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#5 オドレテル。マフラー

山小屋の窓から結露越しに見える景色は、ちらつく粉雪ばかりで、吹き荒れる嵐のような風が窓を酷く揺らし、ガタガタと音を立てた。


薪ストーブが、息を吸う様に凍り付いた部屋を暖めては、その度に灰の中の灯をすり減らしていった。

舞う埃や塵は、景色と一体化した様に、気にならなくなっていく。二人で買った、思い出のティーカップも積まれたシンクの皿の中に紛れている。


マフラーを膝に置いたまま、寝落ちするその人は、寝息を立てながら倒れ込むように頭を垂れては、無意識にまた起こした。


その人の膝から、マフラーが波を描くように地面に落ちる。それを、拾おうともせず、その人はただ椅子にもたれ掛ったままだった。


エレンは、それを拾い上げる。埃を丁寧に払ってから、想いを爆ぜるように長い間見つめると、マフラーを膝に戻した。


重い腰で、のっそりとキッチンへと足を進めると、シンクから、いつか買ったティーカップを二人分手に持った。


どの角度に転がしてみても、光を反射すことのないティーカップを眺めると、ふとした様に、タオルを引き出しから取り出して、表面を拭いた。


そのティーカップは、光を思い出したように、輝いた。エレンは、目を細めてから、心から微笑みを零した。


それから、棚から茶葉を取り出すと、その上を飾るように紅茶を目一杯入れて、お盆に二人分乗せ、慣れた手つきでテーブルまで運んだ。


ミカサは、少し開いた口から吹き抜ける息の音を部屋中に響かせた。気づけば、またマフラーが床に根を張るように爛れ落ちている。


エレンは、その様子を瞳に映し出すが、すぐに瞼を落として、テーブルに二人分のティーカップを置いた。


一つを自分の手元に、もう一つをその奥に置いた。そうして、椅子を引いたときに、何か椅子の脚に弾き飛ばされる様な音がした。


エレンは、それを拾い上げた。埃をかぶった写真立ての中に、はめられていた物が窓からの光を反射して、煌びやかに光った。


想い出自体が光ったのかもしれない。エレンは、その写真立てを向かい側のコップの横に立て掛けると、一人俯いた。


そして、今度は天井を仰ぐ様に上を見ると、額に手を当て、そのまま一人長い沈黙を感じながら、重心をかけて椅子を傾けた。


ミカサの寝息が遠くに感じる。エレンは、開いたままの口を震えさせながら、額に当てていた手をそっとどける。


「ミカサ、、、」


気づけば、口の中から言葉が溢れ出てくる。写真立てとティーカップの間から見える、椅子に向かって、何かを発し続けた。


ミカサは、頭を垂れたまま、衣装箪笥の隣の小さな椅子に座り、寝息を立てていて、エレンが話しかけた椅子は、誰も座っていない椅子だった。


溢れ出してくる言葉は、どれも椅子の手前の床に落ちて、エレンの足元に流れ込んでくる。椅子が、窓からの逆光を受けている。


その時、ミカサがまた頭を垂れたと思うと、思い出したように頭を上げ、足元に転がっていたマフラーを踏みつけ、立ち上がった。


「エレン、、、?」


ミカサは、恐怖を隠し切れないような瞳で、エレンを捉えた。ミカサは眉間にしわを寄せてから、ダイニングテーブルの椅子を指さす。


「そこ、誰もいないよ、、、」


うん知ってる、とエレンが言うと、ミカサは何も言えないような表情になり、寝ぼけながらも、頭皮を狂ったように搔きむしった。


マフラーが地面に無様に転がり、薪ストーブの灯はついに尽きた。長い沈黙が降りた後、ミカサは立ち上がり、結露で曇り切った窓に触れて、その向こう側を見た。


柔らかな風が、長めのスカートをなぞる様に揺らすと、それに同調する様に窓の外から図太い光が、ミカサを染めた。


窓の外は轟轟と嵐の様な風が吹き荒れたままなのに、何処からか降ってくる光は、ミカサだけを照らす。

自然光のスポットライトの中で、気持ちよさそうに伸びをすると、ふいに結露越しに見える景色に惹きつけられる様な瞳をした。


エレンの心を何かが蝕んでいく。ダイニングテーブルの上に置いてあった二人分の紅茶は、湯気を立てることなく、長い影を付けていた。


窓から差し込む光は、瞳が扱え切れない程に眩しく、エレンの瞳を侵食していく勢いだったので、とっさに目を逸らした。


その目から、濁った水滴が地面に次々と落ちていく。ミカサは、そんな様子に目もくれず、宝石の様な光を受けたまま、輝いている。


エレンは、塞ぎ込む様に震える手足を丸めて、溢れ出る汚水を必死に止めようとする。涙の海ができる頃には、ミカサは扉を開いていた。


瞳が狂った信号のように、暴れだす。冷たい頬を、水滴が伝っていく。それでも、と光の方に駆け出す自分がいた。


