序章
背後から、カンカンと音を鳴らし、薄暗い空間の空気を震わせる。その音はリズム良く一定の間隔で鳴り響く。
薄暗い空間にはコンクリート製の壁が真っ直ぐ伸びていて、数十年は経っているのだろう、右側のガラスが割れた窓枠から、満月の光が差し込んでいる。
「おじさ~ん。悪い子は~、警察に行くんだってよぉ~」
重々しい空気を震わせて声が響く。閉め切られていないせいで声が透き通って聞こえてくる、カンカンとリズム良く鳴っている音からも透き通る声からも逃げている、男性。靴は履いていなくワイシャツをズボンから出し、所々を汚し、おおよそ七三の髪型だったのだろうが、今は乱しており汗を流している。
「はぁ! はぁ! く、くそぉ!」
男性はその場で止まり、振り返る。ポケットに両手を入れて何かを取り出す。満月の光がその取り出した何かを反射させ、男性の顔を照らす。ビー玉だ。
「来るなら来い! このクソガキが! 俺はこれでも、前回の大会ではベスト8にもなったんだ! こんな初戦で……苦戦する筈がないんだ!」
そう唾を吐き捨てると、ビー玉が光り出す。色は赤色。即座にその赤色のビー玉は燃え始める。男性の手が焼けていないところを見れば、何かの力が働いていると考えられる。それでも、一定のリズムで音が鳴り響く。
それは男性が見ている奥から、ちょうど暗闇になっている部分から、人の形が見えた。
「!」
男性は、それが誰なのかを考えながら両手で投げる。投げられたビー玉は途中で噴射口から火が出て飛び出すように発射され、真っ直ぐと人の形へ――、
「違う違う。そっちは偽物~だ!」
左の窓がある方向から声がした。男性は即座に振り返ると、そこには小柄の何かが、座っていた。投げた方向では爆発音が鳴り響き、爆風が二人の全身をたなびかせる。
満月の光が差し込む方向のせいで顔は見えないが、笑った時に、不気味に白い歯だけが光って見えた、と男性は錯覚した。
「……どうやって俺の横に移動した?」
「そこで問題!」
爆風が収まったのか、服のなびきが大人しくなった。男性が声の主に身体を向けてポケットに手を入れる構えをする。
構えで止めたのは、その声の主――体格からして少年が、鉄の棒を何度も振って窓枠にカンカンと当てている。それも一定のリズムで。
「僕がいったい、ど~やって君の横に、こうやって座っているでしょ~っか!」
そこで一定のリズムで鳴らしていた音が無くなり、次に来るのは思い切り振られる音と、壁が破壊される破砕音と振動。その振動によって天井から埃やゴミが降り落ちている。男性は目の前で起きた行動に固い唾を飲み込む。
叩かれた箇所は完全に壊され、男性の左側が満月の光が完全に照らされている状態。
「その一、瞬間移動! それもただの瞬間移動じゃない! 音を利用しての瞬間移動だ。これなら即座に君の横、今座っているこの場所にいる。これなら分かるでしょ?」
その一……という事は、その二以上があるのだろうかと男性は考えつつ、深呼吸をする。少年の眼つきが見えた。とても幼く、短髪の何処かの野球服を着ている。その服はオリジナルだろうなと思う。少年は座っている股の間に鉄の棒を一定のリズムで叩き、笑顔になる。
「その二、影移動! 影の中を移動して床、壁、天井を移動してここに座った。これでも移動できるね!」
笑顔のまま選択肢を告げる。この選択肢の発言は全部、ブラフであると考えるべきだろうか。ともかく、今は動けない。”今”は、だ。今の状況を……その”時”を待つしかない。
「そして最後! 光による移動! しかも光っての移動じゃない。満月の光を利用しての移動、つまり外からだ」
少年の目線が一度満月に照らされた光の方に向けられるのを見た男性は、無意識に左を見た。満月の光が背後の壁を照らしている。さっきまで無かったが……少年の力とは思えない力。それが起因している何かだ。つまり、この三つの選択肢は全て偽物の選択肢。だとしたら――なんだ? あの場所からすぐ真横まで移動してきたのはいったいどういう方法だ? 分からない。分からないが……勝負はここか――。
「正解は、自力でした」
声が背後から聞こえた。それには男性の目が見開く。直後、両手をポケットの中に入れる。……が、入らない。男性が下を見れば、両手が前に向かって回転しながら地面に落ちているのを、スロー再生で見ている。人間、考えつかない事が目の前で起こるとゆっくりとなるのかと考えられる程に、ゆっくりと落ちるのを確認した。
それと同時に、手を腕から切り離したであろう何かが、月の光に反射して顔を照らす。それは鋭利な刃物。とても薄く見える鋭利な刃物がこちらの顔を映していた。どうして? 刃物はあったか? 何故斬られた事に気付かなかった? そんな考えが脳裏を巡る。が、次に来る現象を考えれば耐えなければならない。
「――――ッ!?!?!?」
痛みだ。強い痛みが先の無い腕にきた。身体を縮込ませて、斬られた手を見た。初めて見た現実で見る腕の断面図が、まさか自分だとは思わなかった。いやそれよりも、答えが自力? どういう事だ?
