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燃費の悪い私と良すぎる彼の日常

作者: 高瀬あずみ

前半、女主人公ユーゼ視点、後半最後にヒーロー視点になります。



「ううっ、た、ただい、ま……」


 転移陣が輝きを収縮させて消えていくと、私の身体は住み慣れた我が家にあった。もはや、立つどころか座る気力もなく、ずるずると床に伸びる。

「おかえりユーゼ。床に寝ちゃ駄目だよ」

 転移陣の魔力に気がついたのであろう同居人(イリヤ)が現れて、私の上半身を抱えて起こし、唇に何か充てがう。

「はい、ユーゼ、あーん」

 条件反射で口を開ける。イリヤがくれるものは安全で美味しい。そう知っているから。

 咀嚼するとパウンドケーキの欠片だと分かった。レモンの風味がする。飲み込み、鳥の雛のように口を開けて次をねだると、軽い笑い声と一緒に、おかわりが与えられた。ああ、この甘さが身体に沁みる。気怠さが緩和されて少し楽になった。でも、まだ足りない。


「どう? これで少しは動けるようになった? それとも、僕が運んでもいい?」

「はこんで~」

 甘えるように両腕を上げると、イリヤは私を抱き上げてくれた。彼の首の後ろに両手を回して、しっかりと抱きつく。

「私、もうイリヤがいないと生きていけない」

「それは僕のセリフ。僕だってユーゼがいないと生きていけないよ」

 言葉だけ聞いたならば恋人同士の熱い会話のようだが、実際のところ、私たちはただの同居人に過ぎなかった。




               ◇◆◇◆◇◆◇




 私はユーゼ。辺境に近い森の中の一軒家に住んでいる。職業は魔法使い。魔女と呼ぶ人も多い。女魔法使いくらいの意味で皆使っているだけだと知っているから気にもならないし、呼び方なんてどうだっていいこと。ただ時折、大鍋で怪しい薬を作らないといけない気がするだけ。きっとアカデミー卒の女魔法使いたちがそう呼ばれたら、差別だと激怒しそうだとは思うかな。


 生まれつき人より魔力が多くて、普通ならば十代後半くらいから入学するアカデミーに、私は八歳で迎えられた。なんでも事前調査で大陸有数の数値を叩き出したかららしい。おかげで私は魔力量を活かした大規模魔法が得意な魔法使いに育った。ただ、物事はすべてが上手くいくわけではないとでも示すように、私には大きな欠点もまた与えられている。


 アカデミーは魔法使いを育てるための学術施設だ。一般の学校と違い、半分は魔法理論を、半分は実技を学ぶ。

 卒業すれば一人前の魔法使いと認められる為、国中から、我こそはという魔法使いの卵が集まって研鑽する最高学府。卵たちアカデミー生は、一般人よりも魔力が多く、将来を期待し、期待されてアカデミーの門を潜るのだが、その内面までもが清廉潔白なことは稀だった。聖人君子の集まりだとか、夢を見すぎてはいけない。魔法使いが必ずしも賢者ではないように、むしろ魔力というものが見えて理解できる分、優秀な人間への妬み嫉みも大きかった。


 異例の八歳での入学で、私はアカデミー在籍中、ずっと最年少の生徒でもあったので、誰よりも標的にされた。やっかみは時に実力行使での妨害に発展して、大層うっとおしいだけでなく、実害もあった。魔法で挑まれるのであれば、正面からだろうと背後からだろうと返り討ちにできたのだが、アカデミーに来るような人間は大なり小なり小賢しい。特に私の欠点はよく(あげつら)われたし、そこを突いて妨害されると生命的危機にも繋がりかねない。我が身が可愛かった私は、通常卒業までに十年かかるところを五年で終えて、さっさとアカデミーを飛び出してやった。最年少魔法使いとして。


