83、ここに来てくれて、ありがとう!
エイドリックの部屋へと通されたアオイとガネット。悪のボスらしからぬエイドリックの態度を怪しむアオイだったが、そこにやってきた乱入者に毒気をぬかれてしまう。あまり難しく考える必要はないのかもしれない。新米女神はそんな考えを浮かべつつ、エイドリックと対面する。
「お待たせしまし……あれ、後ろのドア開けっ放しでしたか? すいません、気が付かなくて。寒かったでしょう?」
「い、いいえ! お構いなく! むしろこのくらいの温度の方が落ち着くので!」
「そうですか? なら、いいですけど。体調面で何かあったら無理せず言ってくださいね」
素朴な木製のトレーにカップを乗せて戻ってきたエイドリックは疑問こそもったものの、それ以上扉について追及する気はなさそうだった。それにホッと胸をなでおろしていると、ソファー裏の子供たちがグッとサムズアップを送ってくる。「よくやった」とのことらしい。
「あ、どうぞ。少しクセがあるので、お口に合うかわかりませんが」
「ほーん。口に合うかわからんもんを出すのがあんたの礼儀かい」
「ガネット! ……すいませんこいつ、口が悪くって」
「あはは、素直に言える元気があるのはいいことですよ。それに、誰の口に合うでもないものでもないのは本当のことですし」
フリであっても一応俺たちは「連れてこられた奴隷」なのだ。なのにそんな図々しい態度があるか、とソファーにふんぞり返るガネットの脇腹を肘で小突く。が、エイドリックはそれをいい方向に捉えたらしく、「元気」のひと言で済ませてしまった。
カップから漂ってくるのは確かに少々クセのある匂い。シナモンのような、俺の知らないスパイスのような。生前入ったインドかネパール系の店を思い出す。
「本当はもっと飲みやすいものを置いておければ、と思うんですけどね。如何せんここらへんじゃ手に入りやすいのは安酒ばかりでして。たまに流れてくる品質の悪い茶葉をスパイスで誤魔化してるんです」
「ふうん。確かに、こりゃ粗悪品だ。これなら安酒の方が幾分マシだと思うがね」
鼻をひくつかせ、言うに事を欠いてそう言い放ったガネットの脇腹に即座に肘鉄を追加する。面倒そうな「なにすんだい」という声が返ってきたが、そう言いたいのは俺の方だ。本当にこいつ、奴隷のフリをしているなんて自覚ないんじゃなかろうか。
少しの沈黙があり、さすがに腹を立てたのでは、と焦る。が、俺の考えとは違い、間をおいて戻ってきたのはどこまでものほほんとした返答だった。
「あいにく僕は酒が苦手で。他の連中は毎日でも浴びたいほどらしいですけど」
「偉いんだろ。なら茶のひとつくらい、良いのを優先させりゃいいだろうに」
「ふふ、娯楽が少ない中で僕の趣味につき合わせるのもなんですし、不満は組織の空気を悪くしますからね。……それに、趣味より僕はあの子たちのために金をかけたい」
そう言って似顔絵へと目を向けるエイドリック。彼は俺の視線に気づくと、照れくさそうに頬を掻いて続けた。
「もう聞いているかもしれませんが、僕たちはある理由で子供を集めているんです」
「……知っています。薬を作るために、子供の手が必要だと」
「では、女神が作る薬の原材料についても?」
こくり、と頷く。するとエイドリックは「なら話が早い」と口を開いた。
「……僕も信じたくはありませんでした。ですが我が国の女神、シャムラン様はどうやら狂ってしまわれたらしい」
そう言って深くソファーに背を預ける誘拐犯のボスの顔には悪事を働く者らしからぬ、悲痛な表情が浮かんでいる。愁いを帯びた長いため息が、古ぼけたソファーの軋みに紛れて流れていった。
「……シャムラン、さま、は何故そんなことを?」
「わかりません。わかるのは彼女が作る薬の酷い中毒性と、それを抜こうとした者の悲惨な末路だけです」
「悲惨……」
「無事に薬が抜けた奴は、僕が知る限り誰もいません。皆、薬を渇望し、汗と涙と尿を流し、羽根をむしった羽虫のように、床で悶えながら死んでいった」
想像しただけで肌が粟立つ。流せるものをすべて流しながら、人どころか生き物としての尊厳を捨てて、亡くなっていく者たち。それは、どれほどおぞましい光景だったことだろう。
「これは僕の想像ですが、シャムラン様は我々の信仰が他に行くことを恐れたのでは、と。女神様というものは、どうやら信仰の多さが重要なようですので」
