靴の花火――未完成の日記
随分前に書いた短編です。よかったら、見て行ってください!
――小学三年生春
「よだかちゃんは、何書いてるの?」
「日記だよ、友達と交換日記してたけど、辞めちゃって。今、一人でその続き書いてる」
「なんで?」
「そりゃあ、ノートが勿体ないからでしょ」
「じゃあ、僕と一緒に交換日記しない?」
「え?いいの?」
「うん!これで僕たち、お友達だね」
「へ?そっか、、、。そうだね!あははっ」
――翌年夏
八月三十一日
僕は、よだかのことが、好きです。
7月2日
黄ばんだ革靴で、冷え切ったコンクリートの染みをなぞっていく。この日は、よく乾いた夏初月だった。
無造作に並べられた本は、本棚から突き出て、隙間を埋めるかの様に斜めに立て掛けられたりした。私は、本を選ぶのも億劫になって、ソファに腰掛ける。
表面に薄く貼り付けられた生地から、スポンジの混ざった綿が顔を出した。天井の染みを数えるのも飽きてきたころ、私は何をすればいいのだろう。
「よだか、ご飯いる?」
うん、と返事する。ソファの冷め切った生地に顔を寄せると、か細い髪が視界を遮った。息を吐いてから、いつもの様に何冊か本を取る。
何冊も積み上げた腕の隙間から、零れ落ちた本が落下する。酷く脆い崩れ方をした本は、染みばかりの靴に弾けて、ほんの少しの間飛行した。
私は、その本を拾おうとする。すると、今度は腕に抱えていた本が音を立てて、崩れた。靴の表面を覆う涙の跡が、夕日に照らされていく。
同じような文字が、敷き詰められた紙をなぞる。何時になっても慣れない手つきで、必要以上に丈夫な紙を捲っていく。
次のページを捲ろうとした矢先、輪郭ごと触れ間違えたような浮遊感に呑まれた。指先には、飴玉のような血が爛れている。
そこから、形象の切り捨てられた空白が溢れ出た。夕日が映りこんで、火の粉を連想させる。私は、血を帯びた人差し指で髪を梳く。
乱暴に糸を紡いだような髪は、皮膚の隙間に潜り込んでは絡めつく。夜が更ける頃には、掌の皺を沿って深紅色の液体が流れ込んでいた。
乾いた血が染みを作り、潰した熟柿のような色合いで固着していた。私はソファに縮こまり、足を丸め、腕にうずくまる。
喉に詰まった息が、震える唇の淵を縫っていく。糸の様にか細い息が、嗚咽交じりにつっかえたのは、それから間もない事だった。
瞳から溢れ出る涙を堪えるたびに、喉が素っ頓狂な吃逆を繰り返すので、それに共鳴して、張り詰めていた顎の筋肉が緩まるのが分かった。
鏡に映るのは、虚空の中で息をする人間。髪の生え際から顎にかけて、面そのものが消え去り、虚空の向こう側が筒抜けになっている。
それに同調するように、首元に所々、乱暴なモザイクのようなものが上書きされた。震える指先が、そっと頬を滑る。
――夜だかは大声をあげて泣き出しました。
真っ赤に染まった掌が、涙とともに流れていく。水滴に閉じ込められた血煙が、靴の先に弾けて、少しばかり淡く光った。
7月5日
湿りを帯びた大気の中、裂かれた制服で涙を拭う。歩道橋を通り過ぎて、直ぐ、横手に小さなアパートが見えた。
ドアノブを力任せに回すと、コンクリートの敷き詰められた部屋が顔を出した。天井に吊るされたランプは、振り子のように左右に揺れている。
ソファに横たわると、糸を乱暴に紡いだような髪が視界を遮った。接着剤に似たり寄ったりな匂いが、生地の裂け目から流れ込む。
「よだか、図書室行こうよ」
うん、と返事する。髪が唇の縁を掠めた後、頬の波間を縫う様に揺れながら傷口に触れ、ぞくりと擽った。息をついてから、端に置かれたテーブルを運んでくる。
その上に、規則的にトランプを並べる。鋭い角が傷跡に触れた後、皮の隙間に入り組むようにして、また新しい傷を作った。
傷の底から顔を出す隙間だらけの空間は、魚のように暴れ回り、私の視界の隅々まで跳ね散った。支配されてたまるか、と言わんばかりに。
――想い出の中じゃ、いつも笑ってる顔なだけ。
伏せて置いたトランプをただ捲っていく。同じような数字、同じような模様を表面化させていくと、手元にカードが積み上がっていく。
揃った手札の山を横目に、私は残った一枚のカードを摩った。最後まで揃わなかったカードは、表面の凹凸に夕日を刻む。
それが溜まらなく嫌になってきて、顔を隠す様にテーブルに伏せる。随分と切っていない前髪が、爛れて、瞳の間を縫う様に入り込んできた。
「ご飯、いる?」
うん、と返事する。視界のはるか先に、背丈の低い男の子が佇んでいる。頬を少しばかり赤らめて、澄んだ瞳で笑っている。
皿を割る。血が出る。
8月31日
今、私は高校の屋上にいます。親友に家の鍵を渡したので、この日記は後でその子に託します。
この日記は、後で読んだ人が感情移入できるように、小説風にしました。作文は得意なので、読みやすいと思います。
寒いです。最後位は、笑って終われるように元気な文面頑張ってます。本当は凄い手が震えて、怖いです。
どんなことがあっても、笑顔を絶やさないように。今や別居中の母がよく言っていました。私は、そんな子になれましたか?
