89、忘れたころにやってくる
安全を確保した部屋の中、エイドリックへの対応を考えるアオイとガネット。その会話の中、ガネットはエイドリックの異能に制限がかけられているのではと語る。それが打開の手立てになるのではと頭を悩ませるアオイ。そんな時「初めから持っていた物」が新米女神の目に飛び込んでくる。
「考えてみりゃ、簡単な話さ」
馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげな仕草でガネットが建材の上で足を組んだ。頼りないランプの明かりに照らされて、その影がゆらゆらと壁の表面で揺れる。
「あいつが異能を使えば事実は隠し放題。本人は女神から子供を守る聖人君子のまま、女神に施される甘い汁だけ啜れるわけだ」
とことん下種な野郎だ、と思う。ガネットの仮説が当たっているとするならば、エイドリックはそれこそどんな映画やゲームに出てくる巨悪に勝るとも劣らない悪だ。子供たちだけでなく、自分を慕う仲間たちすら欺いて利用して、踏みにじっている。
「大方、あたしらのことも適当に騙くらかして、シャムランに突き出すつもりだったんだろうよ」
「……それなら別に、初対面で刺そうとする必要はなかったのでは? 現にこちらは騙されていたわけですし。その方が色々とスムーズに」
「『こちら』じゃなくて、『自分だけ』な。あたしとあんたを一緒にすんじゃないよ」
強調するように指摘され、思わずぐっと言葉に詰まる。俺がエイドリックの舌先に惑わされ、まんまと騙されたのは紛れもない事実だからだ。そんな俺の態度が面白かったのだろう。ガネットはここぞとばかりに嫌みを重ねてきた。
「あーあ、あんな奴にまんまと騙されるなんてね。この大間抜け」
「ぐっ……で、でもガネットだってぐだぐだ悩んでもわからないって」
「あたしは真正面から全部信じろなんて言ってない」
「ぐ、ぐぐ……」
「視線の動き、声のトーン、仕草。観察すりゃ止まって悩むより情報が得られたろうにねぇ」
「ならそのとき教えてくれてもよくないです!?」
「教えれるわけないだろ元凶の真ん前で」
それはそうかもしれないけど、それはそうかもしれないけども!
心の中で地団太を踏む。最もすぎてぐうの音もでない。ガネットのくせに。
「わかったろ、どこにでも隙につけこんでくるクソボケはいるってことさ」
「えーえー! よーっくわかりました! 骨身にしみましたとも!」
「よろしい。……ま、あんたに睨まれた程度でブルっちまうような野郎だ。手の内を明かしても異能でどうにかなるとでも思ったのかね」
「……ブルってました?」
「そりゃもう」
驚く。無我夢中で気づかなかった。というかあの時は頭に血が上り過ぎていた。確かに慣れない脅しを使ったつもりだったが、生前はともかく今はこの顔にこの身体だ。それがまさか効いているとは。底の知れない奴だと思ったが、案外肝は小さいのかもしれない。
そんな俺に「素人の無自覚ってのは怖いもんだねぇ」とガネットがやれやれと肩を竦める。ホームドラマでよく見るイラっとくるポーズだ。実際にやられるとやっぱりムカつく。
「……でも、私たちに異能、使ってきませんでしたね」
「いくら身構えてると思っても、実際には動かないもんさ。どーせこっちがビビッて動けないとでも高を括ってたんだろ」
それに、とガネットが続ける。
「異能だって万能じゃない。あんな力、どんな制限をかけられてたっておかしくないよ」
「制限、ですか?」
「当たり前だろ。あたしらだって考えなしに力を与えてるわけじゃない。飼い犬に手を噛まれないように対策くらい考える」
本日何度目かの驚き。この世界の女神というのは領地争いするわ、その影響で国の外を住めない土地にするわ、ばかすか転移者呼ぶわ、考える脳みそをどっかに落としてきたもんだとばっかり思っていた。いや、本当にびっくりだ。もちろん「対策する」という知能があると、思ってもらえるのが当たり前そうな態度も含めて。
