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1、飲食店員。女神になる

 疑わしければ捕まえてしまえ、という気持ちは分かる。俺だって客商売をやっていて、怪しい奴には何度も出くわしたし、実際そういう奴は高確率で何かしていた。トイレから出てこないと思ったら置いてあった予備のトイレットペーパーがごっそりなくなってたり、妙に入り口をうろつくと思ったら消毒用スプレーがボトルごと消えてたり。

 だから怪しい方が悪いという言い分も分かる。

 けれど、これはやりすぎじゃなかろうか。


「あの、そろそろお話だけでも聞いていただけませんかね」

「こちらの質問には答えられないというのにか」

「だからそれを説明するために話をさせてほしいってことで」


 檻の中からもう何度同じことを言っただろう。今度は聞いてくれるかもしれない、という俺の儚い希望はまたも固い声を前に砕け散った。しかしこのまま諦めていても話は進まない。

 頑張れ俺。負けるな俺。いくら相手が筋骨隆々のケモミミ男とかいうファンタジーの塊であったとしても、知的生命体ならいつか言葉は通じるはずだ。


「……素性も明かせないような女と言葉を交わすつもりはない」


 だが食い下がりも空しく、俺を檻へとぶちこんだ張本人は黒く鋭い目でこちらを一瞥すると、檻に背を向けてしまった。沈黙の中、聞こえてくるのは森のざわめきばかり。見えるのはケモミミ男のやたらでかい背中とボサボサに長く伸びた黒髪ばかり。


 今回も駄目だった。そう考えながら俺は天を仰ぐ。下を見るとどうしても自身の髪と恰好が目に入ってきてしまうからだ。


「どうしてこうなってるかなんて、こっちが聞きてぇよ」


 ぽつりと呟いた愚痴をかき消すように風が吹き抜け、俺の髪を巻き上げる。

 澄み切った夏の空のような、鮮やかな青のウェーブロング。

 生前の短髪とはかけ離れたそれを咄嗟に抑えようとして、俺は視界に入った自身の筋肉もへったくれもない細腕に泣きだしたくなった。血と汗の滲むような俺のトレーニングの日々はどうやらなかったことにされたらしい。


「……なんで俺は、『女』になってるんだって」


 女だうっひょー、とテンションが上がったのも初めのほんの数分。檻に入れられてからはそんなことを楽しむ余裕もなくなった。

 やっぱり聞くべきじゃなかったか。そう思いながら、俺はこうなる原因となった存在との出会いを思い返す。



 ※※※



「と、いうわけでさ。よろしく頼むよ」

「え、あ、何?」


 俺の言葉に人の形をした何かは「聞いてなかった?」とでも言いたげに首を傾げている。一方、俺は耳がイカれたかと指を突っ込もうとして、腕どころか肉体そのものが消えていることにようやく理解が追いついたところだった。

 そう。俺は、四葉葵は死んだのだ。川に足を取られ、それはもうあっけなく。


「俺、死んだんだけど」

「そうだね」

「え、何ここ。あの世?」

「近いけど、ちょっと違う。ここは異世界だよ」

「…………異世界?」

「そして僕はそれの神、なんだけど。……もう一度説明するね」


 最近すっかり漫画とアニメでおなじみになったワードを繰り返す俺に、神を名乗る人型はエヘンと咳払いをして、再び話し始めた。


「実はちょっとこの世界のことで困ってることがあってね。僕が作り出した三人の女神たちのことなんだけど」

「はあ、女神?」

「任せたのはいいんだけど、彼女たちが好き勝手に異世界転移者を呼び出すせいで世界がボロボロなんだ。彼女たち転移者に色々能力与えるし、しかもむやみやたらとその力を使うから地上の生態系とか魔力濃度とかもうめちゃくちゃなんだよ」


 人型は額らしき部分に指をあてながら、やれやれといった様子で続ける。神曰く、女神が呼んだ異世界転移者がやりたい放題に魔法やら技を使うせいで地上はぐちゃぐちゃらしい。


「だから、君に異世界転移してきた子たちを送り返してほしいんだ」

「何て?」

「あと、女神たちを大人しくさせてくれると助かるなあ」

「はい?」

「あ、ちゃんとやり方はマニュアルに書いておくから大丈夫だよ」


 マニュアルがあるなら安心、とは流石にならない。俺は言われたことが半分も飲み込めずに呆然と神を見た。俺が? 異世界転移者たちを送り返す? しかも女神たちを大人しく? 何言ってんだこいつ。


「ちゃんと肉体も用意しておいたから! 四人目の女神っていうのも番号的にちょっと縁起悪いかなって思ったけど」


 あまりに驚きすぎたせいでイエスともノーとも返事はできていなかったが、神はそんな俺を置いてどんどん話を進めていく。こちらが何を言おうが関係なく、神の中で俺がやることは決定しているらしい。


