第26話 世界の入り口
なんでもない日々が、静かに流れていた。
朝起きて、学校に行って、帰ってきて、魔法の練習をする。
風魔法も雷魔法も、少しずつ上手くなっている実感はあるけれど、
それでも毎日はだいたい同じだ。
そんなある日のこと。
夕方、家の電話が鳴った。
「ヒロか?」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、お兄ちゃんの声だった。
「うん。どうしたの?」
「今度さ、魔法学校で見学会があるんだって」
「見学会?」
「そう。でな、俺が世話になってる先生が、
どうしてもお前に来てほしいって言っててさ」
少し間を置いて、続けて言う。
「前に話してた、霧島先生って人。覚えてるか?」
「ああ……うん。変わった先生なんだっけ?」
お兄ちゃんが話していた内容を、なんとなく思い出す。
「学校から正式に招待状も出るらしい。
交通費も向こう持ちだってさ」
「へぇ……」
正直なところ、少し不思議だった。
魔法学校。
いずれ受験するかもしれない場所。
でも――。
(魔法なら、ヒューイやイカヅチがいるしな)
あの二人以上の先生なんて、いるんだろうか。
「せっかくだし、見に来ないか?」
お兄ちゃんの声は、どこか楽しそうだった。
「……うん。行ってみる」
そう答えると、電話の向こうで安心したような声がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後。
長い移動のあと、
僕は魔法学校の前に立っていた。
――大きい。
今まで見たどんな建物よりも、圧倒的だった。
門をくぐると、そこには街みたいな景色が広がっている。
遠くまで続く校舎。
広い訓練場。
いくつも並ぶ塔。
(僕の通ってる学校……小屋みたいだ)
案内用の旗を持った先生の後ろを歩きながら、
ただただ圧倒されていた。
見学は、授業の見学から始まった。
魔法の座学。
魔力の理論。
精霊との関係。
想像していた通りの内容だったけど、
意外だったのは――。
「算数……いや、数学になるんだっけ?」
「理科もやるんだ……」
普通の勉強も、しっかり組み込まれている。
「魔法を理解するには、基礎が必要だからね」
案内の先生がそう説明してくれた。
なるほど、と思った。
次に見たのは、土魔法の授業だった。
訓練場の一角で、先生が次々と物質を作り出している。
鉄。
銅。
見たことのない、金色の金属。
「すご……」
思わず声が漏れる。
隣の教室では、治癒魔法の授業が行われていた。
先生は、ためらいなく自分の腕をナイフで切る。
赤い血が滲んだ。
けれど次の瞬間。
短い詠唱とともに、傷口が光り、
まるで最初から何もなかったかのように塞がった。
「……っ」
かなり衝撃的な光景だった。
案内の先生が、少し低い声で説明する。
「治癒魔法は国家戦略的にも重要でね。
この学校では、実戦形式の演習も多い。
負傷者が出ることも珍しくないから、特に重視されているんだ」
「治癒魔法か……」
僕は、自分の手を見下ろした。
「そんなことも、魔法でできるんだ」
今まで触れたことのない魔法。
それが、ひどく新鮮だった。
さらに進むと、上級生の実技演習が行われていた。
風魔法の訓練。
その中に――
見覚えのある背中があった。
「あ」
お兄ちゃんだ。
お兄ちゃんは木の丸太の前に立ち、
静かに手を伸ばす。
次の瞬間。
風が走った。
――ザンッ。
丸太が、綺麗に八等分されて地面に落ちる。
(器用だなぁ……)
思わず感心して見ていると、
「ヒロくん!」
背後から、やたら元気な声がした。
振り向くと、眼鏡をかけた男の先生が立っていた。
「君が精霊の契約者だね!?
いやぁ、ぜひ――」
そこまで言いかけて、はっと我に返る。
「……いや、ダメだな。今は見学中だ」
こほん、と咳払い。
「後でいい。
私の研究室に来てくれるか?」
「はい」
そのとき、ふと視界の端に金色が映った。
金髪の、背の高い女性。
白い肌で、とても綺麗な人だった。
「あの人は……?」
「ああ。最近来た研究者だよ。とても優秀でね」
そうなんだ、と思いながらも、
つい見とれてしまう。
でも――。
ほんの一瞬。
彼女が、少し悲しそうな顔をしていた気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
見学の最後は、昼食だった。
「ここが第一学食」
やけに広い食堂で、
僕はピザを食べた。
「……おいしい」
理由は分からないけど、
やけにおいしかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
見学が終わり、
約束通り、霧島先生の研究室を訪れた。
案内してくれたのは、お兄ちゃんだ。
「ヒロくん!」
入るなり、霧島先生が身を乗り出す。
「頼む!
風の精霊様を見せてくれ!」
「そんな言い方しなくても……」
僕は少し笑って言った。
「出ておいで、ヒューイ」
つむじ風が巻き起こり、
次の瞬間、ヒューイが姿を現す。
「おう」
――どさっ。
霧島先生が、床に額を擦り付けた。
「大精霊様ぁぁぁ!!」
「いや、俺大精霊じゃねーから!
やめてくれって!」
ヒューイは慌てながらも、
どこか満更でもなさそうだった。
小さな竜巻を起こしたり、
風を自在に操ったりするたび、
「す、すばらしい……!」
霧島先生は、異常なテンションで感動している。
先生は大満足の様子だったけれど、
僕には少し引っかかることがあった。
「ねえ……
あまり関係ないんだけど」
僕は、思い切って聞いてみた。
「あの金髪の、美人な人。
ちょっと悲しそうに見えたんだけど……」
「ああ、あの人はね」
霧島先生は、少しだけ声を落とした。
「元いた国で迫害を受けて、
この国に来た研究者なんだ」
「迫害!?」
「日本ではあまり聞かないが、
海外では教会派という勢力が力を持っていてね。
彼女も、その被害者の一人だ」
「なんで、日本には
その教会派ってのがないの?」
霧島先生は、本棚――
いや、文献の並ぶ棚の背を指でなぞりながら言った。
「この国は、そもそも神なんて
表立って信仰してないだろ?」
くくっと笑う。
「でも、故郷を追われるというのは悲しいものだよ」
なるほど、と思った。
世界は、思っているよりもずっと広い。
ここには、
まだ知らない人がいて、
知らない魔法があって、
知らない考え方がある。
無事、家に帰り着き、
僕は今日のことを振り返っていた。
寝転がっていたヒューイは、すっかりご機嫌だ。
「なぁヒロ、あいついい反応するな!」
「……うん」
その隣で、イカヅチが静かに言った。
「悪くない場所だったな」
そして、少し間を置いて。
「どうだ?
お前も、通うのか?」
僕は何も答えなかった。
ただ、
魔法学校の大きな門を思い出していた。
――ここが、入口なんだ。
そんな気がした。




