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108、黄緑女神が大人を憎むのは3

屋敷の真実を知った少女は愛する姉を守るべく、ある策を実行する。それは双子だからこそなせる業、大好きな相手だからこそできること。しかしそれは同時に、深く相手を傷つけることでもあった。

どうして大人を憎むのか。その過去に何があったのか。双子の姉妹の結末が、ついに明らかとなる。

 



「やっぱり思った通りだったな。そのネックレス、良く似合っているよ」

「……毎夜、磨いているんです。旦那様からいただいた大切な贈り物ですもの」

「どうりで輝いているわけだ。それでも、君の美しさには負けるがね」

「うふふ。もう、旦那様ったら」


 よく笑い、けれど淑やかに。誰にでも優しく、そして明るく。


「それで、話というのは?」

「あの、妹のことで。少し、話し合ったんです。私は、このまま旦那様と……。けど、妹はこれからどうしようって」

「これからも何も、変わらず屋敷にいればいいだろう。周囲の目が気になるというなら、彼女にも相応の身分と部屋を用意しよう。仲の良い君たちを引き離すのは、心苦しい」

「そのお言葉は嬉しいです。けれど旦那様、あの子の心はもう決まっているみたい」

「……妹君は、なんと?」

「旅に出たいと。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないからって」


 言葉遣いは柔らかく、少女の姉らしい気遣いをにじませる。


「私、それを聞いた時、思わずよかったって思っちゃったんです」

「……それは、どうして?」

「どんな形でもあの子には自由に生きてほしいって思ってたから。私のことなんて気にせず自由になって、色んなものを見てほしいって。だってせっかくの、一度きりの人生だもの」

「……君は、それでいいんだね?」

「ええ。あの子が出ていくと言うなら、笑って送り出してあげたいの」


 ひと月も経てば、自然と笑うことができた。心から楽しくなくとも、そのフリをすることができた。


「わかった。君がそう言うなら。ただ、周囲の森は迷いやすいからね。街まで馬車を出そう。それぐらいは、お節介を焼いたって構わないだろう?」

「ふふ、ありがとうございます。旦那様」

「それで、旅立ちはいつごろに?」

「晩餐会の前に。……とても楽しい時間を過ごすと、別れが辛くなってしまいそうだから」


 主人から離れた後、姉の笑みを崩さぬまま部屋へと戻る。途中、厨房に向かう使用人仲間に声をかけられ、ふさぎ込んでいる妹への見舞いだと果物を数個受け取った。

 暗く締め切った室内へと足を踏み入れる。その瞬間、涙に濡れた目が困惑と怒りの入り混じった表情で少女を睨みつけた。


「……私、こんなに笑えるようになったのよ。やっぱり、お姉ちゃんの妹だね」

「なん、で」

「言ったでしょ。私、お姉ちゃんの幸せがほしくなったの」


 笑みを崩さないまま、少女は果物に噛り付き、姉だった人に話しかける。

 美しいネックレスは奪い取った。小鳥のさえずりのようだと言われていた声は薬で枯らした。

 目の前で床に臥す、ガラガラ声でみすぼらしい子を少女の姉と認識できる者は、この屋敷にはいないだろう。


「なんで、なんで、なんで……!」

「ずっと疎ましかったのよ。お姉ちゃんばっかりいい思いして」

「……そんな、私は、」

「あ、そうだ。お姉ちゃんが出てく日が決まったから。晩餐会の前、お姉ちゃんは私として、この屋敷から出ていくの。そして、私として生きてくの。これから一生」

「──え?」


 あの日、屋敷の真実を知った日。少女は姉になった。全てを騙し姉として生き、屋敷に残る決意をした。代わりに、自分だと思われている姉を逃がそうと。真実は伝えなかった。言えばなんと返ってくるかなんて、簡単に想像できてしまうからだ。

 崩すことのできなくなった笑みを浮かべて、少女は告げる。


「全部捨てて。ここから出てって」

「──お、まえ」

「私が幸せなら何もいらないんでしょ? 大丈夫、旦那様は私がもらってあげる」


 その時、少女は姉の目に、怒りを通り越した殺意が宿る瞬間を見た。少女に向かって飛び出しかけた腕がギリギリで止まるところを見た。

 少女は笑う。もう後戻りは許されない。


「大嫌い……お前、お前、なんか、死んでしまえばいい……!」

「……バイバイ、お姉ちゃん」


 そして晩餐会の前日、姉は出ていった。姉として見えなくなるまで見送って、気づかれないように涙を少し流して、少女は晩餐会当日を迎える。少女は使用人とは思えないほどに丁寧に世話をされ、支度をし、そして空の皿の前に座る、主人の前に立つ。