「……だから、他の女神になびかないよう薬漬けに?」
「この国の者は、彼女の薬なしでは生きられませんから。他の国で生きていくことは難しいでしょう」
国民たちを縛る、がんじがらめの薬の鎖。もし、彼らを死へと導くそれが、子供の犠牲の上に作られたそれが、本当に女神自身を保つためだけにもたらされたものだったとしたら。
血液が沸き立つような感情の中、逆に身体は冷たくて。沸点を超えた怒りというものは体温を下げるということを、俺はその時初めて知った。
「僕らのやり方が褒められたものではないのは、重々承知の上です。しかしこれ以上犠牲になっていく子供たちと、薬が間に合わずに狂っていく仲間たちを見ていられませんでした」
「……シャムラン様の薬というのは、充分にないのですか?」
「薬の量は、年々減っています。恐らくは、子供が減少しているせいかと」
なら、薬が行き渡らずに中毒症状で亡くなる者も多いのではないか。そう聞けばエイドリックは頷いて、死亡者数はずっと右肩上がりだということを教えてくれた。
「シャムラン様の目には子供を献上し、薬を積極的に摂取する者だけが敬虔な信徒として映るのでしょう。献上しない者は背信者であり、死んでも仕方がないと。事実は薬がただ足りていないだけだというのに」
「……そんな」
「だからこそ薬を作り出す方法を見つけたとき、僕は歓喜しました。これなら、何もかもが救えると」
そう言うと、エイドリックは潤んだ目で俺の手をとり、そして握りしめた。俺より少しだけ大きい手は興奮しているのか酷く熱い。
「しかも、君たちのように連れてこられる奴隷までも救うことができる!」
「……あ、あの、」
言ってしまおうか、実は奴隷でもなんでもないと。探し人がいて、そのためにここまでやってきたと。
しかし俺が言い出すより早く、エイドリックが口を動かした。
「それに、君たちのような存在には本当にありがたいんです」
「……ありがたい、ですか?」
「奴隷というのは酷い扱いを受けてきた子が多い。それこそここに来ても、命を捨てる以外のことであれば何でもするという子もいます」
「……」
「命のために、それ以外をすべて犠牲にする。そんな覚悟を持った子たちを仲間のためとはいえ、利用していることに変わりはありません。やり方は違えど、僕らもシャムラン様と似たようなものだ」
「そ、そんなことは」
「だから君たちみたいに元気な子が来ると、少し、救われた気になるんです。やっていることは同じかもしれない。けど、僕らは少なくとも君たちが恐怖に壊されてしまう前に、助けることが出来たんだって。……勝手な自己満足なんですけどね」
子供を、奴隷を利用した薬づくり。仲間を救う手段がそれしかないとはいえ、後ろめたさがないわけではなかったのだろう。奴隷は逆らえば何をされるかわからない。身の安全を人質にとっているようなものなのだから。それが重荷にならないわけがない。
俺の中で、エイドリックの態度の理由がストンと腑に落ちた。どうして怒らなかったのか、なぜ、笑っていたのか。
「ありがとう。元気に生きてくれて。君たちにとっては本意じゃないかもしれないけど、でも、僕たちのもとに、来てくれて、本当にありがとう……!」
ただ、嬉しかったのだ。元気な子を救えたことが、そしてたとえ薬に縛られていたとしても、自分たちはシャムランとは違うと証明できることが。
「――あの」
言おう。そう自然に思った。エイドリックなら、いや、彼らなら、本当のことを打ち明けても、助けてくれるかもしれない。子供のために、アルルのために動いてくれるかもしれない。本当に、そう思った。震える手が、泣き出しそうな声が嘘だと思えなかった。
だから気づけなかった。
「……本当に、本当に、本当に……!」
エイドリックの片手が見えないことも、トレーの下に隙間があったことも、その下にナイフが隠してあったことも。
「――――都合よく来てくれて、ありがとう」
隠されていた手を、エイドリックが笑顔のまま俺へと振りかぶる。その手に握られた鈍色の刃が部屋の明かりに照らされて、ギラリと舌なめずりをするように輝いた。
ありがとう、にも種類がある
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