要するに敵はボクシング
二十分後、スコットは胃の痛みに顔を歪めながら、体育館の前に立っていた。
「スコット、そんな顔をするな。こうなってしまったら、プロヴィデンスを楽しもうじゃないか」
横にいるアーサーは気楽に笑っているが、もちろんスコットにそんな余裕はない。
「君は他人事だからそんなことを言えるんだ。僕は自らの使命をあんな変わり者に託すことになったんだぞ? 自らの運命を呪うばかりだ」
「いいじゃないか。使命とやらは捨てて、共に青春を謳歌しよう。きっと、その方が楽しいぞ」
「そうは行くか。僕だってアリストスなんだぞ? 自らの領土を守るために全力を尽くさねば」
「全力の結果があの令嬢かい? それにしても、なかなか現れないな。もしかして、逃げ出したのでは?」
プロヴィデンスの衣装に着替える、と一度姿を消したジュリアを待っていたわけだが、開始十分前になっても現れない。相手のアルバート一派とギャラリーが集まっているにも関わらず、だ。
「……やっぱり、諦めた方がいいかな?」
スコットが弱音を零した瞬間だった。
「いえ! 諦めるのはまだ早くてよ、スコット先輩!!」
黒いドレスのような衣装に身を包んだジュリアが現れるのだった。
「お待たせしました。いつも着替えはコハルに手伝ってもらっているので、少し時間がかかってしまいましたが……準備万全ですわ」
そう言って、ジュリアがくるりと回転して見せると、スカートが膨らんで円を描いた。その姿が造形として美しいがあまり、一瞬だけ言葉を失うスコットだったが、彼にしてみるとジュリアは厄介ごとを招く悪女である。決して見惚れるようなことはなかった。
「あのな、僕は君のプロヴィデンスを見守るためにやってきたんじゃない。このままだと、君の負けが僕の負けであるように思われてしまう。君からアルバートに話して、正式な立候補ではないと説明するんだ」
詰め寄るスコットに、ジュリアは衝撃を受けたように目を見開く。
「私は先輩のロゼスではないと仰るのです?」
「当然だろ」
「では、あのときの口付けは偽りだったと??」
「人を詐欺師みたいに言うな。先に偽っていたのは君の方だ」
「まぁ、細かいことを気にされるのですね。そんなことより、相手を待たせています。さっさと入場しましょう」
「あ、こら! 待て!」
制止するスコットをひらりと躱し、ジュリアは体育館の中へ入る。すると、ギャラリーからの歓声が沸き上がり、スコットは頭を抱えるしかなかった。
「ああ……!! もう後戻りできないじゃないか!! アーサー、なんで止めてくれなかった??」
剣士であるアーサーならば、ジュリアを止められたはず。それを問い詰めたが、アーサーは神妙な顔つきで何も答えなかった。
「スコット先輩、何をしているのです?? 会場の熱気も最高潮ですわよ!」
「くそ! こうなったら僕からアルバートに……!!」
プロヴィデンスが始まる直前、恥を忍んでアルバートへ直談判するしかない、と覚悟を決めてスコットも体育館の中へ踏み込む。
そこはジュリアが言う通り凄まじい熱気に満ちていた。これから行われる戦いの儀式を一目見ようと、期待と興奮が混じり、そのすべてが中央へ向かって歩くジュリアへ向けられている。
「こ、この空気でやめると言ったら、僕が殺されてしまいそうだ」
不安を覚えながら、体育館の中央を見ると、八角形のマットを金網で囲んだ異様なセットが設置されていた。あれが戦いの場、コノスフィアである。デイジーは既にコノスフィアの中に入り、その拳を振るって調子を確かめているようだった。スコットはコノスフィアの傍らに立つアルバートを見つけ、駆け寄ろうとしたのだが……。
「……アーサー??」
肩を掴んで制止したのは、アーサーだった。振り返って、その真意を確かめようとするが、彼は爽やかな笑みを浮かべる。
「まぁ、ここはジュリア嬢に任せてみようぜ」
「そ、そういうわけには……!!」
より大きな歓声が体育館に響き渡る。どうやら、ジュリアがコノスフィアの中へ入ったようだ。続いて、アルバートも中に入り、審判役の生徒が「始めますよ!」とスコットたちを促す。仕方なくスコットもコノスフィアに入るが、そこはデイジーの殺気に満ち溢れていた。
「それでは、ロゼスと擁立者は中央に!」
審判役の生徒の指示に、コノスフィアの中にいる全員が中央へ集まる。ジュリアとデイジーが向き合い、その間に審判役が立つと、視線をアルバートに、そしてスコットの方に向けた。
「我はプロヴィデンスの裁定人として、民を導くアリストスに問う。この戦いを、グロワールの平和を守るためのものとして、自らのロゼスを捧げることを承認するか? アリストス・ウェストブルック!」
名を呼ばれたアルバートが小さく頷く。
「承認する」
次に審判役がスコットに問う。
「アリストス・ヒスクリフ!」
「……しょ、承認する!」
アリストスの承認に、ギャラリーの興奮が一段階上がると、審判役は小さく頷いてから、ロゼスの二人に説明する。
「五分三ターン制のプロヴィデンス公式戦と同じルールでお願いします。噛み付きや後頭部に対する打撃はなし。それ以外は何でもありです。いいですね?」
ジュリアは頷きながら、拳を保護するフィストガードの調子を確かめていた。指の露出部分が気になるのか、何度も指を動かしているが、対するデイジーは今にも飛びかかりそうな勢いで、彼女を睨み付けている。デイジーのただならぬ殺気は、ギャラリーの興奮を後押しするが、ジュリアは涼し気だ。
「それでは、擁立者は外へ!」
審判役に促され、スコットもアルバートも外へ出る。
「ああ、始まってしまう。僕の運命は変わり者の令嬢に託されたのか!」
頭を抱えるスコットだが、審判役がコノスフィアの中央に立ち、ジュリアとデイジーは向き合ったまま金網際まで下がった。スコットは金網越しにジュリアへ声をかける。
「ジュリア嬢、分かっているのか? デイジーはフィスト・クラフトの使い手。その拳は岩を砕くがごとくと言われるほど、本当に危険な相手なんだぞ!?」
最後にできる、彼なりの警告であったが、振り返ったジュリアは不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど。つまりはボクシングが得意ということですね」
「ぼ、ぼくしんぐ??」
「ええ。ボクシングは確かに素晴らしい競技です。しかし、このプロヴィデンスは拳だけの競技ではなく、何でもありの戦いであることは、このフィストガードが証明しています」
ジュリアは指を開いて見せるが、スコットはその意味を理解できずにいると、彼女は小さく頷いた。
「まぁ、見ていてください、スコット先輩。貴方の夢、この私が叶えて差し上げますわ!」
ジュリアが前を向くと同時に、コノスフィアの出入り口にロックがかかる音が聞こえた。そして、それを確認した審判役が声を上げる。
「それでは開始します……。ファースト・プロヴィデンス、エンゲージ!!」
戦いの開始を意味するゴングが歓声に溢れる体育館に響いた。
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