102、その応援は何よりも
シャムランの祝福により杖を手に入れたエイドリックは前の世界での魔法を使い、アオイたちを追い詰める。激しい攻撃に倒れるライゼとバルタザール。しかしそんな窮地に陥った状況をなんとかできるかもしれないとモモは言うのだった。
「いいんですね?」
モモの提示する作戦内容を聞いた後、俺は聞き返さずにはいられなかった。今からやろうとしていることを最も恐れているのは、きっとこの子に違いないから。
「ママ、あぶない、いや。でもあいつの言いなり、もっといや!」
「……わかりました」
俺の言葉にモモの目が少し不安げに揺れ、しかしすぐにこくりと頷く。こんなに小さいのに、俺なんかよりずっと覚悟がある子だ。
決意は固い。ならば、俺がすることはひとつだ。
「っ、だめ!」
だが立ち上がろうとしたその瞬間、背中に走る軽い衝撃。肩越しに振り返れば、ブラウンの髪が目に入る。小さな手は震えながら、しかし骨が透けて見えるほどに強く俺の服を掴んでいた。
「駄目、駄目だよ。お姉ちゃん、祝福つかったら、駄目」
「アルル……」
「使ったら、苦しいんでしょ。さっきだって顔真っ青だったし、また倒れたら」
「……落ち着いて、アルル。大丈夫ですから」
「嫌だ!」
驚く。アルルがこんな風に語気強く俺の言葉を遮るのなんて初めてだった。
掴まれた服の皺がより深くなり、横に振られた髪がパサパサと乾いた音を立てる。アルルの声は震えていた。
「私、怖い。おね、お姉ちゃんがまた倒れたら、こ、今度こそ、目をっ、覚まさないんじゃないかって、怖くて怖くてたまらないの……!」
「……」
「やめてよ、危ないことしないでよ……」
背中が生温く濡れていく。俯いたアルルが今どんな表情をしているかなんて、見なくてもわかる。
軽率な発言だった。許されるなら今すぐ自分のこめかみをグーでぶん殴りたい気分だった。今回の騒動の原因をちゃんと理解していたはずなのに、またこの子を傷つけた。俺のために国を飛び出すなんて無茶をした優しくて怖がりの彼女が、この状況で何も思わないわけがないとわかっていたのに。
馬鹿だ。本当の本当に大馬鹿者だ、俺は。
「……ごめんなさい、アルル。たくさん、たくさん心配させましたね」
「っひぐ、おね、お姉ちゃ……ちが、ちがうの、私が、怖いだけなの」
ざり、と埃っぽい床を靴の底で擦りながら追放者だった女の子に向き直る。モモよりも少し高い位置にある顔は思った通り涙に濡れて、俺の背中に押し付けていたせいか目元は赤く充血していた。
俺が知らないだけで、色々な別れを経験してきたのかもしれない。追放刑は実質的には死刑と同じだ。何が起きていても不思議じゃない。
「お姉ちゃんは、女神として、っふ、頑張ってる、だけなのに。私が、勝手に怖くなっ、て」
「アルルは悪くありません。私が限界を見誤ってばかりだからいけないんです」
それに、誰だって目の前で人が倒れたら怖いに決まっている。身内ならなおの事。俺だって覚えがある。親がインフルエンザで寝込んだ時、当時小二だった俺は明日にも死ぬんじゃないかと思いこんでそれはもう大号泣したものだった。アルルが悪いわけがない。悪いのは十中八九、満場一致で短期間で倒れてばかりのこの俺だ。
外野から飛んできた「いやいやまったくその通りだねぇ」なんてヤジは無視した。涙で喉がつっかえているアルルの頭を撫で、思う。
しかし、やらなければならない。
モモのために、捕まっている他の子供たちのために、この国のために。
あの男を野放しにしてはいけない。あれは放置すれば自分に都合がいいように記憶を書き換え逆恨みして平気で人の住む家に火をつけるような、そういう奴だ。きっとそう遠くない日に自分たちに牙を剥くに決まっている。
「……でも、やらなきゃいけない」
「……っ」
「あなたたちを守るためにも、私はあいつを止めないといけません」
「……うん」
「だから、だから──、力を貸してくれませんか?」
「……え?」
アルルが目を丸くする。その表情は思ってもなかったことを言われた、と言いたげだ。
今の俺にできることはそんなにない。せいぜい無理をしないと約束をする、とかそのくらいが精々だ。けど、現に俺はいま無理をする直前で、約束をしたばかりなのにいきなり目の前で破るとかちょっとどうかと思う。少なくとも俺だったら大人になっても散々引きずるだろう。
だから俺が出した結論は「助けを求める」だった。
それに、大丈夫じゃない人が言う「大丈夫」ほど、己の無力感を煽り不安になるものもないというのを思い出したから。
「私ひとりではやれることに限界がありますから、助けてほしいんです」
「私が、助ける……? 助けられる、の?」
「はい。お願いします、力を貸してください」
「──っなに、何を、すればいいっ!?」
飛びつくようにアルルが俺の肩を揺さぶる。その目はまだ涙に潤んでいたが、さっきまでの悲しいだけの表情はない。爛々と力強く輝き、俺の次の言葉をじっと待っている。
実のところ、俺のこの発言はまったくもってただの気休め、というわけではなかった。祝福を使いたくてでも力が足りない、この状況を打破するための方法。ついさっきまでは逆立ちしても出てきそうになかったその解決法の当ては、何の前触れもなく頭に浮かんできた。
「応援してください。全力で」
信仰の力。
女神をパワーアップさせる、目に見えない力。
もしそれが今ふえたのなら、あるいは。
「──する! 応援、する!」
アルルがガッツポーズをするかのように両腕を天へと突きあげ、即座に返答する。それに笑みを向け、俺は手を伸ばし、
「させる、かぁぁぁぁっ!」
ちゃんと耳をすませばぎりぎり言葉と認識できるような呪文の羅列はどうやら終わったらしく、エイドリックが吠えた。見れば振り回されないようにと両の手でしっかりと杖を握り、今にも噛みつきそうな視線でこちらを睨んでいる。
しかしそれより何より、目がいったのは杖の先だった。
周囲の空気を轟々と巻き上げ続ける、バランスボールほどの球体。小さな台風の塊のようなそれからは時折大きな砂の粒が飛び、けたたましい音と共にナイフで切りつけたかのような傷を床に残していく。
エイドリックが杖をこちらに向け、勝負あったと言いたげにニヤリと笑った。
「てめぇ、またどうせ、妙なことする気だろ。へへ、そうはさせない、手は、もう出させねぇからさぁっ!」
俺へと照準を合わせたまま杖がブンと大きく振られ、
「おお、ああああぁっ!?」
「…………さ、せるか!」
しかしその直前、何かにつんのめるようにしてエイドリックが前によろめく。よくよく見れば奴の足元には吹き飛んだはずのライゼがいて、決して軽くない火傷を負った身体を引きずるようにしながらも、エイドリックの足に全身を使ってしがみついていた。
痛みに呻く声に唇を噛む。
もう一分一秒も無駄にできない。
「アルルっ!」
「……っ、お姉ちゃん、頑張れ──────っ!」
信仰者の声。それを聞いた瞬間、確かな変化があった。まるで空っぽになった身体の中から、熱い何かが湧き上がってくるかのような。
徐々に熱を帯びていく身体。さっきまでとは真逆の感覚だった。今なら、冗談抜きになんでもできる気がする。
口を開く。
「『女神アオイの名において――汝に、祝福を与えん』」
そして俺はその手を、モモへと向けた。
それは何よりも力が湧いてくる応援
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