「いや俺は一言も――おい待て。今なんつった? 女神?」

「人間より色々便利だし、慣れればきっとうまく使えるよ」

「だから待てって! そもそも俺は男で」

「じゃ、頼んだよ! やってくれたらご褒美あげるから頑張って!」


 おい待て勝手に託すな。

 そう言おうとした俺の声は一方的に会話を打ち切った神に届くことはなく、気が付けば俺は異世界の大地に立っていた。

 紛れもない、女の姿で。



 ※※※



 そして神から渡されたマニュアル片手に右も左もわからない土地で途方に暮れていたところをこのケモミミ男に怪しまれ捕まって、現在に至る。女になったことに動揺して、名前を言い淀んでしまったこと、それに加えてどこから来たのかはっきりと言えなかったことが決定打になった。

 木でがっちりと組まれた檻の中に入れられてからもう三日はたっただろうか。何もできない間、牢屋ぐらしばかりがうまくなった。

 唯一の救いは、あの男と違って子供たちは友好的ということだろうか。


「お姉ちゃん、ご飯だよ」

「あ、ありがとう」


 檻の間から棒で押し込まれた器を受け取って軽く頭を下げれば、食事を持ってきてくれた女の子はしゃがみ込んでにこりと笑ってくれる。優しい。笑顔がささくれ立った心に染み渡る。

 俺の食事係らしい女の子は日に一度、食べ物と一緒にやってくる。そしてケモミミ男と違って動物の耳は生えていない彼女は、俺が食べている最中に世間話をしていく。何でも身近に自分と年の近い同性がいないらしく、それで俺に興味を持ったらしい。


「お姉ちゃんそんなに悪いことしたの? ずっと捕まってるじゃん」

「そうだねー……、悪いことしてるならまだよかったかなー」

「こーんな優しそうなお顔してるのにね。ライゼお兄ちゃんも疑り深いんだから」


 基本の食事は何かの粉を水でひき伸ばしたような、例えるならコーンスープの粉を十倍の水で薄めた様なもの。元が現代っ子の俺にはお世辞にも美味しいとはいえなかったが、それでも何も食べないよりずっとマシだ。

 それに正直なところ食事はおまけのようなもので、俺は女の子との会話を楽しみにしていた。何せ一日中傍にいるのは仏頂面で口を開けば刺々しい言葉ばかりのケモミミ男。純粋に会話に飢えていたのだ。


 初めこそ話す間もなく女の子を追い返していたケモミミ男だったが、どうやら子供の粘り強さに奴も根負けしたらしい。三日たった今では俺が妙なことを口走らない限り、黙って会話に聞き耳をたてるだけになった。


「それでね、ポールったら最近私に意地悪ばっかりしてくるの」

「ああ、この間言ってた?」

「そう! 私が嫌だって言ってるのに虫とか押し付けてくるし、この間もね」

「……アルル、そこまでだ。もう皆のところに戻れ」


 だが流石にずっと話をさせてもらえるわけではない。女の子、アルルと俺が話せるのは食べ終わるまでの僅か数分の間。それがケモミミ男のできる譲歩の限界なのだろう。悲しいことに、水増しコーンスープはどれだけゆっくり飲んでもすぐになくなってしまう。

 まだ話し足りないのか、アルルは頬を膨らませてケモミミ男の方を向く。


「えーっ! まだ話したいことあるのに」

「駄目だ。それに言っただろう、この女は信用できない」

「うーん、私はこのお姉ちゃんがそこまで悪いことしたようには思えないけど」

「理由は」

「勘?」

「……戻れ」

「それに、すごく優しい顔してるし」


 スープに映った時にわかったのだが、この異世界での俺は常にほほ笑んでいるような糸目の美少女フェイスだ。当然のようにまつ毛も長い。瞬きだけで音が出そう。まったく、こんな状況でなければじっくり鏡で眺めているというのに。

 それにしても、生前は目つきの悪さのせいで真顔でも睨んでいるだのガン飛ばしてるだのと言われることに慣れていた俺とはえらい違いだ。やはり笑顔でいる、というのは心象を良くしやすいのだろう。


「見かけ程度、どうとでもなる。わかったら離れろ。こいつは危険だ」


 だがそんな俺の微笑みもこの堅物野郎には一切通用しないらしい。


「でもライゼお兄ちゃん、この人は本当に」

「いいから、戻るんだ。アルル」

「……はぁい」


 低さを増した男の声にこれ以上言っても無理と判断したのか、アルルは肩を竦めるとこちらに軽く手を振って去っていってしまった。残されたのは俺とケモミミ男だけ。彼女のおかげで柔らかくなっていた空気が途端に硬さを取り戻していく。

 ケモミミ男はまたどっかりと檻に背を向けて座り込んだ。


「……あの、話を」

「黙れ」


 このムキムキコミュ障が。心の中でそう毒づきつつ、俺は二回りほど小さくなった足を抱える。終わったばかりだというのに、アルルが来る時間が待ち遠しくて仕方がなくなっていた。


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