 アカデミーでは教授たちや職員さんたちには世話にもなったし、可愛がっても貰った。だから今もアカデミーとは繋がりがあって、そこから仕事を斡旋してもらっている。どこにいても通信魔法で依頼を受けられるし、多大な魔力の必要な転移魔法でどこへでも行けるから。私を必要とするような仕事は、大抵が天災の後始末であったり、難易度の高いものであったり、要は他の魔法使いでは手に余る案件ばかりになるから、実はとても高給取りなのだ。


 だから私は、本来ならば王都に豪邸を建てて住んだり、風光明媚な土地を独り占めしたりだってできなくはない。それだけの稼ぎはある。

 ただ、どこに住んでも、どうしても。人と関わらないわけにはいかない。

 ある意味有名人でもある私は、人に混じろうとしても早晩、畏怖され、忌避される事になる。遠巻きにされるだけならまだしも、人並外れた化け物だから排斥しよう、とする動きが生まれる事だって少なくはなく。どこに行ってもそんな具合であったから、私は国中を流れ、転々と居場所を変えて、遂にこの辺境の地へ腰を落ち着けることになった。それが約二年前のことで、アカデミーを飛び出して三年経って十六歳になったばかりの頃だ。


 この地は住民が少ないせいか、互いに助け合うのが当たり前で、そして常に人手を必要としている。だからよそ者が辿り着いても、受け入れてくれるだけの基盤があった。ことに、辺境には魔法使いが寄り付かないからと、領主直々に歓迎された時には内心、

(そりゃあ魔法使いが好む場所じゃないからなあ)

 と思ったものだ。魔法使いは魔力の濃い土地を好む。龍脈とか呼ばれるそれとは、これだけ遠く離れていれば、己の魔力を生涯かけて磨く魔法使いに旨味がない。

 なので近くに村がある森に勝手に住み着いても許された。もちろん、請われれば魔法を使う。ここではあまり金銭は意味をなさないので、報酬は食料で貰うことにしている。魔獣退治? 開墾? どんと任せなさい。

 アカデミーからの依頼を受けたり、村の手伝いをしたりして、ようやく落ち着いた暮らしができるようになった私だが、一年ほど経って私の家にやって来た少年(イリヤ)によって、私の生活は大きく変わることになる。




               ◇◆◇◆◇◆◇




 イリヤに居間のソファーまで運ばれた私は、くたりと背中を背もたれに預ける。

「お疲れ。さっきのは味見用の端っこだったから、ちゃんと切り分けたのを持ってくるから待ってて」

 彼は軽い足取りで台所に向かう。その後ろ姿を見ながら、

(まだまだ細いけど、背は伸びたなあ)

 なんて感慨に耽る。一年前は私よりも背が低くて、ガリガリに痩せ細っていたのに。


「お待たせ。新作のレモンピール入りパウンドケーキだよ。レモンがわさわさ実をつけてて勿体なくて、ついでにジャムも作ったから、これもどうぞ」

 分厚く切られたパウンドケーキが皿に盛られて差し出された。香りすら甘く漂って、早く食べろと誘惑してくる。

「イリヤも一緒にお茶するの~」

「はいはい。じゃあ、お相伴に与るから」

 イリヤ特製のパウンドケーキにはレモン風味の砂糖衣がたっぷりとかかって、手が止まらない美味しさだ。生地そのものにもレモンピールが混ぜられているから、甘さの中のほろ苦さが絶妙で、口の中を幸せにする。