ミカサの手をそっと握る。ダイニングテーブルから、写真立てが倒れて、地面に落ちる。


「ミカサ、俺は、、、」


次の言葉が、喉をつっかえて出てこない。光と影の境目で、二人は少しの間黙って、お互いの瞳を眺めていた。


草原は穏やかに、風とリズムを合わせて踊っていたが、いつの間にか靡かせてくれる風もなくなり、しばらく静かになった。


「エレン、行くね」


ミカサは、そっと重ねていた手を剥がしとると、首元を摩りながら、雪が解けて雨上がりの様になった道を、歩いて行った。


どんどん小さくなっていく後ろ姿を呆然と眺めているうちに、なんだか胸が締め付けられる感覚が襲ってきて、反射的に目を逸らす。


後ろを振り返ると、山小屋の中は静かになり、光を失っていた。踏みつけられた跡のあるマフラー、落ちた写真立て、冷めた二人分の紅茶。


エレンは、マフラーをそっと拾い上げると、写真立てとティーカップの真ん中に丁寧に折り畳んで置いた。


自分は、一人で夢でも見ていたのだろうか。振り返れば、二人は随分と会話していなかった。

最後に出掛けたのも、一年前の秋のことだった。勝手に、麻酔をするように、息をするように言い訳をして、心の奥で何かに縋りついて。


最後には、曖昧なサインを見落として、途方もない間違い探しになっている。エレンの背は、一人山小屋の奥の暗闇の方に飲まれていった。



“幸せな人が憎いのは、どう割り切ったらいいんだ、満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感”



何もない部屋に春が訪れた。エレンは、二人分のティーカップをダイニングテーブルに置くと、思わず微笑んだ。


「ミカサ、春が来たな」


そうして、語り掛ける様な調子で喋り始める。締め切った窓からは、もちろん桜の花弁が舞ってくることはなかったが、それで良かった。


相変わらず、吐き出した言葉は全て椅子の手前の床に落ちて、エレンの所に流れ込むが、不思議と前よりも心が落ち着いた。


腹の底に眠る言葉は、喉を通ることはない。それでも、心の手前、建前だらけの言葉でも話せることが、何よりも嬉しかった。


ミカサは、一生懸命、足元に転がった言葉を拾い上げてくれる。エレンは、その様子を俯きながら、想像している。


やがて、窓の外から注ぎ込む朝日が床に落ちて、面積を見る見るうちに広げていった。エレンは、この朝のひとときが好きだった。


エレンが二人分の紅茶を入れた後、二人で話すこの時間が。それから、薪ストーブ等に使う薪を新鮮な気持ちで切りに行くことができる。


ふと、薪ストーブの方を見ると、冷え切った灰が伺える。気づけば、凍り付くように寒かった部屋は二人の肌を突き刺した。


エレンは慌てて、ミカサにちょっと待ってて、と言うと薪を薪ストーブに入れようとする。しかし、今度は薪がない。


いつもここに置いてあった筈なのに、震える両手をミカサに見えない様に隠しながら、またテーブルに座り直した。


「ごめん」


俯いたまま、ミカサの表情を想像する。掛け時計が、朝の時間をどんどんすり減らす様に、忙しく針を動かしている。


すると、エレンは突然ミカサの冷え切った指を梳くように、自分の手で包み込むと、遠慮気味に口を開いた。


「ミカサ、俺は、、、」


エレンの指先に纏わりつくように、埃を薄っすら被ったマフラーが絡まった。その感触だけで、視覚を俯いたまま想像する。


その調子に合わせるように、もう一度口を開く。しかし、うまくいかず、荒れた息だけが喉を通って、発された。


喉に詰まって取れない異物の様に、出そうとすればする程、その対価に痛みが生じて、目から零れるのは、一滴の涙だけだった。


エレンの悲痛な叫びが部屋中に響いて、同時にその声を耳にするのも、自分一人だけだった。マフラーが引きちぎられる程、強く握りしめて、泣き叫ぶ。


喉が裂かれるほど叫ぶと、それも馬鹿馬鹿しくなって、今度は天井を仰ぐ様にすると、次は違うような叫び声を上げた。


目を狂う様に開閉するも、それでも涙は止まらない。胸の中が、体内を裂いて、今すぐ飛び出そうなほど暴れだす。


それでも、何処か客観的になっている自分がいて、泣き叫ぶ無様な人を、眺める通りすがりの中の一人のような気分だった。


目は何かに取り付かれた様に泳ぎ、髪は引っ張ると永遠と地面に爛れ落ち、マフラーを強く握りしめると爪で切り裂いてしまう、ただそれだけだった。


“理想の自分になれる薬”


エレンは、その様なラベルが貼られた瓶を取り出すと、一瞬の沈黙のうちに空っぽな瓶を床に落とした。




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