110、エイドリックの帰宅後は
傲慢な宮廷魔術師は、一体何をしてここに来たのか。戻りたくないといった先に、戻されたその後はどうなるか。アオイに元の世界へと戻された、エイドリックのその後とは。
エイドリックのざまあ回です。
※※※
知る者は多くいれど、知らない者は国中を探したってそう見つからない。それがエイドリックという宮廷魔術師であった。危険を予知し、病を癒す術を見つけ、必要とあらば天候をも変えてみせる凄腕魔術師。王お抱えの魔術師と名高い彼の地位はそこらの貴族よりよほど高く、近々王族入りすることが約束されていた。
しかし現実とは酷いもので、エイドリックは一夜にして立場を追われることになる。当時エイドリックの世話係であった、使えない新入り魔術師の告発で、あろうことか大衆はその新入りの「宮廷魔術師は王族入りするために王を操っている」という言葉を信じたのだ。
その時、エイドリックは気づいた。大衆は自分が思っているよりずっと愚かで、馬鹿なのだと。真実はどうあれ、誰につくのが得策かなんて少し考えればわかるだろうに、それすらできないのだと。
だからこそ別世界への転移は元の世界に呆れ、絶望していたエイドリックにとっては好都合だった。何せあの馬鹿な国民も新入りも誰もいないのだ。魔術が使えないことを知った時には気が狂いそうになったが、使い慣れている最低限の能力も得られた。
「あなたにとっての幸福を、求めなさい」
自身を呼び出したという美しい真白の女神にそう言われ、エイドリックは幸福のために、元の世界では邪魔され、成せなかったことを成そうと動き始める。
治安は悪いが支配者の弱い国に目を付けた。身を守る術は、頭を少し弄ってやれば容易に手の中に転がり込んできた。頭の悪い連中の考え方は実にシンプル極まりなく、簡単に丸め込むことができ、怖いくらい思い通りに事が運んだ。
あと少しだった。あと少しで、国の頂上に手が届いた。あと少しで、エイドリックだけを認め、褒めたたえる国ができるはずだったのに。
「……クソ、クソクソッ! あんのガキ、小綺麗な顔を剥いでやるっ!」
凍り付くような寒さの中、エイドリックは遠く離れていく青髪の少女へ憎悪のこもった眼差しを向ける。が、それはなんの効果を示すこともなく、はらわたが煮えくり返るような苛立ちが募っていくばかりだ。
「バルタザール、あの能無し馬鹿が、肝心なところで裏切りやがって! 馬鹿な用心棒人生から変わるチャンスをくれてやったってのにさぁっ! 他の馬鹿共もそうだ、どいつもこいつも役立たずばっかで」
「……ブツブツ何を言っている。口を閉じろ、罪人が」
更に悪しざまに罵ろうとした、その瞬間だった。強い衝撃を脇腹に感じ、エイドリックはその場に蹲る。驚いて顔を上げれば、そこは元の世界、彼の職場でもあった宮殿の大広間で、王族貴族の目が、衛兵に拘束されている彼へと向けられていた。
肌へと突き刺さるような、嫌悪の眼差し。腕につけられた魔術封じの刻印入りの拘束具。それは紛れもなく転移する間際に見た光景と同じもので、エイドリックは最悪な時間へと戻ってきてしまったことを悟る。
「まことか、エイドリックよ。王族となるために私を魔術で操っていたというのは」
大広間の奥、王は王族専用の席からこちらを見下ろし、まだ幼さが残る顔に悲し気な表情を浮かべて言う。
「先ほど、術を解いてもらった。目が覚めるような心地だったぞ。王族とは、血が最も重要視されるもの。いくら優秀とはいえ、お前を王族入りさせることはあり得ぬ。だというのに、私は、お前を王族入りさせるなどという世迷言を……」
「っ、お待ちを、王よ! 違うのです、私は」
涙を目にため、エイドリックは哀れっぽく王に縋る。知っていたからだ。そうすれば見た目が幼いというだけで優しく接してくるような馬鹿な王は無碍にできないと。
