90、ライゼの動きに一切のためらいなく
アオイたちがエイドリックの元でひと悶着を起こしていた、一方そのころ。ライゼたちはバルタザールと共にいた。どこか見透かすようなバルタザールの言葉にライゼたちはあくまでも奴隷商のフリを続け、慎重に言葉を選んでいく。しかし奴隷商らしからぬ心配するような言動に目をつけられてしまい、ライゼは必死に思考を回すことに。
「あっ……あの、俺、俺たち、その……仲間に、入れてもらいたく、て」
「楽にしろ」
想像に反し、取り残されたライゼたちは暗がりに連れ込まれることも外からしか鍵がかけられない劣悪な環境の部屋に押し込められることもなかった。場所は変わらず最初に彼らが通された大部屋で、バルタザールは立ったまま短くライゼたちに命令する。悪趣味な人間玉座には座らなかった。役目を失った椅子は、今や呻きをあげるただの不気味なオブジェと化している。
「ああ、くつろげって意味じゃねェ。必要以上に警戒すんなってことだ」
聞きようによっては獣の唸り声にも聞こえるそのひと言で、右後ろで馬鹿正直に床へ座ろうとしていたサトルの背筋がばね仕掛けの人形のように飛び上がった。異能の割にずいぶんと温和な性格をしている転移者の青年はおどおどと視線をさまよわせ、ぶしつけな周囲の視線に居心地悪そうに立ち竦んでいる。
「素直だねえ坊ちゃん、本当に奴隷商かい?」
「よく見りゃきれいな顔立ちしてやがる。ありゃあ化粧でもすりゃ化けるだろうな」
「売る側より売りもんになった方がよっぽど稼げるだろうによ」
弱々しいその態度に、悪役のテンプレのような声があがるのに時間はかからなかった。サトルは萎縮のあまりますます縮こまり、周囲はいっそう調子に乗って囃し立てる。その姿は知性、品性共に他種族に劣ると言われる獣族がコロシアムの血に興奮する様とさして変わらない。どれだけ賢くとも自身より弱いものを攻撃したくなる衝動とはなくならないもののようだ。
「お前らもそのあたりにしとけ。それとも、今度ァ頭じゃなくて俺にどやされてェのか? あァ?」
しかし品性の欠片のない馬鹿騒ぎも長くは続かなかった。鶴の一声ならぬ獅子の一吠え。けして怒鳴り声ではなかったそれにほとんどの者は口を引き結び、残った胆力があるのかそれとも単なる考えなしかの連中が「でも」だの「立場を」だの文句を垂れている。が、それもバルタザールの視線に気づくまでの間だけで、大男がぐるりと周囲を見渡し終えたころには熱に浮かされたはしゃぎ声はすっかり鎮火されていた。
「悪ィな」
「ぃ、いえ、あの……はい」
別段、悪いとも思っていなさそうな声だった。
一変して水を打ったような静まり具合に、また異なった不安感に緊張でおかしくなった青年の筋肉は自身の主の膝をがくがくと震わせている。そして彼はバルタザールからの「そんな必要以上にビビんなよ」という続きでさらに困惑した様子を見せた。これは真に受けていいものなのかそれとも違うものなのか。どうしていいかわからなくなった様子の転移者は、迷子になった子犬のような表情でライゼへと縋ってくる。
が、ライゼにとってそんなことは至極どうでもいい話であった。
「だからよ、ちったァ気を楽にしろって。な?」
本心か、からかいか、目の前の男が口にしたことの真意はどうであれ、あの女神の片棒を担いでいた男に優しく教えてやる必要もない。そもそも、この転移者が「『楽にしろ』という言葉の意味を読み違えた」と、焦っていることが間違いである。あの言葉は十中八九、ライゼに向けられた言葉なのだから。
「で、だ。仲間になりたい、だったか?」
「は、はいっ! あ、あの、国の方で事業が立ち行かなくなりまして、噂でここでならと聞きました。ちょうど、宿に来た方たちと話せたので案内をお願いしまして。あの、俺たちの伝手が役に立てば、と」
「……そうか。まァ、そういうことなら歓迎する。頭の方針は来る者拒まず、例え奴隷商だとしてもガキを傷つける真似さえしなきゃ頭は受け入れる。無論、俺らもだ。ガキを捕まえる以上、人手はどれだけあっても足りねェからな。それに──」
部屋にはいったときから肌に刺さるような視線は感じていた。アオイたちが連れいていかれた後、その強さはやや弱まったものの、バルタザールの品定めをするかのような目つきは変わらない。ライゼは気づいていた。この男の目は、ここに来てからずっと自分から外れていない。
それと同じ視線を、ライゼは知っている。水たまりに映った己の顔。父親の死に湧く観客の声と、誰にも心を許すものかと思った幼き日。
「手練れの奴も、ちょうどほしかったとこだ」
「……」
「安心しろ、大事に運んでくれた商品を簡単に傷物にゃしねェよ。少なくとも奴隷ン時よりゃいい暮らしができるだろうさ。……まァ、あの赤いガキは跳ねっかえりみてェだからな。一度は俺ンとこに連れてくることになるだろうが」
赤いガキ、とは言わずもがなガネットのことだろう。さらにどうでもいい話であった。あのライゼにとってほぼ親の仇と言って差し支えない奴が煮ようが焼かれようが痛い目に遭おうがどうでもいい。むしろ遭えと思う。
「……あの、一体何をしようと?」
