決戦に向けて
プロヴィデンスまで残り二日の夜、ジュリアは自室でストレッチを行っていた。その傍らでは、コハルがローテーブルの前に正座し、両親の写真に祈りを捧げている。
「……コハル」
呼びかけに、コハルは祈りを止めて、首だけで振り返る。
「怪我の調子はどうですか?」
「スコット様に治癒の魔法をかけていただいています。問題はありません」
「……だとしたら、何を思い悩んでいるのです?」
コハルは黙って、ただジュリアを見つめた。対するジュリアも、ただ視線を返す。
「お嬢様にお許しいただきたいことが、一つあります」
「なんでしょう」
改まるように体の正面をジュリアに向けてから、コハルは背筋を伸ばす。ジュリアも彼女の想いを受け止める準備を整えるように、ストレッチをやめ、同じような姿勢で向き合った。
「十年前、お嬢様に拾っていただいたとき、一つ約束しました」
「ええ、もちろん覚えていますわ。飢えた獣のようだった貴方の目付き……今思い出すだけでも震え出してしまいそうです」
当時を思い出したように笑顔を交わす二人。だが、すぐに笑みを消し、コハルは言った。
「あのとき、お嬢様は言いました。これからは、お嬢様を守るためだけに戦うように、と」
「はい。十年と言う月日、貴方はその約束を守っている、と私は認識していますわ」
「……次のプロヴィデンスの日、私はその約束を破ることになると思います。どうか、それをお許しいただけないでしょうか」
先程とは違い、真剣かつ危険な視線が交錯した。だが、ジュリアの回答は短い。
「許しましょう」
コハルはその言葉を噛み締めるように、小さく目を閉じた後、正座の状態のまま、深く頭を下げた。
「しかし、条件があります」
「はい」
コハルは頭を下げたまま、その条件を待つ。
「人の心を忘れず戦い、必ず私の元に帰ること。それだけです」
コハルはゆっくりと頭を上げると、ほのかに笑みを浮かべた。しかし、そこには確かな絆と信頼がある。
「もちろんです。私は死ぬまで……ジュリアお嬢様の使用人ですから」
一方、スコットはアーサーに貸している部屋の前で、扉を叩くかどうか、と拳を上げては下げてを繰り返していた。考え、考え抜いた末、スコットは立ち去ろうとするが、部屋の扉が開き、アーサーが顔を出した。
「言いたいことがあるなら言え。気持ち悪いぞ」
「……すまない」
スコットは招かれるまま、部屋に入り、向き合って座った。
「その、イーリア嬢のことだ……。残念だったな」
それに対し、スコットは肩をすくめるだけで、特に何も言わなかった。だが、本題はこれからだ。
「それで……恐らくは明日か、プロヴィデンスの当日、彼女が敵として現れることがあるかもしれない。そのときは、どうする?」
しばらく無言の時間が流れたが、アーサーは普段通りの調子で結論を出すのだった。
「もちろん、俺が相手する。何も心配する必要はない」
「……そうか。つらい役目を任せることになるが、頼んだぞ」
アーサーはすべてを託されてもなお、余裕を持っているような表情で頷くが、なぜかスコットは急に疑うように目を細めた。
「だが、問題が一つの残されている」
「ふっ、それも分かっている」
二人は声を揃えた。
「「良い女の声がない」」
やはりそうか、と溜め息を吐くスコット。対してアーサーは笑みを浮かべたままだ。
「やはりジュリアではダメか?」
「以前言った通りだ」
「ファリスは?」
「やはり、あと二年は待ちたい」
「じゃあ、シラヌイ殿はどうだ!?」
「正直、ちょっと怖い」
「……」
黙って額に手を当てるスコット。もはや打つ手なし、といったところだろうか。
「実は先程、シラヌイ殿に声をかけられたのだ。今回、クレインがとんでもない強敵を準備してきたらしく、その相手で精一杯になるだろう、と。つまり……君が本気を出してくれなければ、また窮地に陥るかもしれん」
「ふむ。どうなるものかな」
「……変に余裕があるじゃないか」
普段から飄々としているアーサーだが、無責任な男ではない。戦力として機能しないのであれば、そう申し出てくるはずなのだ。
「何か勝算があるのか?」
スコットが確認すると、アーサーは小さく頷いた。
「今回は戦える。……そんな気がするのさ」
そして、日が変わり、プロヴィデンスまで残り一日となった。