 もう覚悟はできていた。どんな目に遭わされようとこれ以上傷つかない自信があった。自分は何より大切なものを手放したのだから、と。


「旦那様、本日は」

「ああ、いいんだ。取り繕う必要はない」

「……はい?」

「もう()()()()()()()()()()。楽にしなさい」

「──は」

「いや、感心したよ。使用人だけでなく実の姉まで。よくここまで騙しおおせたものだ」


 何もかもがバレていると知った、その時までは。


「え、なんで……いつ、から」

「初めから。正確には君とお姉さんが入れ替わった時からだね」


 指先が凍えるほど冷たくなり、平衡感覚を失った身体がよろめく。咄嗟に少女が掴んだテーブルクロスに引きずられ、カトラリーがガチャンと音を立てた。

 男が立ち上がる。


「指摘しようとも思ったんだがね、つい興味が勝った」

「興味……?」

「もちろん、味だとも」


 なんてことない、好みの食材について語るかのような口調で、男はテーブルの上のナイフを手に取る。優し気な微笑みは、どことなく恍惚とした艶を帯びていた。


「悲しみ、絶望、悲壮にまみれた肉はよく食べてきたが、ここまで憎悪を向けられたのは初めてでね。いやはや、新しい味を求めてみるものだ」

「……嘘でしょ。あんたまさか」

「恋する肉の味にも、そそられるものがあったがね」


 目の前にいる男はもはや人間ではないのだと、少女は思う。同じ血が流れているかすら疑わしい。この男は愛する姉を肉と言い切り、姉が信じていた愛を肉の品質を変えるための手間としか思っていない。

 こんな男のために、姉は。

 少女は手を握りしめる。が、もう怒りすら湧いてこなかった。どれだけ怒ったところで大切なものは戻ってこず、自分を待っている運命は変えようがない。目の前にいる男に力で叶うわけもなく、肉として消費されるのだろう。まともに怒りを受け止めることもできなくなった胸に、諦めが虚しく通り過ぎていく。

 少女は凪いだ目を男に向け、腕を広げた。


「……そ。じゃあもう、好きにしたら。私が食べたいんでしょ。さっさとしてよ」

「まあ待ちたまえ。別に、諦念を持つ肉を食べたいわけじゃないんだ」

「さっさとしてって言ってるでしょ!? もううんざりなの、こんな──」

「君のお姉さんは既に()()()()()()()


 皿が割れる音がした。下を向けば、まるで叩きつけたかのように食器が散らばっていて、少女は知らぬうちに自分の手がテーブルの上の物を払い落としていたことに気づく。


「…………なんて、言ったの、いま」

「昨日、使用人が処理をしてね。どんな肉になったかこの目で見られなかったのは残念だが……まさか、本気で助けられると思っていたのかい?」


 初めから、自分たちを逃す気などなかったのだ。必死の抵抗も、足掻きも、この男を喜ばせるだけのショーでしかなかった。

 少女は割れた破片を握りしめ、駆ける。獣の如き咆哮が喉の奥から絞り出され、天井をビリビリ震わせた。


「そうだ、その憎悪だ! ああ、君は本当に──」


 男が喜びに満ち溢れた表情で、優雅にナイフを少女に向ける。腕の長さは男が上で、間合いに少しでも入れば、一撃を届かせる前に致命傷を負うだろう。それをわかっていてか、男は向かってくることはしなかった。届きそうな範囲を飛び回る蝶を楽しむように、少女を待ち構えている。

 しかし少女は床を蹴り、懐に飛び込んだ。一瞬虚を突かれたような表情をした男はそれでも即座に喉を狙ってきたが、それで構わなかった。避ける気も、助かる気もなかった。

 余裕のある強者の態度。だがそれは、命を捨てる覚悟がある者と相対したことがないという証。

 獲物を仕留めたと確信した隙を狙い、少女の放ったカウンターが男の喉を下から深々と突き上げる。ふたりの間から赤色が溢れ、男は驚愕に目を見開きながら首に手を当てた。しかしその程度で空いた穴が塞がるわけもない。

