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#7 逆夢と居場所

それから、どれ程の時間が経ったのだろうか。ミカサは、エレンをベッドまで運ぶと、その隣に小さな丸椅子を置いて、そこに腰かけた。


「、、、エ、、レ、ン」


随分声を発していない喉から、かろうじて絞り出した言葉だった。しかし、名前を呼んでも意地悪に答えてくれない。


エレンの胸元に置かれたマフラーが夕日に照らされて淡く光っている。烏の鳴き声が部屋中に響き渡り、沈黙を埋めた。


「エレン、私はわかってたのに」


そう一つ呟くと、喉の奥から溢れ出して止まない言葉を口から零していった。言葉は、全てベッドの手前の床に落ちていく。


「私は今日も元気だよ、エレンは?」


ミカサの痩せ衰えた身が、夕日に刺され、酷く濃くその身に影を付けた。


「エレン、春が来たよ、桜一緒に見ようよ」


桜吹雪は、短い寿命の中で絶頂の一時に美しく煌めいて、もうこれ以上惜しくないような笑みを浮かべて舞う。


「エレンってそんなに昼寝長いタイプだっけ?」


ミカサは分かりやすく首をかしげると、ふと立ち上がって、二人分のティーカップをダイニングテーブルから持ってくる。


冷めた紅茶をキッチンのシンクに捨て、洗って、タオルで丁寧にティーカップを拭きとった。

それをベッドの隣のライトテーブルで、茶葉を入れて湯を入れて、スプーンで掻き混ぜると、両手にカップを持った。


そのうちの一つをエレンの手に持たせようとする。しかし、手は頼りなく空を掠って、取っ手にすら届かない事に、どんどん腹が立ってくる。


色んな感情が混じり合って、酷く震える指先を片方の手で抑え込む。しかし、指先は不規則な波の形を描いて一向に収まらない。


「あ゛゛あ゛あ゛あ゛」


気づけば、パリーンと大きな音を立てて、床に無様に跡形もなく散ったティーカップが足元を占領していた。


遠くで鳴き声をばら撒く烏の声も離れていく。ミカサは、音を立てて膝から床に吸い込まれると、そのままピタリと動かなくなった。


スカートの繊維を通り越して、散りばめられたガラスが足を切り裂いていくのがわかる。


手に持っていた、もう一つのティーカップも自ら床へ投げ捨てて、さっきとは比べ物にならない程に盛大な音を鳴り響かせた。



“僕はさよならが欲しんだ、ただ微睡むような、物一つさえ云わないまま僕は君を待っている”



重い瞼を上げると、ミカサはベッドの隣の椅子に座ったまま、ベッドに伏せていた。足元で、散ったガラスの様なものを踏む感触がする。


気づけば、見覚えのない毛布が掛けられていると思ったが、自ら掛けたものだった。散った花と花瓶が地面に無様に砕け、ティーカップの破片が足元を占領していた。


「エ、、レン、、破片飛び散らなかった?大丈夫?」


ミカサは、必死にエレンに同じ質問をループするように問いかけた。そして、エレンが傷ついていないことを確認すると息の抜けたような声でよかった、と繰り返した


「ミカサも、大丈夫だよ」


ゆっくりと、分かりやすい発音で、自らのことをミカサと言った。朝日に照らされて、ミカサの影が頼りなく伸びていく。


「エレン、今日も沢山話そうね」


笑いかけるミカサの表情を描写する様に朝日が照りさすが、その疲れ切った表情に刻まれた隈の影が日に日に濃くなっていく事は本人にも分からなかった。


ミカサの皮膚に刻まれた無数の傷は治ることなく、傷口を広げる一方だった。中には、ティーカップの破片が取り切れていないところもあった。


「今日ね、鳥の声がしたの、一緒に出掛けようよ」


その笑顔の仮面の裏に潜む表情は日に日にどす黒く面積を広げていき、仮面からはみ出そうなほどに成長していた。



“歳を取った、一つ取った、何もない部屋で春になった、僕は愛を底が抜けた柄杓で飲んでいる”



麻酔が掛かった様な虚ろな瞳は、もうエレンしか映していなかった。一つ螺子を失うと全てが崩れ去りそうな、そんな不安定な塔の様だった。


「桜、見ようよ、綺麗だよ」


この言葉も何回目だろうか。カーテンの隙間から風に運ばれてくる桜は、窓辺で華やいでいる。

「近くに鹿が出たんだって、観に行こうよ」


適当な嘘をつく。吹き抜ける春風が、エレンの胸元にあるマフラーを揺らしたが、それに触れるのも億劫になって、ミカサは目を逸らした。


「エレン、私って無責任かな」


ミカサは、俯いた。視界が歪み、心臓の不規則な鼓動が不快な動悸となって全身を駆け巡った。


心臓が、握りつぶされる様に酷い痛みを上げる。しかし、それに反撃するように鼓動を速く、呼吸を荒くしていくのが、何よりも苦痛だった。


「エレンよくさ、独り言で『ミカサ、俺は、、、』って言ってたよね」


あれは何、と聞いてみても、うんともすんとも言わない。本当にエレンの昼寝は長いな、と少し呆れる。



“君の鼻歌が欲しいんだ、ただ微睡むような、物一つさえ云わないまま僕は君を待っている”



「エレン、、、あのね」



『それから、エレンは山小屋の近くの草原で見つかった。その時から、エレンは人が変わった』

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