「美味しいよ~。イリヤ、天才」

「紅茶もどうぞ。パウンドケーキがレモンたっぷりだから、ストレートがお勧め」

「ちょっと渋い紅茶と合って、余計に美味しい~」

「気に入ってもらえたようで嬉しいよ」

「イリヤが作ってくれるものは、なんでも美味しいもん」

「そうやってハードルを上げない。夕食はポロポロ鳥のソテーと春野菜のシチューだよ」

「楽しみ~」


 舌と胃と心が満たされて、仕事の疲れも合わさって眠くなる。

「こら、こんな所で寝ない。夕食まで部屋で寝てる?」

「ここがいい~。台所にいるイリヤが近いから~」

「もう。ユーゼ、甘えん坊になってるよ」

「だってイリヤは甘やかしてくれるもーん」

 毛布を持ってきて掛けてくれながら、ついでに頭を撫でてくれる手がくすぐったい。


 ふと思い出して尋ねる。

「イリヤ、夜、ちゃんと眠れてる?」

「おかげさまで。ユーゼがいなかったら痛くてたまらなかったと思うけど」


 この一年で、それまでの栄養不足とその他の不足が補えるようになったイリヤは、急激に身体が成長している。夜になると骨や関節がミシミシしているのが聞こえるほどだと言う。私はそんな事になったことはないが、これが成長痛というものらしい。

 あまりに痛そうなのを見兼ねて、痛みを軽減する魔法をかけるのが毎日の習慣になるほどだ。完全に痛みを止める事もできるが、それをすると成長も止まってしまうと伝えると、速攻で断られてしまった。男の子であるイリヤはまだ背が欲しいらしい。もう十分高くなった気がするのは私だけなのか。立って横に並ぶと少し見上げなくてはならなくなったのに。

「村の男衆と比べると、まだまだ小さいって言われるから。それに、ユーゼに頼られる男になりたいしね」

 そう言って笑うイリヤは十七歳。私のひとつ下になる。私の成長はもうとっくに終わってしまっているから、どこまで大きくなるつもりなんだろう。

「イリヤは頼れる男だよ、心配しなくても」

 初めから。会った時から。

 そう思いながら、私の意識は眠りに誘われていく。出会った時のことを思い出しながら。




               ◇◆◇◆◇◆◇




 一年前の春。王都にほど近いダンジョンで、スタンピードが起こったからと呼び出されて一仕事した私は、今日のようにふらふらになって帰宅した。目の前がもう真っ暗。あまり見えていない状態で食料庫を漁って、手に当たった塊をそのまま口にしようとして止められた。


「待って、それはダメだよ! 生のジャガイモだから! 土だって芽だってついたままだから!」

「でも食べないと。なんでもいいから食べないと。もう限界……」

「ちょっと待った! あのさ、勝手に作ったスープあるから! すぐ持ってくるから!」

 そうして介助されながら飲んだスープは、温かくて優しい味がした。


 人心地がついて視力も戻ったところで、私はようやく疑問を口にした。

「あなた、誰? どうして家にいるの?」

 痩せっぽちの男の子はイリヤという名前だと言い、そうして事情を話し出した。




 イリヤは先天的な魔力欠乏症だ。

 この世界の人間は体内に魔力を溜める器を持つ。けれど、イリヤはそれを持たずに生まれてしまった。動物も植物すらも魔力を内包するから、食事をするためにも魔力が微量ではあるが必要になるのに、イリヤにはそれができない。魔力を溜めることができないから。

 両親はそれでもイリヤを慈しんで、自分たちが持つ魔力をイリヤに分け与えながら育てた。けれど一般人にすぎないイリヤの両親には、人に分けられるほどの魔力量はなく、それは徐々に彼らの寿命を縮め、そしてイリヤが十五歳になる前後に相次いで亡くなったのだという。


「何度もね、言ったんだ。僕のことはもう諦めて、このまま死なせてくれって。でも両親は絶対に同意してくれなかった。段々弱っていくのが目に見えるほどになっても、僕に魔力を分け続けた。そして最後の最後に遺言だから聞けって。『生きろ。自ら死を選ぶな。お前が生まれて来た意味は、生きていて初めて見つかるから。決して諦めるな』

 そんな風に言われたら、死ぬこともできなくて。生前、父に世話になったからとここの領主様が引き取ってくれて、一年ほど面倒を見てもらった。でもやっぱり無理があって。辺境には魔力量の多い人は少ないから、沢山の人から少しずつ魔力を分けてもらってたけど、それで不調になる人も出てきたら、もう頼れないよね。