きっと、笑顔のレッテルを貼れという意味で言ったわけではないと思います。でも、私は違った。苦しくても、誰にも相談しなかった。
それでも笑い続けた。それが一番の後悔です。それでも、貴方の前では素の自分で居られた。貴方は、どんな思いで私に接していたのかな。
では、さようなら。
九月四日
お前の部屋に久々に入った。日記は、テーブルの引き出しに設けられた二重底に隠されていた。昔、お前が言ってた通りだ。
中身を見ると、小説の様に整った文章がぎちぎちに並べられていた。几帳面な奴の事でも、これはやり過ぎだと思う。
今日は、葬儀と告別式があった。お前のクラスメイトは誰も来なかったぞ。帰宅部だったし、不登校気味だったからかもな。
皆、教室で気まずそうに俯いてた。お前を虐めてた奴らも、震えて、私たちはやってない、の一点張りだった。
もちろん、学校は大慌てだ。「危機管理・メンタルケア」とかを名乗って、最近職員会議を頻繁に行ってるみたいだった。
急だけど、本題に入る。俺はこの日記を読んで、疑問に思ったことがあったから、ここで言う。
――なんで俺は、幼少期の姿のまま時間が止まっていたんだ?
どう考えても喋り口調は幼いし、背も低いって書いてある。普通、おかしいだろ。
なあ、お前の中で俺はもう死んでいるのか?お前の記憶には、もう今の俺はいないのか。
しかも、幼少期の俺は妙な仮面を被っている。だから、俺は一晩中考えた。考える資格もないんじゃないか、って思うこともあった。
でも、ようやくわかった。分かったうえで、俺は最低だと思う。
俺は、嘘をついていたんだ。
――お前のことが好きって日記に書いたのは、罰ゲームだった。
小4の頃、石田って奴がいただろ。石田と俺を含めて五人で、放課後に鬼ごっこをやったんだ。
もちろん、皆は俺が運動神経が悪いって知ってるし、最初からそのつもりでいたんだろう。
負けた奴は、よだかに好きですって、俺とよだかの交換日記に書けって言ったんだよ。
それでも、俺は意気地なしと思われるのが嫌で、その鬼ごっこに参加した。結局、惨敗した。開始十秒ほどで、捕まっちまった。
確かに、俺とよだかは昔から、お似合いカップルだの散々言われてきた。
でも、当時の俺は小4にしては、そういうのに鈍感だったし、告白っていうのもよく分かっていなかった。
だから、言われるがままに書いたんだ。僕は、よだかのことが、好きです。って。
九月七日
今日は、火葬があった。
亡くなった人の日記を勝手に漁って、追記する自分が情けない。
何か、酷いことをしている気がする。四日の時は勢いで書いたから、罪悪感を感じなかったのかな。
今日、部活を辞めてきた。ハンドボール部。部活のグルラも全て消した。
俺は、ずっと一晩中考えてる。中学の頃、よだかと一緒にいたら虐められる、と思っていた俺は最低だ、と。
よだかから離れるために、苦手な運動を練習して。強豪校の運動部に入って。よだかから離れるために、悪遊びしてみたり。
女にモテる為に、ちょっかいを出してみたり。男友達を作るために、好きでもないカラオケに行ってみたり。
――よだかから離れるために、よだかの虐めに参戦してみたり。
今考えると、筋が通ってない事ばかりしている。覚えてる。あの時の事も。
「、、、くんは、よだかのこと、きらいなの?」
「、、、くん、わたし、最近ゆめをみるの、あなたが、遠くに行っちゃう夢」
「わたしはね、追いかけるの、あなたを。延々と、延々と。でもね、届かないの」
――『よだかのこと、好きって言ってくれたのも、嘘なの、、、?』
俺があの時、友達になろうなんて言わなければ。俺があの時、交換日記に嘘を書かなければ。
俺があの時、よだかから急に離れていかなければ。俺があの時、虐めに参戦しなければ。
――全部、俺のせいだ。
9月2日
先月、息子が亡くなりました。 今日で丁度三日前...のことでした。
去年の秋ごろから、様子がおかしかった。