あなたを支える為だと、企んでいるのは自分ではなく、ここにいる自分以外があなたを陥れようとしているのだと虚言を吐くべく、エイドリックは口を開く。
「僕は、王になるために馬鹿なお前を利用しただけだってのに──」
しかし、口から出てきたのは思うだけにとどめようとしていた本心たちで。
「利用していた、だと?」
「恐ろしい……まさか、王になるなどと。宮廷魔術師殿は国を覆すおつもりか」
「違うっ! 僕は、そいつを踏み台にして、王になろうとしただけだ! この馬鹿ばっかの国を、変えてやろうと思っただけっ……!?」
なんだ、何が起きている。
慌ててエイドリックは違うことを口に出そうとする。が、自身のものだというのに言うことを聞かない。内容は訂正されるどころかより酷さを増して、考えていたことをそのまま垂れ流し続ける。
「んだよ、これっ……! なんで勝手に僕の考えが」
「どうやら、効いてきたようですね」
聞き覚えのある、腹立たしい声。それが聞こえる方を睨みつければ、思った通り、あの使えない新入り魔術師が衛兵たちに紛れるようにして立っている。
それは、清々しいほどの笑みを浮かべて、言う。
「自白魔術です。あなたはきっと、言葉巧みに丸め込んでしまうと思いましたので」
「……お、お前っ……! なんで、出来損なの、使えないお前が、こんなこと……っ」
「無駄ですよ。発声魔術と組み合わせてあるので、黙ることもできないはずです」
自白魔術。その言葉を聞いた瞬間、エイドリックは唇を噛んで発声を押さえようとした。が、新入りの言う通り口を閉ざすことができない。事実しか発することのできなくなった口はエイドリックが犯した罪を勝手に告げる。他魔術師を隠れて虐げてきたことを、国庫から金を持ってこさせたことを、王になるための非道な算段を。
普段散々操ってきた魔術に身体を好き勝手に蹂躙される感覚。それは宮廷魔術師とまで呼ばれもてはやされてきたエイドリックにとっては耐えがたい屈辱だった。
「俺がこんな高度な魔術を使えるわけがないって言いたげですね。ええ、その通り。あなたを騙していたので」
「……なんだと?」
「俺、実はあなたを訝しんだ他王族様からのスパイなんです。まあ、当然ですよね。血を何より尊ぶ王族が赤の他人を迎え入れるなんて。怪しすぎますよ」
「黙れ! っ馬鹿共が……、揃いも揃って邪魔ばっかりしやがって……!」
「わあ、怖い怖い。さて、皆様。エイドリック殿をどうしましょうか?」
皆に意見を聞くように腕を大きく天へと広げた新入りへ、王族貴族から様々な声が飛ぶ。
恐ろしい、悍ましい、許せない。
そして、その中でも最も多く聞こえてきたのは「死刑」という声。
「ああ、やっぱりそうなりますよね」
「……!」
王の洗脳、思想の誘導は、国家転覆及び反逆を企てたものとみなされる。あまりにも重い罪だ。当然、死刑を免れることはできないだろう。
しかしエイドリックは思う。それこそが現状を打破するための唯一の方法なのでは、と。
自身という宝を残すべく、エイドリックは死後、魂を転生させる魔術を己にかけている。複雑な魔術は解除に軽く十年はかかるほど難しい上、エイドリックの所業を知った王族貴族は処刑を急がせるだろう。悲しいほどに魔術というものに理解がない者たちなのだ。しかし権力には抗えない。恐らく解除を待たずしての処刑となる。
今この状況を覆す術を、悔しいがエイドリックは持ち合わせていない。だが、死後なら。文字通り生まれ変われたのなら。
「そうだ……僕は大罪人だぞ。殺せ、殺せ殺せ殺せぇぇぇぇっ!」
声を張り上げ、エイドリックは騒ぎ始める。同じ言葉を口に出し、バタバタと暴れる様に誰かが気でも触れたかと眉をひそめたが、プライドの高い彼がそれでも醜態を晒すことをやめないのには理由があった。自白魔術の弱点を見つけからだ。