 そんな時に誰かが『森の魔女様なら』って言いだして。餞別代わりに分けて貰った魔力が身体に留まっているうちに、なんとかここまで辿り着いたんだ」


 藁にも縋る思いって、こういうものかと実感したよ。

 そう苦く笑うイリヤは年齢と見た目の割に、ずっと大人びていた。


「それがさ、この家の敷地に入った途端に身体が楽になって。まるで普通の人みたいに動けるんだ。びっくりしたよ。

 そうしたら人間って現金なもので、お腹すいたなあ、って。家には鍵も掛かってなくて簡単に入れるし、魔女様はどうやら留守らしいけど、後で謝ろうと思って台所に行ったら、材料がすごくあるのに全然使われた様子もないからさ、勝手にスープ作って飲みました。ごめんなさい」

 いやいや、それが私の命も救ったんだから、謝る必要なんてない、なんて二人で謝りっこして。そうして私も自分の欠点を彼に話して聞かせた。




 人よりも生まれながら魔力の器も大きいけれど、器よりも魔力を生成する量の方が大きかった。結果、私は魔力を垂れ流して生きているようなものだ。けれど魔法を使えば、今度は体内から流れ出す魔力が過剰になって生成が追い付かずに、放置すれば最悪、死に至る。

 それを補うのはある意味簡単なこと。

 食べればいいのだ。

 ただ持っている魔力量を補うためには、私はこまめに食べる必要があった。ほとんど一日中。それが子供の頃からだったので、家では持て余されて、ほとんど売られるようにアカデミーにやられたのだ。


 アカデミーでも、そうやって常にもぐもぐしている私の有様を周囲が攻撃した。魔法使いとしての威厳がない、品位を落としている、と。

 私は早々に結果を出していたから、余計に有象無象の嫉妬を煽ってしまって、奴らは実習後に食べ物を隠したりするようになった。普通なら笑い話になるような幼稚な悪戯だが、いやそれ、私には死活問題なんですが。……というようなこともあり、私とアカデミー生との亀裂は広がるばかり。だからこそ、たった十三で卒業して、自分の居場所を探すことになったのだ。


 魔法で家を建ててこの森に住みだして。家の周囲に害獣よけの結界を張って。そうして暮らし始めてから分かったことがある。結界内には漏れだした私の魔力が濃厚に蓄積するようになり、その環境であれば、起きて寝るまで食べ続ける必要がないことに。なんと、一日六食で済むのだ!


 ただ問題も表出する。

 幼くしてアカデミーの宿舎に世話になっていたので、私は料理というものをしたことがなかった。魔法は、いわば知識や経験を元に構築される。なので料理の知識を持たない私はここで躓いた。魔法で調理する術式が組めないからだ。仕方なしに転移先で調理済みのものを買ってきたりして何とかしていたが、手持ちの在庫が消費に追いつかずに、イリヤとの初対面の時のようになったりもした。大抵、事情を話していた村人が様子を見に来て、差し入れしてくれたりしていたので、何とかなっていたに過ぎない。


 そして善良な村人たちよ。差し入れは死ぬほどありがたいのだが、未調理の野菜などを都度持って来られても本当にどうしようもなくてですね。保存魔法と収納魔法を掛けた食料庫の中で、ある意味、不良在庫が貯まっていくばかり。いやもうどうしようかと。もし飢饉とかあったら放出することをまじめに考えたほど。だからイリヤが家に来た時には、材料は山とあったわけだ。


 家を建てる時に家具一式まで模倣した建物のおかげで、普通に台所もあって、調理器具やら調味料なども揃っていたという。使わないから知らなかった。ちなみに、一時滞在させてもらったアカデミーの教授の家がモデル。とても快適に過ごさせてもらった記憶があったので、その家を選んだ。さすがに長居はできなかったけれどその家には、料理が趣味の奥様のために充実した設備の広い台所があったのだ。


