運営からの条件
ここはアーデン・グロリア王国のグレイヴンヒース領。そのヒスクリフ学園の体育館に、デュオフィラ選抜戦運営委員会のスタッフがやってきていた。
「……これはダメですね」
メガネをかけた神経質そうな男、ジェイソンは運営委員会のスタッフ代表だが、体育館の様子を見て眉を寄せた。
「だ、ダメとは……!?」
この日に備えて、生徒たちに協力してもらいながら大規模な体育館の清掃を行ったのである。それを「ダメ」の一言で否定されてしまった、ヒスクリフ学園の生徒会長、スコットとしては美しい碧眼を動揺で揺らすのだった。そんな彼にジェイソンは言う。
「コノスフィア、かなり古いものを使っているようですね。金網もゆるゆるだし、扉のロックも劣化しているように見える。プロヴィデンス中にトラブルが起こってしまったら……我々も責任は取れませんからね」
「えええ……」
確かに、ヒスクリフ学園のコノスフィアは、プロヴィデンスの形式が今のものになった直後に設置されたもの。劣化はあるかもしれないが、とは言え、そこまで酷くないはず。だが、ジェイソンは問題はそれだけでない、と言う。
「体育館の設備も古いですね。手入れはされているようですが、ここまで古いと中には不快感を覚える人もいるでしょう」
「ヒスクリフ学園の歴史は長いので……」
「設備の入れ替えくらいはできるでしょ?」
できない。金がないのだ。閉口するスコットに、ジェイソンは衝撃的な事実を伝える。
「これではデュオフィラ選抜戦のメイン会場として……使えないかもしれませんね」
「な……なんですって!?」
「別の学園にお願いしよう、と言っているのです。最低でも、コノスフィアと設備を入れ替えていただかないと、ヒスクリフ学園をメイン会場にするのは……無理です」
スコットの全身に稲妻が走るようだった。ヒスクリフ学園……いや、彼が統治するグレイヴンヒース領は、とにかく資金がない。没落寸前のアリストスであるスコットには、ヒスクリフ家の立て直しが難しい状況で、唯一の希望がグレイヴンヒース領でデュオフィラ選抜戦が開催されることだった。
選抜戦が行われれば、多くの人が観戦を目的にグレイヴンヒース領に訪れる。ついでに観光も楽しんでくれる人も多く、グレイヴンヒース領の自然が再評価され、持続的に資金が集まると期待されるからだ。そのため、デュオフィラ選抜戦のメインの開催地に選ばれたと聞いて、歓喜したスコットだったが……。
「そんな急に言われても困ります!! せめて、こんな直前ではなく、選考段階でご指摘いただければ、何とか準備もできたはず!」
「……無理なものは無理です」
「はぁ!?」
では、これからコノスフィアと設備の入れ替えるべきだろうか。しかし、金はどうする。もちろん、ヒスクリフ家にはない。だとしら、ハイ・アリストスの令嬢であるジュリアに……。いや、彼女は屋敷の近くに練習用のコノスフィアを設置し、多くのトレーニング器具を購入したばかりだ。
何よりも、自分のロゼスである彼女にせがむなんてアリストスとして情けないではないか。頭が真っ白になるスコットだったが、ジェイソンが何やら含みを持ってメガネを押し上げた。
「しかし、仰る通り直前に指摘する我々にも問題があるのは確かです。条件を呑んでくれるなら、コノスフィアと設備の入れ替え費用をこちらで負担し、引き続きヒスクリフ学園をメイン会場として話を進めたいと思っています」
「条件とは!?」
願ってもない話だ。スコットは前のめりに確認すると、ジェイソンは警戒するように周囲を見渡した後、声を潜めるのだった。
「実はですね、フロストウィック領の幼いご子息が、どうしてもデュオフィラ選抜戦を観戦したいと言っておられるのです。何でも贔屓にしているロゼスが出場するとかで、一目でも彼女の戦いを見たいのだとか」
フロストウィック領と言えば、なかなかの歴史を持つアリストス、カーライル家が治めていたはず。その息子がデュオフィラ選抜戦を観戦したいならば、グレイヴンヒース領にくればいいじゃないか。そう思うスコットだが、ジェイソンはさらに小声で事情を伝えてきた。
「しかし、現在カーライル家は色々と揉めていまして。できるだけ、坊ちゃんの外出は隠密に済ませたい、という考えなのです」
何やら面倒ごとを抱えているらしい。デュオフィラ選抜戦運営員会も断ってしまえば良いのかもしれないが、カーライル家から多額の資金援助を受けていると聞いたことがある。
「つまり、どういうことですか??」
「カーライル家としては、しっかり護衛を付けて坊ちゃんを外に出せない状況。そのため、デュオフィラ選抜戦の一回戦が行われる間だけ、カーライルの坊ちゃんをヒスクリフ様のところで保護いただきたい。そういうことです」
「ほ、保護ですか? しかし……我々もデュオフィラ選抜戦に参加するのですよ?? 危険を伴う状況だということは、ジェイソンさんだって分かっているはずです!」
「それは向こう側も了承済です。危険を理解した上で、どうしても坊ちゃんのお願いを聞いてあげたいと」
デュオフィラ選抜戦に参加するということは、さまざまな陰謀や襲撃に巻き込まれる恐れがある。それでもなお、子どものわがままを聞くカーライル家のあり方をスコットはつい疑ってしまうのだった。しかし、ジェイソンはメガネを光らせる。
「だから、コノスフィアと設備の入れ替えに必要な費用はこちらで負担する、と提案しているのです。無料で体育館が綺麗になるだけでなく、デュオフィラ選抜戦の会場になれば、たくさんのメリットが舞い込んでくるのですよ?? リスクを負うに十分ではありませんか!」
「しかしですね。他領地の大事な跡取りに何かあったとなれば……!!」
正論を言ったつもりだが、急にジェイソンの目が冷たくなる。
「では、今回のメイン会場は他の領地様にお願いいたします。ヒスクリフ様とはご縁がなかったということで」
「ま、待ってください!!」
金のことになると、スコットはどうしても弱い。ヒスクリフの家のため、グレイヴンヒース領に住む人々のため、そして彼女の夢を叶えるためにも……。
(嗚呼、父上。これも試練だと思って、自らトラブルに首を突っ込むべきなのでしょうか)
亡き父に祈るが、もちろん何も答えは返ってこない。躊躇うスコットに、ジェイソンが悪魔のように囁く。
「大丈夫ですよ、ヒスクリフ様。数日の間、子どもの面倒を見るだけです。一回戦が終われば、坊ちゃんも大人しく帰ると言っているのですから」
そうだ、たった数日間の話だ。しかも、自分には頼りになる護衛がいる。子どもが一人増えたくらいで……。
「わ、分かりました。カーライルのご子息を保護いたします」
「おおお!! ありがとうございます。では、ヒスクリフ様。体育館と言わず、学園の設備を最新のものにしますので、どうかご安心ください!!」
「助かります……」
不安に肩を落とすスコットだが、ジェイソンは真剣な面持ちで念を押すように言うのだった。
「良いですか、ヒスクリフ様。くれぐれも……カーライルの坊ちゃんに傷一つ付けてはなりませんよ」
「もちろんです。保護するからには、しっかり見ておきます」
覚悟を決めて請け負ったスコットだったが、想定よりも、はるかに危険な戦いが待っていることを彼は知らなかった。




