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92、獅子に与えられたのは宝か、それとも

どうにか突破口を見つけ、一方的な防戦から抜け出すことに成功したライゼ。バルタザールの奇妙な隙をつき、なんとか応戦するも実力が拮抗していることに変わりはなく、戦いは長引いていく。そんな中、僅かに明かされるバルタザールの過去。獅子のごとき男へ与えられたものとは。

 


 何分経っただろう。

 殴る、避ける、当たる、蹴る。ライゼが拳でバルタザールを吹き飛ばしてからはその繰り返しだった。先ほどまでの一方的な暴力とは違う、紛れもない「戦い」。拮抗した実力を持つ者同士の激しいぶつかり合いは周囲を巻き込み、湿った埃とカビ臭さしかなかった部屋には次第に熱気が立ち込めていく。誰かが息を呑み、また別の誰かが耐えきれなかったのか雄たけびを上げた。気が滅入るようなこもった空気の中に漂う、鮮烈な鉄の臭い。薄暗がりの中、またもパッと散った赤にワントーン高い歓声が響く。


 が、その熱気に反発するようにライゼの頭は冷めていた。何分経っただろう。口に溜まった血を床へと吐き捨てながら、再び思う。


「てっ、めェ……、さっきから、汚ねェ手で、触ろうとしやがって」

「……なら、しまい込んでおけばいい話だろう」


 大男が鼻血を拭いながら吠えるのをライゼは冷たく見据えた。血と埃が舞う中であるにもかかわらずシャツには未だシミひとつなく、代わりにライゼの拳や蹴りを受けた下半身や剥き出しの腕が血と濡れた塵でどす黒く汚れている。薄汚れた空間に際立つ清潔な白は異様であり、その異様さにライゼは助けられていた。

 どうしてか、バルタザールは必ずシャツを庇う。その結果として、シャツの代わりに手足へ手痛い一撃をくらう羽目になったとしても。


「自分の身体より、布切れ一枚がそんなに大事か」

「……お前にゃ、わかんねェだろうよ」

「ああ、わからないな。わざわざ自分から枷をつけるなぞ、理解し難い」


 シャツのことがなければ状況は大きく異なっていただろう。事実、ライゼがわざと撒いた血や、べっとりと赤く汚れた拳を無理に避けようとしなければ生まれなかった隙はいくつもあった。

 シャツはとくに貴重な品とは思えない。それどころか擦り切れ伸びた生地はどう見ても粗末な物で、そんな衣類一枚のために負わなくてもいい傷を増やす好敵手にライゼは意味がわからないと言いたげな視線を送る。が、バルタザールは鼻血に濡れた顔に薄い笑みを浮かべ、再び「わかんねェだろうさ」と繰り返した。


「どうせ()()()()()()()()もねェんだろ、お前」

「……」

「苦しくて痛くて臭くてよ、早く終わっちまいたいのに頑丈なせいでクソみてェな明日ばっか延々と続いてく。ンなどう足掻いても逃げられない絶望の中、与えられる救いがどれだけでけェか、貰って初めてできた『俺の物』に心がどれだけ震えたかなんぞ──わかるわけもねェよなァ」


 血がぼたりと落ちる。比較的新しそうな靴にそれが落ちることをバルタザールは気にも留めず、赤い体液はどす黒いシミとなって吸収されていった。


「エイドリックさんは俺に言ったんだ。これを絶対ェ汚させるなって。もう二度と奴隷になんぞならないくらい、強くなれって」


 長く使うことを想定されていない、破けそうな薄い布地。合っていないサイズは大男の身体にきつく食い込み、見ているだけで苦しそうだ。


「俺ァ、あの人の信頼に応える。そう決めた。あの人がくれたこの宝を、汚させなんぞしねェ」

「……宝か」


 ライゼはバルタザールの言葉を口の中で繰り返しながら、思う。ただエイドリック(恩人)に与えられたという理由だけで、行動を阻害する不自由な布一枚に喜んで戒められている大男を見据える。

 バルタザールに与えられたのは、本当に宝なのだろうか。


「オレには、枷が布に変わっただけに思えるがな」

「────」


 バルタザールの額に青筋が盛り上がり、今までとは比べ物にならないほどの殺気が部屋へと充満する。その瞬間、周囲の大勢がヒュッと喉を鳴らし、何人かが青ざめ、数人が耐えきれなかったように膝から床へと崩れ落ちた。が、その数人に目を向けることもなく、獅子が低く吠える。


「──やれ」

「へ? え、でも、兄ぃが手こずってる相手じゃ、俺ら、は?」


 途端、戸惑った様子で発言した下っ端が床へとめり込んだ。硬い鉄板に亀裂が走り、叩きつけられた下っ端は自身に何が起きたかも理解しきれていない表情のまま、鼻血の海で白目をむいて意識を飛ばす。


「聞こえなかったか? 俺ァ、やれって言ったんだ」

「ひっ……! ぁ、ぁ……!」

「そこの女も、なよっちい男も、この獣野郎も──全員殺す。骨の一片残らず、食い荒らせ」


 耳に痛いほどの静けさが落ちる。部屋から逃げることは、バルタザールの眼光が許さない。喉を締めるような嫌な緊張は瞬く間に下っ端たちへと伝わり、膨れ、


「ぅ、あ、ぁ、ああああああああぁぁぁぁぁっ!」


 そして、爆ぜる。

 恐怖に駆られたひとりが、悲鳴を上げながら突撃する。それが合図だった。ただの野次馬たちはあっという間にバルタザールの手足となり、飛び掛かってくる。そしてその標的はもちろん、ライゼだけではない。