「君の能力は、ポケットの中から取り出す『ビー玉』に魔法でいう四大元素の系統を『付与』する事。それも限定的にしているから、二つの能力を得ている。その代わりに力は弱い。そこを君お得意の機転を効かせて~や、頭を使って~の戦いをして、有利に持っていくってことが、そのぉ、ベスト8? ってのにしてくれた。けど、前回ベスト8になれたのは運が良かったね」
少年が前に歩いて来て、斬れて落ちた二つの手を拾った。男性はその行動を見つつ、少年を睨み付ける。悲しい事に、今はそれしか出来ない。そして今回は少年の言うように、前回は運が良かった。何せ、殺されなかったのだから。
だが今回は違う。少年であろうとなんであろうと、殺す側の人間だった。いや、分かるわけがない。ただの少年だと思っていた子供が、人を殺す事になんの抵抗もないなんて……考えられるか!?
「まさか、ただの子供に負けるなんて考えてなかったって言わないよね? 曾爺ちゃんが言ってた言葉。相手が油断しているその時が狙い目だ。気にせずやっちまえ」
「……それはまた、愉快な曾爺ちゃんだな」
少年が説明した能力は、八割方合っている。だからこそ、こちらは痛みに耐えているんだ。この先で、逆転をする為に。ただ最初の戦いでまさかこうなるとは、思わなかった。
「愉快で楽しい曾爺ちゃんだったよ。けど、もういない。だけど曾爺ちゃんが残していったものは受け継がれている」
少年の顔は笑顔のまま変わらない。声色も変わらない。何も変わらない事が、恐ろしく思える。だが、こちらには逆転の一手が残っている。痛みには……慣れない。砂時計のように出血多量で亡くなるまであと数分か、数十分か分からない。確か心臓の位置より高く上げればいいとかだったな。
……無理だ。確実に少年はそれを知っている。動かせばきっと斬られるだろう。だが、少年の手には鉄の棒しかない。斬られたのは何によってだ? あれは仕込み武器か?
「受け継がれて、受け継がれて……受け継がれた先に待っているのは、曾爺ちゃんの生き方が”正しくなかった”という事実だけが残る」
喋っていくうちに、少年の目がゆっくりと閉じられる。閉じられたのを確認して、無くなった手の先、骨の位置にビー玉を作りながら、風と炎を混ぜた魔法を付与させて――。
「あ、駄目だよ」
その言葉の後、顎に強い痛みや砕けた音と共に視線が真上へと、強制的に向けられた。見ていた筈なのに、見えなかった。いや、それだけじゃない。身体が持ち上がっている感覚もあり、無理矢理立たされたような感覚もある。
「君の能力は二つじゃない。一つだ! 『魔法が付与されたビー玉の生成』、それを時間差で爆発するように、時限爆弾のように使って離れて戦えるようにしている! 頭いいよねぇ、僕みたいな子供にはない発想だよ! だからこそ、徹底的に細切れにさせてもらう」
その発言の後に、身体中に何かが通ったような感覚が、気持ちのいい感覚を得た。冷たい何かが身体中を巡って冷やすかのような、そんな感じ。なんだろう、これは。この廃墟の涼しさとは違う何かが通ったから、手が斬られた事にも気づかなかったのだろうか?
視線が落ちていく。落ちた先で、髪の毛を掴まれた。痛みはある。ある? ない? どっちだ?
