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114/114

114、黒い毛並みとダンスの最中、招いていない真っ白なお客様

始まってしまったダンスの時間、アオイを相手にと目論む視線が突き刺さる。誘いの手から逃げ出すも囲まれ追い詰められ大ピンチになるも、知った顔に助けられ、なんとか窮地を脱する。しかしダンスからは逃げられず、結局踊ることになるのだった。

「ちょ、ちょっとあっちの料理でも見に行きましょうか。ねぇ──」


 もういない。

 下手な芝居はまったくの無駄に終わり、俺はそそくさと離れていく赤い後ろ姿を恨み深く睨みつける。

 あいつ、逃げやがった。


「アオイ様、どうか私と!」

「いえ、私めにあなたと踊る栄誉をいただけないでしょうか」

「ええい邪魔だひっこめ! 踊ったこともないくせに!」

「こちとらダンスバトルの連続王者だ! 女と手をつないだこともないやつはさっさと帰ってママと握手でもしてな!」

「パーティーでダンスバトルしようとすんじゃねーよボケが!」


 途端、どっと人の波が押し寄せてくる。あの手この手で客を捕まえようとするウォーターサーバーの売り子の如く、ターゲットを定めた手が伸びてきた。それは決して乱暴をするようなものでなく、最低限の礼儀はある。が、圧がすごい。どんなことがあっても──たとえ今この場所に隕石が降って家が火事になって詐欺に引っかかった祖父母から連絡がこようとも、絶対に踊ってやるという気概を感じさせる。

 一歩下がると一歩詰められ、二歩下がると二歩半詰められた。

 俺は笑顔を取り繕いながら下がり、後ろ手にカップをとる。この状況から抜け出すための切り札だ。


「すいませんちょっと喉が渇きまして──」

「それでしたら私が!」


 が、「あちらに水を取りに」の「あ」の字も言わせてもらえなかった。俺のカップはあっという間に取り上げられ、しっちゃかめっちゃかなバケツリレー状態であちこちの手を回り、なみなみと果実水が注がれた姿で戻ってくる。

 期待に満ちた眼差しが俺を見下ろした。


「では!」


 何が「では」なのか。飲み物を持ってきたから踊れとでも言うのか。

 冗談じゃない。こちとらダンスの経験なんて皆無だ。


「ええと、あの、ダンスにはその、自信がなくて。足を踏んでしまうかもしれませんし」

「どうぞいくらでも! あなた様に踏んでいただけるのなら足も本望でしょう!」


 足だってもう少しマシな本望が良かっただろうに。

 じりじりと追い詰められてもう後がない。カップに続いての切り札を探したが、空の皿を出したところでまた料理がてんこ盛りになって帰ってくるだけのような気もする。

 こつり、と踵が壁につく。いよいよ本気で逃げ場がない。

 何か、何か諦めてもらう方法は──


「……何をしている?」


 聞きなれた怪訝な声。しかし今の俺にはそれは地獄に垂らされた蜘蛛の糸に等しい。

 包囲網を潜り抜けて、俺は珍しく剥き出しになっていない丸太のような腕に飛びつく。

 誘いが断れないのなら、もう相手がいることにすればいいのだ。


「わ、私っこの方とお約束してますので!」

「は?」

「ねっ、ライゼ? ね?」

「……」


 余計なことを言うな断るな余計なことすんな。

 俺の熱烈な視線にライゼは呆れた表情を作りこそしたが、それでも「そんな約束はしていない」なんてことは言わなかった。

 太い腕が下ろされ、自然に腕が組める体勢になる。


「そういうことだ。悪いな」

「くっ、ライゼの旦那か……」

「しょうがない、ここは引き下がるしかないか」


 相手がライゼだからか、それとも筋骨隆々の大男だからか、ダンスへの誘いの手は身を隠す亀のように引っ込み、男たちは名残惜し気に離れていく。俺が言っても聞かなかったというのに、わかりやすいものだ。


