、
全員『詠唱』での火球の発動だ。」
えー、という声が上がる。
エリートたちにとっては、今さらただの火球なんて…
でも、先生は厳しかった。
「詠唱は自己暗示の基本であり、安全装置でもある。疎かにするなよ。
では手本を示す」
先生が掌を前に出し、朗々と唱える。
「灯れ、温かな火よ。
火の精霊よ、我が願いに応え、
小さき炎をここに示せ」
ボッ。
先生の掌に、ソフトボール大の火球が浮かんだ。
「次は出席番号順だ。やってみろ」
生徒たちが順番に前に出る。
みんな、さすがに上手い。
綺麗な火を出している。
杖を使っている子もいたけれど、それはあくまでイメージの補助だ。なくてもきっと問題ない。
「次、一之瀬!」
僕の名前が呼ばれた瞬間、
訓練場の空気がピリッと張り詰めた。
「……おい、あいつだぞ」
「避難したほうがいいか?」
「結界、大丈夫だよな……?」
ざわつくクラスメイトたち。
先生までもが、さりげなく防御障壁の出力を上げているのが見えた。
失礼だなあ。
僕は指定された位置に立つ。
(大丈夫。フレアとの特訓を思い出せ)
――火とは、燃焼ではない。熱エネルギーへの変換だ。
僕は深呼吸をして、詠唱を口にした。
「灯れ、温かな火よ。
火の精霊よ、我が願いに応え、
小さき炎をここに示せ」
イメージするのは、揺らぎのない、純粋な熱。
ボッ。
僕の掌の上に、静かに、そして鮮やかに、赤い炎が灯った。
暴れることもなく、爆発することもなく。
ただ美しく、そこで揺らめいている。
「……おぉ」
誰からともなく、感嘆の声が漏れた。
そして、その直後に――
「……ふぅぅぅぅ」
クラス全員が、深い深いため息をついた。
安堵のため息だった。
「よかった、爆発しなかった……」
「普通だ……あいつ、普通に魔法使えるんだ……」
なんだかハードルが地中に埋まるくらい下がっている気がする。
席に戻ると、隣のユウスケが小声で話しかけてきた。
「やるなぁヒロ。さっきの火、周りのやつらより色が澄んでたぞ」
「へへっ、分かる?」
僕はニヤリと笑って、こっそり教えた。
「みんな火の『大きさ』とか『勢い』を気にするけどさ。
火の真髄は『温度』なんだよ。
無駄な燃料を燃やすんじゃなくて、純粋に熱を高めるイメージ。それがコツなんだ」
「へぇ……! なるほど、温度か……メモメモ」
ユウスケが感心してメモを取る。
フレアの受け売りだけど、魔法ではちょっとカッコいいところを見せられたぞ。
今日はいい日だ。
数学で躓いた時はどうなるかと思ったけど、これならやっていけそうだ。
そう思っていた、その時だった。
「よし、全員合格だ。
火魔法の基礎は問題なさそうだな」
先生が満足そうに頷き、そして――
「では、次回は『水魔法』をやるから復習しておくように。」
何気ない一言。
でも、僕にとっては死刑宣告に聞こえた。
「……え」
思考が停止する。
水魔法。
周りのみんなは、入試の時みたいに、水をバシャッと出したり、水流を操ったりするんだろう。
それが「普通」の水魔法だ。
でも、僕は?
(……待って)
僕の「水魔法」の原理を思い出す。
空間内の空気を無理やり圧縮して、水分を絞り出す。
その結果、生まれるのは――
なぜか大爆発する水球だ。
以前、それを三重の空間の壁で覆って爆発を抑え込むことは可能だ。
でも、それはあくまで「爆弾を箱に閉じ込めている」だけだ。
みんなみたいに、手のひらで水をパシャパシャ遊ばせるなんて、できない。
壁を解いた瞬間、ドカンだ。
たぶん、当たったら死ぬ。
(……詰んだ)
火魔法で「普通」の評価を得たばかりなのに。
次の授業で、また災害認定されてしまう。
いや、屋内訓練場で爆破なんて起こしたら、災害じゃ済まない。
どうしよう。
どうすればいいんだ。
僕は真っ青な顔で、ある人物の顔を思い浮かべた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
放課後。
僕は特別研究棟の廊下を走っていた。
重厚な扉の前に立ち、深呼吸をする。
ここに入るのは二回目だ。
正直、中の「濃さ」を知っているだけに少し躊躇われるけれど、今は背に腹は変えられない。
コンコン。
「失礼します、一之瀬です……」
「入りなさい」
鍵を開けて中に入ると、そこは相変わらずの静寂と――紙の匂い。
壁一面に並ぶ、色とりどりの背表紙たち。
机の奥で、エレノア先生が頬杖をついてこちらを見ていた。
手元には、何やら書きかけのメモ用紙がある。
「あら、一之瀬君」
先生は、眼鏡の奥の青い瞳を細めた。
その表情は、心配しているようにも、面白がっているようにも見えた。
「その顔……もう困ったことがありまして?」
まるで、迷える子羊が来るのを予期していたかのような、魔女の微笑みだった。