「初戦の相手にしてはまぁまぁ楽しめたよ。けど、まぁまぁだから、結構とかそれなりとかじゃない。頭を使った戦い方をしているのはいいけど、時には圧倒的な力の前では無意味になるとか、なんとか。曾爺ちゃんが言ってたっけ? どっちも大切だから覚えようねって。もう―――――」
途中で声が遠くなっていき、最後には聞こえなくなっていた。掠れていく視線の先には、こちらを呼び掛ける少年の輪郭が見えるが、こちらからは何も聞こえない、何も見えない。これが、死ぬって感覚なのだろうか? だとしたら……なんて心地のいい……最ご……なんだ……ろ――――。
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モニターがズラリと並んでいる大きな部屋がある。そこの部屋には監視員と呼べる恰好として最適な警備員の服装、サングラスといった装飾品を付けた者達が椅子に座り、事の顛末を見た。少年は斬殺した死体の頭を持って周りを見渡す。
「勝者、白濱 大我。予想外の結果となりましたが……」
「予想外だのなんだの、そんな話しじゃねぇよ。あのガキの動き、どれもこれも解析したくても映像にのってねぇから出来やしねぇ。こっちの死角を見事につきやがった」
「死角、ですか?」
「ドローンがない場所だよ。そこから映し出されているとされている場所を確認、特定して動いた。こっちで得られた情報は、いつの間にか違う階層で歩いている姿と、鳴り響かせてた鉄の棒の音だけ。此奴を連れてきたのは誰ですかぁ、所長殿」
「紀美代君だね。彼女が、この殺人者を探して連れてきた」
所長と呼ばれた男性は、同じように警備員の服装をしているが、肩には腕章が付けられており、所長と巻かれている。上着にもいくつかの勲章のような装飾品が付けられており、地位が高い事を差している。所長は一段高い位置の椅子に座っており、全体が見える位置で全ての映像を確認。
左側では先程の戦いの解析が、真ん中では気分が悪くなったのか女性職員がダウン、右側は質問を飛ばしてきた若い社員と年配の社員がこちらを見ている。背もたれに身体を預けて一息。
「彼女は、この戦いでベストな性格の持ち主を連れてきたようだ。ただ少し、おいたが過ぎる様だがな」
「おいたが、過ぎる?」
若い職員が首をやや傾げると、一人の職員が、あ! と声を上げた。
「どうした?」
「ドローンが一つ、先程亡くなられた三木島 裕也選手の頭部を投げられて破壊されました……」
「……おいたが過ぎる、では済まないな、これは」
所長の発言の後に、左側の職員達が解析を一度やめて映像を片っ端から見ているが、所々で映像が砂嵐になっている。それを見た所長は身体を前に出し、机に両肘を置き両手を合わせて、
「全てのドローンを今すぐ回収しろ。現場のスタッフは勝利した事を伝えて、丁重にお帰り頂いてもらおうか。言葉には、次の戦いに備えておくように、と」
冷静に言葉を発すれば、全てのドローンがその場から離れる映像が流れるが、その数秒後に全てが砂嵐になり、ドローン全てが破壊された事を意味する状況を、今の現場に与えた。
「……えっと、所長。あのドローンの価格って――」
「聞くなって」
「俺の三か月分の給料だそうだ」
所長が溜息と共に、相当のお値段が掛かっている事を安易に示す。紀美代君は、本当にベストな性格の持ち主を見つけて連れてきたようだな。
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「お帰り、大我君」
「ただいまぁ、紀美代さん。最後にちょっと、物当てをしてきたよ。折角の殺しなのに音がうるさくてうるさくて。嫌になっちゃうね」
紀美代と呼ばれた女性は、スーツ姿の若い女性。車の中に入って来た大我を見て、シートベルトをちゃんと付けたのを確認し前へと走り出す。
「どうだった? 最初の戦いとしては」
「そうだねぇ~……、まぁまぁだったよ。というより、まぁまぁ楽しくなかったかな。力を貰ったとはいえ、こんなんじゃねぇ~。楽しめないよ」
「そう。……出来そうかしら? 私の期待には」
「答えられるんじゃない? 僕には最後まで分からないけど、紀美代さんの願いは叶えるよ。それが、白濱家、なんだからね?」
一台の車が森林に囲まれた道路を走っていく。それは場所が都会ではないと一回で分かるほどの、一台も車が通ってこないような場所。そんな場所に少年を連れてきた。
白濱 大我、年齢にして12才の少年に託された、千波 紀美代の願いを叶えるための物語。