そんな俺の考えを見透かしたかのように、赤い目がジトリとこちらを睨む。
「……あんた、なんかとんでもなく失礼なことを考えたろ」
「いーえ別に? そんなことより制限の内容とかって」
「あ? こんだけ材料が少ないのに見当がつくと思ってんのかい?」
ほんの少しの「もしや」と希望を抱いての質問だったが、返ってきたのは思っていた通りの反応で、ですよねと肩を落とす。制限の内容がわかればあの理不尽洗脳能力の対策も立てられそうと思ったのだが、物事はそう簡単に進まない。
ちなみにこの後、ガネットはがっくりしている俺に対し「そういうチマチマした小賢しいこと考えるの得意だろう、任せた」と言い放った。今後こいつのあだ名を脳筋から匙投げ女神に変えようと思う。
「そんな異能の制限内容とか、あの一瞬で、──あ」
好き勝手言いやがってのこクソ女神、と視線を落とした瞬間だった。目に入ってくる、茶色の表紙。意識して持ち歩いているわけではないのに、気づけば当たり前のように手の中にある、分厚い革製のハードカバー。自称神からの贈り物。通称、マニュアル。
もうずいぶん長い間、開いていない気がするそれに急に意識が向く。変な話だが、マニュアルから「忘れてんじゃねえ」的な圧を感じたのだ。
本来、マニュアルとは書かれた内容を覚えたら用済み。日々の仕事で内容はどんどん染みついていき、読み返すことすらなくなり、行き先は机か押し入れか、そういう物だ。が、このマニュアルは違う。どういう仕組みか、神の所有物であるならこの程度は当たり前なのか、いきなり内容が増やされる。主に、転移者関連の内容が。
もしかして、いや、恐らく。そんな直感に突き動かされるまま、手がマニュアルに伸びる。厚い表紙に手が触れる。求む答えを手に入れようと指先が動き、
「ちょっ、暗……、モモ、本当にここで合ってるの?」
「だいじょぶ、間違い、ない。ここ、ママの友達、先いる、言ってた。隠れる、最適」
急に増えた声に思考が途切れる。知らない誰かと共に聞こえた、声の正体に気づいたから。気が付かないわけがなかった。
「マシュー、マシュー、ごめん、遅くなる、した。一回、ママのとこ、帰る。ここいる、危ない、言われた」
知らない桃色の髪が、俺たちを案内してくれた子の元へと駆け寄っていく。が、どうでもいい。彼女が誰で、どうやってここに現れたのかも気にならないほど、俺の気は急いていた。
「モモ、ぼく、ぼくね、気づいちゃった」
「……マシュー?」
大丈夫なのか、怪我はないのか、危険な目に遭わなかったか。
それらすべてがいっぺんに押し寄せたせいで、口から意味のある言葉が出てこない。もれ出るのは「あ」だの「う」だの、コミュ障の鳴き声ばかり。それでも、せめて名前を呼ぼうと、震える唇を動かす。
「あ、る──」
「……え、お姉、ちゃ」
探し求めていたあの子と視線が合う。やっと会えた彼女は記憶の中よりも少し汚れていて、けれど、元気そうで。大きく見開かれた目の元へ近づこうと、足を進めた。後ろで何か言っている声なんて、何にも耳に入ってこなくて。
「シャムランねぇねも大事だけど、あの女神様の方がずっと大事ってこと!」
「──」
だからあと数歩のところで目の前に飛び込んできた、怒気をまとった桃色に心臓が止まりそうになった。
「マシューに、なに、した」
怒っていることがわかるのに、表情が抜け落ちた顔から伝わるのは殺意なんて生易しいものじゃない。剥き身の凶器のようにギラついた視線は春の柔らかさを思わせる桃色で、そのはずなのに、今は血肉を透かすぬめりを帯びた生々しさしか感じない。
心臓を冷えた手で直接握られているような、恐怖。
「──おまえ、ママを消す、しにきた、な?」
ゆらり、と。小さな獣が飛び掛かる。暗闇に浮かぶ桃色のギラつきが、流れ星のように俺の目に焼き付いた。
忘れたころに思い出した物と、忘れたころにやってきた者
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