 魔力を分けて貰っても、必然的に外に出るほどの体力のなかったイリヤは両親の生存時、家の中で母親から料理や動物の解体までを教わって過ごしたそうだ。その他の家事も。

 我が家の結界の中であれば、イリヤは快適に過ごすことができる。垂れ流され蓄積された私の魔力で満ち満ちているから。そしてイリヤが料理してくれれば、私もまた快適に過ごすことができる。


 こうして私たちの同居は速やかに決定し、そして現在に至るのだ。




               ◇◆◇◆◇◆◇




「ほら、ユーゼ、起きて。ご飯だよ」

 約束通りのメニューが並ぶ食卓へと導かれ、私は涙を流さんばかりに舌鼓を討つ。

「美味しいよ、イリヤ、どれもこれも全部美味しい!」

「ユーゼが美味しいって食べてくれるから、僕も作り甲斐があるよ。でも急がないでゆっくり食べて。沢山作ってあるから」


 アカデミーの教授が愛する奥様のために作ったという台所は、下手なレストランの厨房よりも充実していたのだが、それを丸写しした我が家の台所は既にイリヤの城となり、完璧に使いこなしているらしい。

 私の魔力に満ちた敷地内は植物の育成にも効果があるらしく、本来一緒に育てるのが無理な地域のものであってもよく育つ。季節もあまり関係ないらしく、レモンがたわわに生っていたのもそのせい。林檎にオレンジに桃に葡萄にと、果物も豊富。転移で国中出かけた先で買ってきた果物の種なんかを庭に捨てていたらこんなことになった。たまに村におすそ分けすると喜ばれる。村の人たちはイリヤのことを知ると、安心したと様子を見に来ることもなくなったが、交流は続いているのだ。あの巡回はイリヤが来るまで、間違いなく私の命綱でした。


 食後のデザートはレモンのジュレ。今日のおやつ系はレモン尽くしのようだ。レモンクッキーも焼いたとのことで夜食に出してくれるそうだ。

 夜になると気温が低くなるけれど、暖かくした部屋で食べる冷たいおやつは背徳の味がする。つまり至福。淹れたてのカフェがまた薫り高い。焙煎までできるイリヤ、凄い!



 あまりにも感極まったので、するりと言葉が流れ出た。

「イリヤ、いつも美味しいご飯やおやつをありがとう。お嫁さんになって」

「うーん、さすがにそれは」

 イリヤが困った顔をしたので私も困ってしまう。軽く流してくれたらよかったのに。本気だけど。

「だめ?」

「うん、だめ。お嫁さんにはユーゼがなってくれないと」

 冗談で言っているのだろうか。期待してもいいのかなと上目遣いでイリヤを見上げると、彼の顔が赤いのに気が付いた。もしかしたら本気で言ってくれている?

「私、お嫁さんらしいこと、何にもできないよ?」

「ユーゼができないことは僕がやる。僕がやれないことをユーゼは沢山できるんだし。でも、僕のお嫁さんはユーゼしかなれないからね?」

 顔に熱が集まる。一緒に過ごすうちに育った気持ち。離れられない、離れたくない。私だけのイリヤでいて欲しい。だから。


「ずっと一緒にいて」

「もちろん。ユーゼこそ自由にどこへでも行けるからって、浮気は駄目だからね?」

 許さないよ、とイリヤは笑うけれど、目だけが笑っていなかった。

「そんなことしないし、できないから。だって今まで会った誰よりもイリヤが一番かっこいいもの」

「僕なんて家事くらいしかできないのに?」

「イリヤが美味しいご飯と一緒に待っててくれるから、外の仕事もがんばろうって思うよ。私、本当にイリヤがいないと生きていけない。ご飯だけじゃないよ? 素の私を受け入れてくれるイリヤだから。イリヤだけが私を幸せにしてくれたから」