自白魔術の弱点。それは出力する口がひとつしかないこと。心の奥底を自白させられるより早く、思ったことを口に出し続ければ、「嘘を言えない」という自白魔術の規制に引っかかることなく、本当に隠したい内容を言わずに済む。つまり、自らしゃべり続けることで、口という出力先を塞いでしまうというわけだ。
転生魔術は逆転の一手。絶対に知られるわけにはいかない。
「早く殺せ、今すぐ殺せ、僕はお前らを酷い目に遭わせたくてうずうずしてるんだからさぁっ、早く殺せよっ! 殺せ、殺せ──っ!」
口を動かし続けながらエイドリックはその日、初めての笑みを浮かべた。生まれ変わったらあいつらをどうしてやろうか。そんな想像が膨らみ、希望で胸が満ちていく。
「落ち着いて。お怒りも恐れもごもっとも。……しかし、我らが王は優しいお方。罪人とはいえ、一度目をかけた相手にそのような刑を執行するとなれば心の傷となってしまうかもしれません。それは皆様も望まないことでしょう」
「ならば、この大罪人をどうしろと言うのだ!」
「……どうでしょう。王のお心に免じて──、『善人刑』に処す、というのは」
が、高らかに告げられた内容に、その笑顔はすぐに消え去った。
善人刑。それは魔力源を摘出し、魔術を完全に使えなくした上、思考を徐々に鈍化させる魔術をかけ、罪人を無害な善人へと更生する刑罰。そう言えば聞こえはいいが、この刑の実態は人としての尊厳を破壊するためのものに他ならない。
簡単に言えば、この刑は罪人を「悪事すら企めぬ馬鹿」にするための刑なのだ。思考の鈍化は徐々に酷くなり、最終的には博識な学者を赤子同然にしてしまう。罪人に待っているのは大衆に道化として笑われ続ける日々。記憶は消えないため理想の己との乖離は激しくなり、やりたいことを実現できない苦しみは考えることを止めるまで罪人に苦痛を与える。逃れるには死を求めるしかないが、自死を封じる術を同時にかけられるせいで、それすら許されない。
「なるほど、善人刑。ならばひとまずは安心か……?」
「それでも問題があるようなら、また考えればいいでしょう。急いで王のお心を傷つけることもない」
「──……ぁ」
自分自身が、見下していた馬鹿そのものになる。特技を奪われ理想を否定され一番なりたくないものになり、一生笑われながら生きていく。逃れることすらできない、まるでゴミ溜めの中を這いずりまわるような人生。
「エイドリック殿もきっと素晴らしい善人になってくれることでしょう。ええ!」
「お前、気づいて……!」
「……ながぁい時間はかかるでしょうが、ね」
「──っ! いや……いや、だ……!」
間違いない。あれは魂への細工に、気づいている。
時が過ぎるうちに、あの新入りは転生の術を解除するだろう。そうすればもう勝ちの目は完全に消え失せる。残されるのは、愚か者が笑いものとして消費されたという人生だけ。
こみ上げてくる本当の恐怖が、エイドリックの身体を支配した。視界が暗くなり、歯がガチガチと震え、立っていることもままならない。
「馬鹿になるなんて嫌だ……この僕が、あいつらと同じになるなんて、嫌だ、嫌……」
「……王よ。ご決断を」
人道的に見えるその結末は、エイドリックにとってこの上なく苦痛と恥辱に満ちた──耐えがたい、地獄。
「エイドリック。お前を、『善人刑』に処する」
「────嫌、嫌だ……殺せよ、頼む、僕を、殺して、殺してくれぇぇぇぇぇっ!」
輝いていた人生は彼自身の過ちによって汚泥に塗れ、消えていく。残るのは道化としての人生のみ。
こうしてエイドリックの人生は彼が最も見下した者たちの手によって、ひっそりと幕を下ろされた。華やかな宮廷魔術師エイドリックを知る者は、もう二度と現れないことだろう。
数年後、エイドリックは安心安全な善人になりました。
ここまで読んで下さりありがとうございます。もし面白いな、続きが気になるなと思っていただけましたら、フォロー、いいね、感想、★マークからお気軽に評価やレビューをいただけますと励みになります!