 鉄臭い海に溺れるように、男が倒れる。最期に恨み言を残す権利すら、今まで奪い続けてきた男には与えられなかった。


「……」


 少女は無言のまま、赤みが抜けていく身体を引きずり、部屋に灯っていた明かりに手を伸ばす。視界は霞み、寒くて仕方がなかったが、もうそんなことどうでもよかった。ただ、終わりにしたかった。こんな場所も、見て見ぬふりをした連中も、全て台無しにしてやりたかった。

 明かりを絨毯の上へと落とすと、それはあっという間に燃え広がり、部屋全体を包んでいく。屋敷全体を呑みこむのも時間の問題だろう。

 少女は座り込み、目を閉じた。温かな火が誰も残さず、木片の一片まで消し去ってくれることを願いながら。




「いや、すごいガッツだった。お見事!」

「……」

「こういうやる気のある魂を求めてたんだよねー。うんうん適任適任!」

「……なんなのあんた」


 何もかも終わり、と思っていたのに。気づいたら神を自称する何者かがいて、別の世界で女神になれと言われて。

 少女はうんざりした顔で自称神を見る。


「ふざけてんの?」

「いやいや、本気本気。君には女神になってお手伝いをしてほしいなって」

「馬鹿でしょ。そんなのするわけ──」

「じゃ、じゃ、やってくれたら君が知りたいことなーんでも一個答えちゃう! どう?」


 何でも願いを叶える、というわけではないのが実に馬鹿馬鹿しい。が、知りたいことがないわけではなかった。少女の頭をあの屋敷での出来事がよぎる。


「……あの屋敷と、使用人はどうなったの」

「燃えたよ。何も残らず誰も逃さず、君の願った通りに」

「……そう」


 ホッと胸を撫でおろしながら、少女は自称神に向けて肩を竦めてみせた。神から見れば自分のしていることは酷く愚かしく滑稽に違いない。そう思えたからだ。


「馬鹿だと思う? たったひとりのために、何もかもめちゃくちゃにしてさ。あなたからしてみたら愚かってやつでしょ、こんなの」

「うーん? 愚か、とかは思わないけど」


 自称神はきょとんとした顔をして、そしてなんでもないことのように言った。


「ちゃんと決めたこと成し遂げてて、ちょっと()()()()って。それだけ」

「う、羨ましい?」

「? うん。……あ、それじゃあ女神やってくれるってことだよね? ね!?」

「わっ、わかった。わかったから!」


 見下すどころか羨ましいなんて、どこまでも神らしくない。いや、一周回って神らしいと言えるのだろうか。


「名前はどうする? 前のも使えるけど」

「……じゃあ、シャムラン」

「シャムラン? 君の名前?」

「ううん。……お姉ちゃんの、名前。私はきっと、いないほうがいいから」


 少女は急き立てられるまま再び身体を得て、女神となった。女神として降り立った別世界には争いがあり、対立があり、嘆きがあり、大人同士の諍いに巻き込まれて、子供たちが泣いていた。


「う……」

「これが、転移者? まだ子供じゃない。……ちょっと、聞こえる? 私は女神シャムラ、」

「マ、マ……?」

「……」

「おこ、らないで。ごめんなさい。モモ、きえる、から。おこらないで……」


 ああ、どんな世界でも、大人なんてみんなクソったれだ。

 少女は親から捨てられたという転移者の母親代わりになりながら、思う。クソったれな大人は当たり前のように幼い命を生み出して、当然のように所有物として扱って、消費していく。自分たちの幸福のために。本当に、どうしようもない。

 だから少女は、女神シャムランは、そんなどうしようもない大人たちを集めて、まとめて、地獄に落とすことにした。少しずつ薬を与えて、溺れさせて、どうしようもない彼らが自分から身を亡ぼすように。そのためのフルール国(巨大な檻)


「……あなたたちが幸せなら、私は何もいらないから」


 連れてこられる似たような境遇の子供たちを保護しながら、国と共に徐々にボロボロになっていく女神は、思う。

 これ以上好きにさせるものか、と。




姉を失ったあの日から、これ以上好きにはさせないと決めたから。


ここまで読んで下さりありがとうございます。もし面白いな、続きが気になるなと思っていただけましたら、ブクマ、いいね、感想、★マークからお気軽に評価やレビューをいただけますと励みになります!


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 お邪魔しています。  なんて悲しいお話でしょう。虚飾にまみれた現実と必死で戦ってきたんですね。それで、女神になったんだ。彼女が抱えていた闇のようなものが見えました。
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