118、その男は幽霊のように、稲妻のように
カゲロウと名乗る男の乱入により、事態はよりいっそうの混沌を極めていた。ライゼの奮闘により、どうにか抑え込めたと思えたその矢先、幽霊忍者の実力があきらかに。
はいった。間違いなく決まった。
忍者男の背が仰け反り、床に散らばった仮面の破片がカランカランと転がっていく。躱したようには見えなかった。ライゼの背後からの一撃を、奴はまともに食らったはずだ。
が、歓喜する俺に対し、ライゼの表情は苦々しい。
「獣の動きは、読み難い、な」
そのまま後ろに倒れるかと思われた身体がゆらりと持ち上がり、仮面の破片がまだこびりついている顔がこちらを向く。青白い肌にこけた頬。左目を上から下に引き裂いたかのような生々しい傷跡が覆っている。
目が合った。ライゼのものとは違う、底なし沼をのぞき込んでいるかのような黒の不気味さに肌が粟立つ。
「……首を折ったつもりだったが」
「なに、浅かっただけのこと。なかなかに筋が良い」
気配が薄い。目の前に立っているのに、生きている感じがちっともしない。まるで幽霊だ。
致命傷を負わせた宣言を受けているというのに何が楽しいのか、粉雪を刷いたかのような唇に微笑を浮かべるカゲロウに対し、ライゼは俺の横で険しく目を細める。幽霊に物理攻撃は効かないのかもしれない。
が、そんな現実逃避したがっている頭のおかげで思いつく。
「っなら……これは──どうだっ!?」
物理が駄目なら、魔法だ。
水の塊。大玉のスイカと同じくらいのそれらを浮かべ、放つ。ありったけの質量を詰め込んだ特別性のそれは大砲の如き勢いで飛んでいく。
ハリウッドではどんな高さからでも水に落ちれば五体満足だ。が、現実は映画のようにはできていない。高層マンションの屋上からプールに飛び降りれば水は地面と同程度の凶器となる。
「……ふむ、安易な手だ」
が、カゲロウは残った右目で水の砲弾を一瞥すると同時に、力が抜けた腕を揺らすように右手を下から上に向かって振り抜く。瞬間、俺が放った弾はすぱりと切り裂かれた。
面白くない、そう言いたげな口調で水は細切れに刻まれ、濃霧となってカゲロウを通り抜けていく。
「名を上げる女神と聞いて、どのような猛者かと思ったが……。やはり幼子は幼子よな」
構えられたレーザーブレードの白に、目と同じ黒髪からこぼれた水滴が弾かれ、短い悲鳴を上げながら蒸発する。気に掛ける必要すらないのかカゲロウは濡れた顔を拭うこともせず、ぽたりぽたりと雫が滴り落ちた。
質量を無くしてしまえばただの水。こいつからしてみれば気にする方が時間の無駄というやつなのだろう。
それでいい。むしろ、そうしてくれて助かった。お約束とはいえ、切られない可能性もあったから。
「さて、戯れもここまで、に────っ?!」
半分瞼がかぶさっているカゲロウの目が、これまでにないほどに見開かれる。それはそうだろう。顔にまとわりついている水滴が一斉に奴の口めがけて動き始めたんだから。
何が起きているのかを察し、奴は顔を乱暴に拭い、水から逃れようとする。が、その程度は予想済み。水滴はサッとカゲロウの指の間を通り抜け、口内へとたどり着く。自分の意思でなく液体が入り込んでくるのは苦しいものだ。生前経験している俺が言うのだから間違いない。
口だけでなく鼻の穴も塞ぎ始めた水滴たちにガネットがうげぇと言いたげな視線を飛ばす。気道を支配された状態で、まともに考えることなどできないだろう。
「今のうちに撤退だ! カミラは騎士たちの先導を。ライゼは」
「バルタザールのことだろう。わかっている」
「頼んだ!」
相手の力量が未知すぎて、これだけで勝ったとはさすがに思わない。が、それでも隙は作りだせた。幸いにもフレイラは自分で何かする気がないのか突っ立っているだけだ。
カミラとライゼに指示を飛ばし、退路へと走る。あいつらの狙いはこの俺だ。獲物が残っていたらふたりの動きの邪魔になる。
大きく息を吸って、俺はできるかぎりの力を込めて床を蹴り、
「見事」
ぐるんと、視界が床を向いた。
転んだのかと踏ん張ろうとするが、糸がたるんだ操り人形のように足に力が入らない。
「……水をこうも繊細に操るとは。我が主が警戒せよと言うのも頷ける」
「……っ、……う、ぁ」
「力量を見誤ったか。拙者もまだまだ未熟よの」
ぐわんぐわんと揺れる視界を止められず、その場に膝をつく。あの男の声が、すぐ真横から聞こえてくる。いつの間に距離を詰められたのか、何をされたのかもわからない。
意地で顔を無理やり上げれば、カゲロウがすぐそこに立っているのが目に入った。こちらを見下ろす表情に、水滴はない。まるで最初から濡れてなどいなかったかのような姿。
「アオイっ!」
「貴様、アオイ様から離れろ!」
俺の異変に気が付いたライゼが真っ先に床を蹴り、カミラが剣を抜く。それに続いてシャムランが照準を構えて弓を引き、身体を引きずるようにして立ち上がったガネットが斧を振りかぶった。
「そいつに手を出されたら困るのよ!」
「あいにく、やられっぱなしってのは気に食わないんでねぇ!」
四人からの一斉攻撃。が、横に立つ男に動揺はない。底なし沼の目は波立つことなく、ただ目の前の光景を映している。
が、それも瞬きをするまでのことだった。
四度。たった四度、突然俺の目の前で稲妻が走ったかのように光が点滅する。
「み……な……」
それだけだった。それだけで、すべてが終わった。
ライゼが、カミラが、ガネットが、シャムランが。四人全員が瞬きの間に床へと崩れ落ちていた。遊び捨てたぬいぐるみのようにぐったりと身体を投げ出し、横たわっていた。
揺れる視界の中、手を伸ばす。名前を呼ぼうとする。が、それも首に加わった強い衝撃のせいで、ぐちゃりと崩れた。言葉は口の中でもつれ、目の前が暗闇に沈んでいく。
視界が完全に閉ざされる間際、最後に俺の目に映ったのは、カゲロウが恭しくフレイラに跪く姿だった。
忍者のような、幽霊のような
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