「くっ……おいお前、異能を使え! 突ったってられても迷惑──」


 カミラに、そして戦闘には恐らくまるで役に立たない転移者に。ライゼはすかさず転移者の青年に能力を使って身を守るように言おうとし、


「ひぇぇぇぇぇ!」

「…………チっ、カミラ、動けるか!」


 間髪置かずに聞こえてきた情けない悲鳴に、後ろを向くこともなく舌を打った。戦い慣れていないあの男は、恐らく能力を使うこと自体が頭からすっぽ抜けているのだろう。ライゼは一瞬浮かんだ転移者を頼りにするという選択肢を即座に消し、カミラへと声を飛ばす。


「その役立たずを連れてここから脱出しろ。ここはオレだけでなんとかする、お前はアオイと合流して」

「ら、ららららら、ライゼ、ライゼしゃん!」

「……うるさい黙れ。お前を頭数に入れたオレが」

「かみ、カミラ、カミラさんが!」

「──カミラ?」


 役に立たないのに会話に割り込むな、とライゼは苛立つ。が、続いた転移者の言葉に思わず振り返り、そして飛び込んできた光景に目を見開いた。


「かみっ……カミラさんがぁ! へ、へ、変になっちゃいましたぁ!」


 敵に囲まれているというのにその()()()()()()()()()()()()()()()()()、だらりと腕を下げていた。闘気に満ちた隙のない姿はそこになく、カミラは虚ろな目をしたまま構えもせず、ぼうっと佇んでいる。

 何が起きているというのか。あれは本当にカミラなのか。

 ライゼは驚きのあまり、半泣きの転移者の背に庇われているという、普段の姿から考えればあり得ない状態の女騎士を凝視する。


「カミラっ! おい、何があった!?」

「……」


 返答はない。無気力に立つ女騎士は床と宙の間を見つめるばかり。そこでようやくライゼはカミラに起きている「何かしらの異変」に気づき、どうにかしなければと口を開こうとする。


「カミ──」

「なァ、余所見すンなよ」


 間近に香る、洗剤の匂い。顔面へと感じる力強い風圧。

 目を離すべきではなかった、あの男がいる状況で一瞬でも他のことに思考を裂くべきではなかった。そんな考えが即座に浮かび、もう考える意味などないと理解した瞬間に消えていく。

 凶器と化した拳はすぐそこに。当たれば確実に無事では済まない。無理やりにでも避けられるか。いや、少しでも威力を軽減させられるか。頭はすぐにライゼの筋肉へと命令を送り、考え得るかぎりの最善を目指す。

 が、遅い。余所見をしていた分、バルタザールがほんの数秒、勝っている。拮抗した実力同士。そのために、たった数秒が勝敗をわけた。

 ゆえに、手遅れ。哀れにもライゼの頭は拳を前になすすべなく、粉みじんに吹き飛んでいく




「っ、はっっっっなれろこの筋肉ダルマ──────っ!」


 その、寸前。ライゼの目の前で、水の塊が剛速球となってバルタザールの横顔を殴りつける。大男は唐突な衝撃を殺せず、間抜けな表情をさらしたまま宙で半回転し、またも部下たちの中に突っ込んでいった。


「ライゼっ!」

「──っ」


 突然起きた出来事の渋滞に呆然とするライゼの思考を呼び戻す、聞き覚えのある声。それに導かれるまま顔を動かせば目に入る、青空のような水色。急いできたのか、色白の頬は赤く、息は切れていた。


「わっ、け、怪我っ! 怪我してんじゃん! だっ、大丈夫か!?」

「ぁ、あぁ。平気だ」

「そ、そうか? 本当に?」

「本当だ。……お前こそ、怪我はないか」

「え? あ、うん。大丈夫」

「──そうか」


 気を取り直し、目の前の女神に視線を落とす。よほど驚いたのか、見知った女神は普段は細められている目を丸く見開き、満月のような金色を珍しく露わにしていた。ライゼは頭から足先まで視線を動かして本当に怪我がないことを確認し、そこでようやく張りつめていた息を吐き出す。

 無事だったことに安堵し、思った以上に心配していた己に内心驚くライゼ。しかし吐き出した息の意図を勘違いしたのか、青空色の女神は何故かバルタザールを気にしながらおずおずと口を開く。


「……あの、余計なお世話、だったり?」

「ん?」

「ほら、一対一のタイマンで決着を、的な……」


 やけにチラチラとあれを気にしているかと思えば。紛れもなく活躍したと言えるというのに、どうやらまったく見当違いな方向に思考を飛ばしているらしい女神にライゼはやや呆れた視線を送り、しかし「いかにもこいつらしい」と、口角を緩ませた。


「──いや、助かった。感謝する」


 オレだって知っている。どうしようもない中、手を差し伸べられることがどれだけ嬉しいか、なんて。オレも救われたのだから。

 心の中でバルタザールにそう呟きながら、ライゼはどこか照れくさげな表情を見せるアオイに目を細める。それは少し前の彼を知る者が見たらひっくり返ってしまうような、驚くほど柔らかな表情だった。


それは宝か、はたまた枷か


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― 新着の感想 ―
 お邪魔しています。  あのライゼが、一瞬でも転移者を頼りにしたということは、よほど追い込まれてたんですね。それでも、自力で頑張り抜くライゼは、強いって頼りにしちゃいますよね。
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