#4 靴の花火
気づけば、ミカサは瓶を持ったまま立っていた。床に落ちた、マフラーを掬い取り、慣れた手つきでまた首に巻きなおした。
あのときのマフラーはまだここにある。あのときの思い出もまだ、前のことのように生きている。でも、あの時のようにマフラーを巻いてくれる、
エレンはもうここにはいないのかもしれない。毎日、決められたように、同じようなことの繰り返し。初めは、この山小屋が帰る場所だと、
思っていた。でも、今は自分を閉じ込める檻のように感じる。もう、分かり合えるような世界ではないのかもしれない。
「この山小屋だけ、、、時間が進んでないみたい、、、」
ミカサは、瓶をまた引き出しに戻し、灯明皿の灯を消し、一人寝室に向かっていった。
『いってらっしゃい、エレン』
その男は、夢から目覚める。男のターコイズ色の目には、ギラギラと光る二本の刃物が映されていた。
大地が目覚め、地平線から一筋の光が差し込む。じきに、朝日が顔を出し、そこにあるすべてのものが初々しく輝いた。
照らされた朝露がぽつりと地面に落ちる。草花が芽吹き、朝霧が大地を覆い、包み込んだ。
静止していた部屋がまた一つ輝き始めた。無数の光が、そこにあるもの全てに影をつけた。エレンは、一人薪を新しく切り、
部屋に戻ると薪ストーブに火をつけた。最初は二人でしていた作業だったが、いつの間にかエレン一人でするようになっていた。
靴を履いていても、冷たさが床から足にしみこんでくるような、冷たい朝が、薪ストーブを焚くと、少し和らいだ気がした。
ミカサが二階の寝室から降りてくる。案の定、二人の間には、会話という概念が存在していない。ミカサは、マフラーを握りしめ、
椅子に腰かけた。朝日が二人を刺し、必要以上に二人を照らすが、二人の背後には影をつけた。
「、、、紅茶」
ミカサが、ぽつりとつぶやいた。エレンは瞼をかすかに開いたが、ミカサはそんなエレンのことを見もしないで、ただ
俯いたままだった。エレンは、そのまま動かずにミカサを見据えていたが、やがてキッチンで二人分の紅茶を入れ始めた。
紅茶を注ぐ音が聞こえた後、ふわっと朝の部屋に紅茶の香りが漂った。それは、ミカサのところまで届いた。
エレンは、コトっとティポットを置くと、お盆に二人分のティカップを乗せた。遠くから、エレンの足音が聞こえる。
その足跡は、ミカサの手前で止まり、顔を上げると、目の前にティカップが置かれた。エレンは、ミカサの斜め前に座った。
「もう、、、二人で決めた家具の位置も変わっちゃったね」
ミカサは呟く。天井にかけられたランプは、リズムを刻むように不安定に揺れ、その度に二人の影の角度を変えた。
ミカサは、顔を上げるとエレンの瞳を見据えた。エレンの瞳の奥は、空っぽだった。何考えているのかわからないんじゃない、
何もなかった。まるで、空っぽの瓶なのに、愛という鎖だけはずっと生き続けているかのような、形だけ残っているかのようだった。
「、、、懐かしいな、、、」
エレンは、何か遠くを見、呟いた。薪ストーブの横に置いてあった、薪が崩れ、ガタンと音が鳴り響いた。
時計だけが時を刻んでいる。エレンは、ミカサの手元を追っている。
「エレン、、、何か、隠してるでしょ、、、」
その瞬間、弾かれた様にエレンは顔を上げ、ミカサの目を見つめた。沈黙が走る。窓から朝日が差し込み、二人を照らした。
紅茶の横にあるエレンの手が小刻みに揺れる。それと同時に、その振動がテーブルを伝い、ミカサに伝わる。
「エレンなのに、エレンじゃないみたい、、、」
ミカサは、エレンの表情を伺うように見る。その顔は、いつの間にか凶器を宿すような顔に豹変していた。
カーテンが忙しく波を描くように、揺れ、近くにあった花瓶にそっと触れた。
「ミカサ、、、お前は今のままでいいと思うか、、、?」
エレンの瞳はどんどん、眼光が鋭くなり、ミカサの瞳を鋭く刺した。エレンは立ち上がって、そっと、一つの引き出しから瓶らしきものを
取り出した。ミカサの瞳が大きく開き、素早い反射力で、エレンを瞬時に止めた。その衝撃で、そこにあった、花瓶は床に叩きつけられ、
パリーンと盛大な音を立てた後、あっと言う間に粉々に、散りはてた。ミカサは、必死にエレンを止めようとする、とその瞬間ミカサに頭痛が襲った。
“つまりお前がオレに執着する理由はアッカーマンの習性が作用しているからだ”
“要するに本来のミカサ自身は、9歳を最後にして山小屋に消えちまったんだよ”
“オレは、、、ガキの頃からずっと、ミカサ、お前が嫌いだった”
もうどこからが現実でどこからが夢か分からない。ぼんやりとかすむ、視界の中でミカサは、エレンの言葉を聞いた。
『この紅茶には、毒が入っている。ミカサ、一緒に逝ってくれるか?』




