歪んだ恋心
公開練習の次の日、コハルはジュリアたちを無事に学園へ送り届け、一人で屋敷へ戻ろうとしていいた。何事もなく、午前中の仕事を終えると思われたが、市街地を抜ける直前で、コハルは足を止めた。
「よう、シラヌイの娘」
民家の外壁にもたれ、上機嫌に笑う男がいた。トライアンフ学園の陣営が雇った傭兵、ビクターである。まるで、親戚の子どもを見つけたように何気なく近づいてくるが、コハルは殺意をもって返した。
「死にに来たか」
もしものときのためと所持していたカタナを手に取るコハルだが、ビクターの方は煙たそうに手を振った。
「やめろやめろ。どうせ、プロヴィデンスの前にやり合うんだ。今日は話でもしようぜ。お前のことが知りたいんだよ」
「話などない。貴様が視界に入ったら斬る。それだけだ!」
コハルはカタナの柄を握ると、一気に踏み込んで引き抜きながら、そのままビクターの首を狙った。しかし、ビクターは身を反らして躱し、コハルの第二撃を潜り抜けながら足払いを放つ。
コハルは最低限に跳躍しつつ、ビクターの顔面へ足を突き出すが、それすら回避されてしまった。
それどころか、ビクターはコハルが着地すると同時に、肘を打ち込んでくる。腹筋で受け止めたものの、その威力に後退を強いられ、カタナを構えなおすコハルだったが……。
「分かった分かった。じゃあ、せめて俺の話を聞いてくれないか? お前の母親の話だよ」
コハルの動きが止まる。ずっと母の強さに憧れ、己を鍛えていたこともあり、彼女の話となれば耳を傾けたくもあったのだ。そんな気持ちを見透かしたように、ビクターは笑みを浮かべる。
「興味あるだろ? 俺も誰かに話したくて堪らなかったんだよ。あれだけ良い女はいねえからな。そんな危ないものは納めて、ちょっと座って話そうぜ」
「調子に乗るな。貴様が下らない話をするなら、すぐにでも斬る」
「怖い怖い。お前の母親もそんな感じで俺を喜ばせたものだ」
震えるような身振りを見せるものの、ビクターの表情はやはり上機嫌そのものである。
「お前の母親はなぁ、マジで美しかったぜ。お前と同じ黒い目、黒い髪だった」
まるで初恋の人を語るように、ビクターは過去に想いを馳せた。
「白い肌も美しくかったけど、何よりも俺を震わせたのは、あの殺気に溢れた視線だ。そうそう、ちょうどそんな感じだ!」
睨み付けるコハルを見て、手を叩いて喜ぶビクター。
「マジで惚れちまったんだ。会うたびに何度も口説いたよ。今の生活を捨てて、俺と一緒に来てくれって。だけど、返ってきたのは刃だけ。マジで落ち込んださ」
「当然だ。母様はお前のようなゲスのために私たちを捨てるわけがない」
「ふはっ! その通りだ!」
何が嬉しいのか、ゲラゲラと笑うビクターが、コハルは気に食わなくて仕方がなかった。しかし、彼は心の底から楽しい時間を過ごしているらしく、嬉々として語るのだった。
「でもよ、一緒に来てくれないって言うなら、こっちとしてもやることは一つだよなぁ。なんだと思う?」
黙るコハルだが、もちろん彼女は分かっている。実際に、結末を見ていたのだから。
「そうだよ、殺し合うしかなかった。俺のありったけの愛をぶつけてやったんだ。そしたら……」
先程までは幸せの絶頂だと言わんばかりだった表情が急激にしぼんでいく。まるで、この世で一番の不幸を知ったかのように。
「そしたらよ、死んじまったんだ……。マジで世界の終わりだと思った。離れたくなかったよ。ずっと一緒にいたかった。何度だって殺し合いたかった。せめて、一部でもと思って色々なところをちょん切ったんだけど、すぐに腐っちまってな。残ったのは……」
ごそごそと懐を漁ったビクターが何かを取り出す。
「これだけけさ」
小さな黒い物体。髪の毛だった。それを見た瞬間、コハルは再びカタナを振るっていた。胴を薙ぎ払うつもりだったが、手応えはなく、前回と同じように背後へ回られてしまう。振り向きざまの一撃も、ビクターは羽が舞うように飛び退いて、やり過ごしてしまうのだった。
「それを寄こせ。貴様が母様の一部を持ち歩いていると思うだけでも虫唾が走る!」
「お前は母親にそっくりだよ。だけど残念なのは……」
コハルの言葉が聞こえないのか、ビクターは自分のペースで喋る。
「お前には少し緊張感がない。もっと集中しろ。俺を殺すことだけを考えてくれよ。そうじゃねえと、母親みたいになれないぜ?」
「汚い口で母様を語るなと言ったはずだ!」
コハルの態度にビクターは呆れたように溜め息を吐く。
「俺を黙らせたいなら、もっと集中して殺しに来いって言っているんだ。あー、もういい!」
急に苛立ち始めたビクターは背を向ける。
「とにかく、プロヴィデンス直前にもう一発やるチャンスがあるはずだ。それまでには仕上げておけ。技だけじゃない。心もだ」
立ち去るビクター。コハルはその背に向かってカタナを振るえなかった。
振るったとしても、当たる気がしなかったのだ……。