が、今度は転移者の方が黙っていなかった。サトルの物言いにバルタザールは意外そうに眉を上げ「こっちはあんたの気に入りかよ」と、くつくつ笑う。一方、ライゼはなよなよした軟弱物がよく口を挟めたものだなと感心すると同時に呆れていた。奴隷を気遣う奴隷商がどこにいる、と。もちろんアオイが消えた方向へずっと視線を送っていた自身の行動を自然と棚に上げたことなど、ライゼは気が付かなかった。
「考えてるようなこたァしねェ。それにあんたらも見たろ、んなことしたら頭に俺が殺されちまう」
「じゃ、じゃあ、何を?」
「……どんな場所でも決まりがある。そりゃここも同じだ。けどな、大所帯になればなるほど、目が届かないところも増えてくる。で、だ。そうなるとバレなきゃいいって考える奴が出てくる」
周囲の反応は様々だった。目を逸らす者、頷く者、汗を流す者、青ざめる者。半分以上が後ろめたそうな反応をする集団に吐き気を覚えながらもライゼはなるほど、と思う。どうやら上の方針だからと大人しく従う奴ばかりではないらしい。トップがどれだけ理想の大義名分を掲げていようと所詮は無法者の集団、ということだ。
「だから自分から飛び込むことがないよう、教える。それだけだ。ここじゃ大人しく言うこと聞いてりゃ、傷ができる可能性はぐっと減るからな」
「方法は?」
「どうって、口で伝えるだけだ。なんだ、俺ァそんなに乱暴に見えるか?」
見える、と言いかけたのを寸前のところで呑みこむ。ライゼの視界の端に、転移者の青年がダバダバと動き、腕で必死にバツマークを作っているのが映ったからであった。その様子が愉快だったのか、はたまたライゼが言いよどんだのを面白がったのか、バルタザールはまたくつくつと笑った。この男は山のような図体に似合わず、静かに笑うのが癖らしい。
「助けてもらってんのはこっちだからな。対価に必要最低限の見返りを用意してるだけだ」
「──そうか」
「…………なァ、こっちも聞きたいことがあるんだが」
少なくともバルタザールとエイドリック、このふたりは積極的に子供たちへ悪意を振りまこうと思っているわけではないということだろうか。それなら、アオイに余計なことを働くことも考えにくい。と、そこまで考えてライゼはハッとなり、何をそこまで考える必要があると己を叱咤する。
そもそも計画の立案者はアオイなのだ。あの女とて何も起きないとのほほんと事を構えていることもあるまい。それなりの覚悟もしているはず。が、そこで別れたもうひとつの思考がライゼに囁いた。あの平和ボケを型に流して固めたような女が本当に最悪の事態まで考えていると思うか? もし、奴らの話を頭から信じ込み、こいつらの言う「目が届かないところ」で何かを頼まれたら? もしかしたらあいつは疑いもせずに頷いて
「そんな気に入りの奴隷に、黙って手を出させた理由は、何だ?」
突如、ライゼの長々とした思考に割り込んできた声は、容易く場の空気を凍らせた。周囲の全員が驚いた表情で発言者のバルタザールを見つめ、バルタザールはじっとライゼを見つめている。
「赤いのは違ェ。あいつが手を出すとしたら青い方だ。ありゃ跳ねっかえりを好まねえからな」
「……」
「うちのに後れをとって仕方なく? 違うな。お前ほどの奴に歯が立つほどあいつらに根性はない。だとしたら、そもそも『遅れた理由』ってのは嘘か」
「かっ、彼はそのっ、あっ、そうです! 宿に流された薬とかでそのぅ、」
「うちのもんと話せる程度には意識があったんだろ。それに大体、お前」
バルタザールの目が、きゅうと細められる。まるで獲物に狙いを定めるかのように。
「あれに何かしたらぶっ殺すって面、隠せてねェぞ」
ライゼはその日、二度目の冷や汗を流した。一度目は宿の襲撃で、そして二度目は今この瞬間に。
どうする、とライゼは己に話しかける。言い逃れは、できそうにない。言いくるめるのも自身に向いていないことは理解している。転移者は慌てるばかりで役に立ちそうにない。仕方がないと割り切って、仕留めにかかるのは簡単だ。だがその結果、エイドリックの元にいるアオイが危険に晒されたとしたら。
ライゼの脳は今までかつてないほどにフル回転していた。恵まれた自身の身体能力でありとあらゆることを解決してきた獣族と人間のハーフは、信じられないことに今できる精いっぱいの小賢しい時間の稼ぎ方を考えることに全力を注いでいた。そしてライゼは自身では決してやらないような手段をいくつも考え、
「ば、バルタザールの兄ぃ! 奴隷が、そいつらが連れてきた奴隷が逃げやした!」
「はァ、逃げられた、だァ?」
「そ、それが奴ら、頭を切りつけてその隙に──」
「────あ?」
目の前の男があの青空のような水色へと殺意を向けたことを感じ取った瞬間、浮かんだそれら一切を脳みそから叩き出し、ほぼ反射的な動きで全体重をのせた蹴りを放つ。もちろん狙うは喉元。人体の急所。意識よりも身体が先に動いた形ではあったが、意識が追い付いてなお、そこを攻撃することにライゼはほんの少しのためらいも抱かなかった。
殺意を向けてきたのなら、考えるまでもない。
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