103、どちらもバキバキにへし折って
異能でシャムランを制御下に置き、杖を使って暴れまわるエイドリック。それに対し、アオイは何故かモモへと祝福を使う。モモの作戦とは一体何なのか。
「……あん?」
一瞬、エイドリックの表情が固まる。訝し気に眉をひそめ、呪文らしきものを唱えていた口を半開きにした状態で固定しているその様子は奴が心の底から疑問符を浮かべているのだと理解するには十分なもので、しかしエイドリックはすぐさま間抜けなそれを顔の奥に引っ込めた。
下がっていた口角がニタ、と上がる。薄く開いた隙間から見える口内は気味が悪いほどに赤く、ぬめりを帯びている。
「男どもが役に立たねぇってわかったら今度はガキかよ。とんでもねぇ女神だな」
ぐい、とエイドリックが杖を前に押し出す。先端に浮かぶエネルギー球体が迫り、暴風雨のような冷たい風が容赦なく俺の顔を殴りつけた。
「──回れ、回れ、風の刃。星より早く、雲より軽く。砂を巻き上げ牙を研ぎ、食い散らせ」
恐らく、仕上げの言葉なのだと思う。奴の声はそこで途絶えた。
空気はより冷たさと鋭さを増し、甲高い悲鳴の如き唸りを上げながら通り過ぎ、切り傷を残していく。あちこちにハサミをいれたように服の生地は隙間をつくってぶら下がり、肌には赤い筋が走った。
エイドリックの足がライゼの黒い毛並みを蹴り転がす。こちらを最大限あざけるような表情で、声を出さずに「死んじまえ」と俺に告げる。
「サンドっストーム、──」
そして、奴は魔法を放つ。必殺技を使う戦隊ヒーローの如く、声高に技名を口にしながら荒れ狂う嵐を閉じ込めた球体を俺たちにぶつけようとする。少し通り過ぎるだけで肌や服を切り刻んでいく風だ。まともにぶつかったらきっと無事じゃすまないだろう。
アルルがマシューを庇うように抱え込み、ガネットがサトルの前に立とうとし、止められた。俺とモモは立ち尽くし、シャムランはエイドリックの後ろでそんな俺たちを凪いだ湖面のような目でじっと眺めている。
焦る気持ちを押さえつけ、今すぐにだって叫んで逃げ出したくなるような恐怖の頭を掴んで地面に沈めながら、俺は待った。望んだその瞬間が来ることを、待ち続けた。
そして永遠にも感じる数秒の後、
「ぅ……? あ、ぁぁ、あ!」
凪いだ目に、揺らぎが生じる。シャムランはほんの僅かに目を見開き、うめき声をあげ、足元をふら付かせた。驚愕に染まった表情にさっきまでの無感情ぶりはなく、その手は、微かに透けているように見える。
その瞬間。
「ブレイ、ド────?」
杖が砕けた。それはもう、木っ端みじんに。
俺がこのことに気づいたのは、本当に偶然だった。もしここに来るより前にモモに会っていなかったら、シャムランに起きていることも、俺がマシューに祝福を使ったことをどうして彼女があんなに怒ったのかも、わからずじまいだっただろう。俺のやったことの重大さも。あと数分マシューが祝福から目を覚まさなければ、俺の顔は今頃ひっかき傷だらけだったかもしれない。
洗脳と祝福から覚めたマシューから事情を聞かされたモモは、俺たちに色々と話してくれた。「欲の具現化」という祝福を餌にシャムランはフルール国に連れてこられる多くの子供を保護していること。それなのに家族のように慕う者こそ数いれど、女神として敬う者はごく僅かだということ。そのため女神として存在が危ういところがあるということ。
信仰は女神のエネルギー。少なくなれば弱り、なくなれば死ぬ。
つまりどういうことかと言えば、シャムランは女神として不安定ということだった。
数少ないひとりふたりの信仰者の影響を、もろに受けてしまうくらいには。
「アオイ、さ……ま」
強い祝福の影響下に入ったモモが舌足らずに俺を呼ぶ。それを聞いてか、それとも耳に入れる余裕などないのか、祝福すら維持できなくなったシャムランが身体を捩じり、さらに高いうめき声をあげる。何かあったのは一目瞭然で、しかしエイドリックは目の前のことに夢中なあまり、背後で起きていることに気づかない。
「あ、あ? ……おい、おいおいおいおいっ! 冗談じゃねぇぞ?!」
呆然としていたエイドリックが破片へと縋るように手を伸ばす。が、伸ばされた指先から逃げるように破片はさらに細かな粒子状へと変わり、最後は空気に紛れて消えてしまった。周囲には杖だったものなのかそうじゃないのか、見分けもつかない埃がきらきらと舞うばかりだ。
「くそ、くそくそくそくそっ!」
エイドリックの顔から血の気が引いていく。さっきまで血色よく油が乗っていた顔とは思えない、書道に使う半紙の如き真っ白さだ。緑の目は逃げ惑う小魚のように目の中を泳ぎ回り、そしてそこでようやく奴はシャムランの異常に気づいたらしかった。
「……て、めぇっ! 何してくれてんだ、この──!」
物事がうまく進まない苛立ちを乗せて、エイドリックが拳を振り上げながら言葉を投げつけようとする。が、俺が手を前に出す方が早い。魔法という手がなくなったのだ。どうせまた異能に頼ることは目に見えていた。
手の中に、俺が想像した通りの水が集まっていく。ごうごうと回る野球ボールより少し大きいくらいの水の凝縮体はちょうど口を塞ぐのにぴったりな大きさをしていた。
振りかぶる。
「クズ野郎が、いい加減に、しろ────!」
俺の心からの思いと共に手から放たれた水ボールは野球選手も真っ青なスピードで飛んでいく。そして吸い込まれるように命中したそれは見事にエイドリックの口を塞ぎ、
「お────あがががががががががっ!?」
ついでとばかりに凶悪な回転で奴の歯をバキバキにへし折った。
杖に攻撃が当てられないのなら、それの元をどうにかすればいい。
ここまで読んで下さりありがとうございます。もし面白いな、続きが気になるなと思っていただけましたら、ブクマ、いいね、感想、★マークからお気軽に評価をいただけますと励みになります!