「僕も。ここでなら命を繋ぐことができるからってだけじゃなくて。大陸有数の、この国一番の魔法使い様が、僕だけに甘えて来るんだよ? そんなの可愛いに決まってる。特別な女の子になってしまっても仕方ない。

 ねえ、ユーゼ。ちゃんと答えて。僕のお嫁さんになるって言って」

「うん。イリヤのお嫁さんになりた―――」


 全部言い終わる前に唇を塞がれた。どこで覚えてきやがりましたか、年下のくせに。息ができませんよ、どうしたら。

「真っ赤になってるユーゼ、可愛い」

 可愛い、可愛いと一生分の可愛いを貰った気がするのに、まだ足りないって言うイリヤ。それに慣れる日が来るのかは分からないけれど、ずっと聞かせて欲しい、私だけに。でも何だか。イリヤの方が私よりも上手な気がする。

「好きだよユーゼ。よそ見なんかさせない。僕だけ見てればいいからね」




 こうして。魔力がありすぎて人の輪からはみ出した私と、魔力が足りなさ過ぎて生きるのも難しかったイリヤは出会って。お互いを必要として。いつしか恋になって。これからもずっと一緒に生きることを誓って。

 冷たくさえ感じていた世界が一挙に色付いて私たちを祝福するように感じる。これからは幸せなふたりの日常がずっと繰り広げられていくのだと。




               ◇◆◇◆◇◆◇

             (ここからイリヤ視点)



 この世に生まれ落ちた瞬間から、世界は僕に厳しかった。息をするだけで精一杯。身体は常に重怠く、思考には霞がかかる。

 生きるという事は、食べるという事でもあるのに、当たり前に周囲の人が食べているものが、僕には食べられなかった。妊娠中から違和感を覚えていた母が、本能的に僕に魔力を分けてくれなかったら、おそらく乳児のうちに死んでいただろう。


 成長するにつれて母からのものだけでは足りなくなって、父からも魔力を分けてもらわねばならなくなった僕に、世間もまた冷たかった。

 穀潰し。親の命を啜って生きるしかない無能。

 どちらも間違っていなかったからこそ、僕の心は傷ついたし、死にたいとばかり考えていた。善良な両親だったけれど、僕のことを投げ出したいと思った事なんて、きっと幾度もあっただろう。それでも魔力と共に愛情を注がれて、そこまでして生かされて、死を選べる訳もなかった。


 よく十五年も育ててくれたものだ。母を、父を見送って、僕だけが残された。生きる術さえない僕だけが。

 生前に父に世話になったと、いざとなったら息子を頼むと言われていたと、辺境を収める領主様が迎えてくれなければ、やっぱりその時点で僕は死んでいただろう。少なくとも、両親よりも先に死ななかっただけでも孝行になったと思うしかない。


 辺境の地の人たちは、以前に住んでいた土地よりも温かくて。だからこそ居たたまれなかった。無駄飯食いの上に無駄魔力食いの僕は、本当にお荷物だったから。何か仕事をと思っても、そこまでの体力もない。少しの家事と少しの書類仕事の手伝いしかできなくて、却って負担になっていたと思う。

 体調不良を訴える人が増えたと知って、その原因は僕だと、言われずとも分かった。分かってしまった。早急に出て行かないと、恩を仇で返すことになってしまう。


 そんな時に噂で聞いたのが森の魔女様のこと。国一番の魔法使いが、何故かこんな辺境にひとりで住んでいるらしい。それも森の中にわざわざ家まで建てて。大魔法使いは転移魔法でどこにでも行けるそうだが、それにしてもこの辺境に居座るのは謎だとも言われていた。

 辺境には魔力の多い者は少なくて、この土地から魔法使いが生まれたのはもう随分前のことらしい。仕事を依頼したくとも、伝手も無く、また少ない報酬しか用意できないこの地はいつだって魔法使いから後回しにされてきたという。でも森の魔女様は、結構気軽に力を貸してくれるそうで。誰もが彼女に感謝していた。


