第32話 戦いの後、残る熱
夜の草原に、静けさが戻ってきた。
さっきまで暴れていた熱も風も雷も、
嘘みたいに引いている。
焦げた草の匂いと、
ところどころ抉れた地面だけが、
ここで何かが起きた証だった。
「……」
フレアリスは、その場に佇んだまま、
じっと僕を見ていた。
失われた翼と腕は、
まだ戻っていない。
でも――。
不思議と、怖さはなかった。
「……いい熱でしたわ」
低く、やわらかな声。
「あなたの魔法の“熱”と、
あなた自身の“想いの熱”。
どちらも、悪くない」
金色の瞳が、少しだけ細められる。
「火竜としては……
なかなか、心地よかったです」
「そ、そう?」
なんて返せばいいのかわからず、
曖昧にうなずく。
「ええ。
だから――」
フレアリスが一歩、近づいた。
思わず身構えた――はずだった。
でも。
(……あれ?)
さっきまで、
肌を刺すようだった熱が、
今は、ただそこにあるだけだった。
熱い。
確かに熱いはずなのに、
苦しくない。
怖くもない。
むしろ――
(……あったかい)
炎に触れているはずなのに、
包まれているみたいな、不思議な感覚だった。
フレアリスは、
何も言わずにそれを見ていた。
まるで、
ちゃんと感じ取れるかどうかを
確かめるように。
月光が、
彼女の巨体を銀色に縁取る。
神秘的で、
息を呑むほど綺麗だった。
「――これで、契約は完了です」
胸の奥が、
じんわりと熱を帯びる。
でもそれは、
燃えるような熱じゃない。
心まで、
あたためられるような熱だった。
「――それと」
フレアリスが、ふと思い出したように言った。
「その名ですが」
月明かりの下、
金色の瞳が、まっすぐこちらを見る。
「フレアリス、では長いでしょう?」
「フレアと、呼んでくださいまし」
一瞬、
どう返せばいいかわからなかった。
「……フレア?」
「ええ」
それだけで、
十分だと言うように、静かに頷いた。
フレアが、周囲を見渡す。
「このカルデラは、
私にとってとても居心地がいいのです」
「広くて、
熱が溜まりやすくて……
精神的に、相性がいい」
「普段はこの辺りを飛んだり、
休んだりして過ごしていますわ」
金色の瞳が、僕を見る。
「必要なときは、呼びなさい」
「わかった」
そこで、
ふと思い出す。
「あ、そうだ」
「今回の契約の目的なんだけど……」
フレアが首を傾げる。
「火の魔法を、
ちゃんと使えるようになりたくて」
一瞬の沈黙。
「……そんなこと?」
フレアが、目を見開いた。
「雷獣と風精霊を引き連れて、
一体何事かと警戒して損しましたわ」
少し、呆れたように。
「でも――」
すぐに、
表情が引き締まる。
「教えるからには、
生半可な火力は許しません」
「火の真髄は、
上限のない“温度”です」
「それを扱う覚悟が、
あなたにありますか?」
僕は、うなずいた。
「うん」
「……よろしい」
「では、また明日」
「お父様とお母様も、
連れてきなさい」
「えっ、いいの?」
「ええ。
せっかくですもの」
「かなり大きくて、
綺麗な場所でしょう?」
そう言って、
フレアは夜空へと溶けていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
宿に戻ると――
「ヒロ!?」
「大丈夫!?
危険はないって言ってたじゃない!」
心配そうな両親が、
ボロボロの僕を見て駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫だよ」
「ちゃんと、
契約できたから」
「……契約?」
「うん。
明日、二人を連れて行きたいんだ」
「すごく大きくて、
綺麗な場所だから」
二人は顔を見合わせて、
苦笑した。
翌日。
「……」
「……」
阿蘇の草原に着いた瞬間、
二人は言葉を失った。
「……なんだ、この地面」
抉れた跡。
焦げ跡。
なぎ倒された草。
「……本当に、
一体何したんだ?」
「えっと……」
少し、目を逸らす。
「じゃあ、呼ぶね」
「え?」
「フレア、出てきて」
空気が震え、
熱が立ち上る。
次の瞬間――
巨大な火竜が、
顕現した。
「――……!?」
両親が、
完全に固まる。
「……でかっ」
「……ボロボロじゃない!?」
「改めまして」
フレアが、
優雅に頭を下げた。
「火竜フレアリス・ヴォルガ。
ヒロと契約した火の精霊です」
「……火竜って、メスだったのか!?」
父の言葉に、
一瞬、空気が止まった。
フレアリスは、
ゆっくりと首を起こす。
「――言葉は、選びなさいな」
声は静かだった。
怒っているわけでも、
威圧しているわけでもない。
それなのに、
背筋が伸びるような圧があった。
「私は、火竜ですわ」
月明かりを背に、
凛と胸を張る。
「……そして」
ほんの一瞬だけ、
口元に微笑みを浮かべて。
「レディですのよ」
その場に、
誰も言葉を挟めなかった。