「すいません。助かりました」

「構わん。それよりいいのか、オレで」

「知らない人の足踏むよりマシです」

「……そういうことか」


 踊ることそのものが嫌なことには変わりないが、初対面相手にボロ出すよりはいい。致命傷は避けられるだろう。

 自然と人が避けてできた空間で、ライゼと向かい合う。さすがにパーティーでいつものようにラフなシャツとパンツスタイルは許されなかったのか、上下を黒で揃えた仕立てのいい服を身にまとっている。


「安心しろ。こっちは経験がある。適当にそれらしくはできるだろう」

「え、踊ったことあるんですか?」

「お前が逃げ回ってる間に稽古をみっちりつけられた。カミラはお前にも練習をと言っていたがな。逃げが多いせいで間に合わなかったんだろうよ」

「……だって嫌だったんですもん」

「わかっている。……それにしたってお前、身長差のことは考えなかったのか?」

「あ」

「……まあ、そのおかげで多少の粗は目立たないだろう」


 ライゼが屈み、俺の手をとった。ただの黒に見えた服は間近で見ると、深海の底のような重い青色をしている。

 音楽が鳴った。

 ライゼに合わせるようにして、床の上を滑らせるように足を動かす。これまでに見てきたあらゆるダンス映像を頭の中で総動員し、それっぽい動きを心掛けた。


「こ、これで、合ってる、んですか?」

「合ってなくともわからんだろう。全員、お前しか見ていないからな」


 緊張させるようなこと言わないでほしい。こっちは初めてのダンスにいっぱいいっぱいで、周りを見る余裕なんてないというのに。そんなことを言われたらどんな目で見られているか気になって仕方がない。