 魔法使いになるには、アカデミーと呼ばれる最高学府を卒業しないといけない。そこではこの世のあらゆる知恵が学べるのだという。ならば魔女様は。国一番の魔法使い様は。僕のこのポンコツな身体をどうにかする術を知っていたり、持っていたりするのではないのだろうか。

 と、いうようなことを領主様や周囲の人に言うと、誰もが賛成して見送ってくれた。本当にいい人たちばかりで心苦しくて、自分勝手な僕の胸は痛んだ。

 本音はこれ以上、周囲の負担になりたくなかった。人気(ひとけ)のない森でひっそりと消息を絶てば、迷惑をかける事もない。きっと森の動物が始末してくれる。


 それでも魔女様の家を訪ねたのは、僕の中にも生きたいという気持ちが、まだ残っていたからかもしれない。


 魔女様の結界は、小さな低い茨の垣根で分かると教えられた。大人ならば一跨ぎのそれが境界となって、獣を寄せ付けないのだそうだ。半分もそれを信じていなかった僕だけれど、一歩中に入って体感した。


 満たされる。これまで足りなかった魔力がそこら中に溢れかえって、僕に押し寄せる。一挙に軽くなった身体。一挙に晴れた思考。吸い込む息と共に与えられる魔力という恩恵。ここでなら。ここでしか。きっと僕は生きていけない。

 魔女様にお願いしよう。どうかここの片隅にでも住まわせてもらえないかと。下働きでも何でも、できることはするからと。


 そう思って扉を叩いても返事はなく。しかも扉は鍵もなくあっさりと開く。不用心にすぎないかと思うのは、僕が町の子だったからかもしれない。辺境の家ではどこでも鍵なんか掛けないそうだ。取られるような物もないからと人々はおおらかだが、まさか魔女様までもとは思わなかった。


 声をかけても静まり返った家の中。どうやら留守らしいと分かったものの、生まれてはじめて魔力が充足したことで、僕の胃は空腹を訴えてくる。庭に無造作に生えていた果樹を貰えばいいと思ったはずなのに、妙に温かいものが食べたくなって台所にお邪魔した。


 領主様のお邸の厨房だって、ここまで立派ではなかった、という素晴らしい台所。しかも使用した形跡がまったくない。傍らにある食料庫を覗くと、食べごろの肉も野菜もごろごろしている。これだけあるならばと、いくらか失敬して簡単なスープを作って飲む。両親には悪いが、はじめて食事らしい食事をした気がした。

 人心地がついた頃、食料庫の扉を開けて這うように入っていく人影に気が付いた。自分の事は棚上げで不審者かと覗き込んだ僕が見たのは、泥付きで積まれていた生のじゃがいもをそのまま齧ろうとしている女の子だった。



 家の外に出られない僕は、母と過ごすことが多かった。自然と家事を覚える。料理だけでなく、近所からおすそ分けされる丸のままの小動物の捌き方までも、母は僕に教えてくれた。母はきっと知っていたのだ。自分が僕を残して逝くことを。そして僕がひとりでも生きていけるように料理を教え込んだ。別に好きで料理をしていたわけじゃない。他にできることがなかっただけ。

 でもそんな僕の作ったスープを一心に飲んで、満面の笑みを浮かべた女の子に。

 僕はきっとその時、恋に落ちたのだ。


 お互いの事情を話して。まさかの魔女様が彼女だなんて思いもしなかったけれど。僕たちの同居の話はとんとん拍子に進んだ。

「ごはん。つくってくれる?」

 魔女様―――ユーゼと呼んでくれと言われた―――はまさかびっくり、料理のできない人だった。親を見失った幼子(おさなご)のような、頼りない視線が僕を奮い立たせる。生まれて初めて誰かに頼られた喜び。僕が守りたいと思った初めての女の子。