 大きな手に誘導されるままくるりと回り、また向かい合う。ライゼのリードは短期間で詰め込まれたとは思えないほど手慣れていて、悔しいことに踊りやすい。


「……ところで」

「な、なんですか?」

「結婚するのか。あいつと」

「え!?」


 思わず声がもれかけて、慌ててひそめる。まさかライゼの口からそんな言葉が飛び出るとは思わなかった。


「バルタザールとですか? なんです、急に」

「するなら、オレは止めん。性格に難はあるが、腹立たしいことに強さは相当なものだ。傍に置くのに不足はないだろう」

「いや、別に」

「ただ手綱は握っておけ。あれは暴走すると厄介な類だからな」


 握られた手には心なしか力がこもっている。垂れ下がった尾の先がスローテンポに合わせて揺れている。


「……まあ、オレと違って素直な奴だ。扱いは容易いだろう」


 下からこっそりと見上げたその顔はいつも通りの仏頂面だったが、どうしてかその表情を、店の席で見た覚えがあった。

 食事の時間、おもちゃ(大事なもの)を取り上げられて拗ねた子供の顔。

 噴き出す。

 ここがパーティー会場でなければ、身体をくの字に曲げて大笑いしていたかもしれない。

 瞬間、ライゼの眉間に紙をしわくちゃにしたような皺が刻まれた。


「……オレは真剣な話をしているんだが?」

「い、いえ、思い出し笑いです」

「今の話のどこに思い出して笑う要素があったというんだ」


 楽しそうな笑い声がどこかから聞こえてくる。大広間のどこかで盛り上がっているのだろう。

 窓から射しこむ、少し傾きかけた日差しの中に足を踏み入れる。目の端に映るドレスの袖が、柔らかく光を含んでチカチカと瞬いた。


「結婚する気はありませんよ。私がいつも逃げ回ってるの、見てたでしょう」

「あれには繋ぎとめるだけの価値があると思うが」

「結婚は好きな人とするものでしょう。それに──」


 すっかり慣れてしまったターンで、裾が揺れる。ライゼの服の濡れたように深い青黒さが日の光で反射して、スカート部分に影のように映りこんだ。


「守ってもらうなら頼りがいのありすぎる人がもういますから」

「……そうか」


 オオカミの大きな耳は天を指し、持ち上がった尻尾の先は背中についている。

 あからさまにホッとした顔をしていた。あのライゼが。それが何とも面白くて、またこみ上げてきた笑いをどうにかして呑みこみ我慢する。


「まあ、手綱に関しては同意見ですし、結婚騒ぎもなんとかしなきゃとは思ってるんですけどね」

「もっとはっきり言ったらどうだ」

「言ってるんですけどねぇ……」


 止めたいが如何せん話を聞かないのがいけない。あれときたら俺の顔を見ると何を言っても結婚結婚になってしまうのだ。

 今度はもっと女神らしく、威厳たっぷりに言ってやるべきか。そうすればあの暴走列車もさすがに止まるかもしれない。問題は無い威厳をどうやってひねり出すかだが。

 曲は徐々に終幕へと向かっていく。テンポは重い瞼を擦るような眠たげなものに変化し、俺は見え始めた終わりに駆け寄りたい気持ちを抑えながらライゼの腕に身体を預け、背を逸らした。すると自然と窓の外が目に入る形になり、そこにあるものに視線が吸い寄せられる。

 白い馬車だった。

 丸くカーブを描いている壁部分に、丸い窓がひとつついていて、しかしシャッターのようなものが下りていて、中を覗くことはできない。夕日を浴びて茜色に染まるそれは豪華絢爛とまではいかないが、いかにも上等な素材で大層な人が乗るように作りましたと言わんばかりの、素人目に見てもわかる質の良さだった。

 しかしもっとわからないのは、何故かその白い馬車に見覚えがあることだ。こんな目立つものを、俺は一体どこで見たのだろう。

 音楽が途切れる。


「っ、なんだ!?」


 突然、視界が黒で塞がれた。それがライゼの服だとわかったのはほんの数秒後で、それよりも先に俺の耳には腹の底から絞り出すような、本物の悲鳴が届いていた。

 入り口の方で、騒ぎが膨れ上がっている。誰かが逃げようとして、躓いている。皿がひっくり返り、けたたましい音を立てた。

 ライゼの腕の中から抜け出し、音のする方へ顔を向ける。背丈の小ささにも関わらず、視界は良好だった。皆怯えたように壁際に固まり、俺たちの場所から入り口まで、一本の太い道ができていた。


「はじめまして」


 入り口に立つ、白い女が頭を下げる。さらさらと音を立てて落ちる腰まで伸びた長い髪の一本から、つま先にいたるまですべてが真っ白だった。雪の化身と言われたら、そのまま信じてしまいそうな風貌をしていた。


「あなた、ですね。私の信仰者の幸福を、閉ざしたのは──」


 しかし女の言うことなど少しも耳に入ってこない。女の傍らのただ一点、それを見た瞬間、記憶が洪水のように頭の中を流れだす。

 バルタザールの過去。外に見えた白い馬車。


(わたくし)は、()()()()()()


 息が詰まる。耳鳴りがうるさい。そんなことがあるわけがないと思う。けれど、目の前にある、辛うじて動いているであろうそれは、いくら瞬きをしても消えてくれない。

 女が一歩踏み出す。絹のような光沢をまとったスカートの生地が揺れ、白いヒールがこつりと床を叩く。


「あの子の幸福のため、あなたを拘束します」


 ()()()()()()()()()()()()

 あの大男が何者かに傷つけられ、怪我を負い、乱暴に使われた雑巾のようにボロボロになって言葉もなく、女の傍らで、蹲っていた。


呼んでいないお客様


ここまで読んで下さりありがとうございます。もし面白いな、続きが気になるなと思っていただけましたら、ブクマ、いいね、感想、★マークからお気軽に評価やレビューをいただけますと励みになります!

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 お邪魔しています。  アオイにとってはちょっと困ったダンスの風景ですが、ライゼがとってもかっこよくて、どことなくほんのりとこの場面終わるかと思いきや! いったい何が始まるの? 一気に張り詰めた空気…
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