 君のためなら。君が望むままに。


 部屋ならいくらでもあるからと、気前よく好きな部屋を選んでいいと言われて、比較的台所に近い階段の側の部屋を自分のものにした。と言っても、寝室の類は全部二階にあって、彼女の部屋と同じ階というだけでどきどきする。部屋はいささか立派すぎるほどで、中でもふかふかのベッドが最高。森の中にあるとは思えない瀟洒な家は、ちょっとした貴族のもののようだ。

「んー、参考にして丸ぱくりしたの教授のお家なんだけど、教授、男爵か何かだった気がする」

 細かいところにまったく頓着する様子もない彼女は、住み始めてから一度も台所を使ったことがないと白状した。台所も食料庫も、庭の果樹も好きにしてくれて構わないと。その代わり、頻繁に食べる必要のある彼女のために、僕はせっせと料理を振る舞うことになる。


 この家に住むようになって、僕の身体は成長することを思い出したらしい。急激に背が伸びた。あっという間にユーゼの背を追い抜いて、僕は内心、喝采をあげた。まだ筋肉どころか肉が付いてなくて、自分で見てもバランスの悪いひょろひょろした身体だが、それでも彼女より力も付いて、小柄な彼女を抱き上げることくらい、すぐにできるようになった。彼女は仕事から帰って来る度にぐったりしているので、抱き上げるのは僕の仕事であり特権だ。誰にも触らせたくない。


 僕に慣れると、段々甘えて来るのがまた、たまらなく可愛い。

 国一番の魔法使い様が、僕の前では可愛い甘えたがりの女の子になる。その姿を堪能したくて、ついつい甘やかしてしまうけれど、抱き上げた時の身体の柔らかさとか、いつも花みたいないい香りがするとか、無防備すぎて襲っても許されるような錯覚に陥ることも日々あるけれど、まだ理性が勝っている。


 ユーゼの胃袋はがっちり掴んでいる実感はあった。だから、少しずつ僕が男だってことを理解してもらって。少しずつ距離を縮めて。どろどろに甘やかして。僕から離れられないようにする勝算はあった。

 なんて計画を立てていたというのに。無邪気な彼女(僕限定)が常に言う「僕がいないと生きていけない」に「お嫁さんになって」が付いてきたことで。もういいや。ここで勝負を掛けてしまおうと思った。どのみち逃がす気なんてなかったけれど。


 もし、運命というものがあるのだとしたら。僕のこのどうしようもない身体も、君と出会うためだったのだと、そう理由づけよう。君の為に生まれて来た、きっと。僕の生きる理由はそこにある。

 人はこれを執着だと言うかもしれない。けれど、他人が僕の中の執着と愛をどうやって見分けるというのか。どちらでも構わない。可愛い魔女はもう、僕のものなのだから。


砂糖を吐いてもらえるくらいを目指しました。まだ足りないかな。

ほのぼのいちゃいちゃさせたかった。

年齢はひとつ下ですが、精神的にイリヤの方が大人。

これだけ食べてても、ユーゼ、太らないんだぜ……。


ポロポロ鳥:身が骨からぽろぽろ取れて食べやすい鳥。煮込みもおすすめ。

教授:アカデミーで教鞭を奮う。愛妻家。ダンディな男爵様。女学生に人気が高い。子供がいないので夫婦でユーゼを可愛がってくれた。実家とは疎遠なユーゼも懐いている。イリヤの心のライバル。

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― 新着の感想 ―
あっまーい!丁度良い幸せな甘さ! 相性完璧のお二人じゃなあですかぁー! やだぁもう! いえ、違うわね よろしくてよぉ、素敵ー!! 「いっぱい食べるキミが好き」ってこういう時に使うんだなぁ 『ガンガ…
これは良い割れ鍋に閉じ蓋。完璧な一対。 ユーゼはいい専業主夫を拾いました。 きっとずっと幸せ。 かわいい。 いちゃいちゃはきっとまだこれから、ですね(笑) だってイリヤだいぶ重いし。 本人は大変……
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