後編
空から落ちてくる人は老若男女様々で、どこの国のどんな人なのかは分からない。
しかし、落ちてくる人は等しく全員、誰かを救っているのだ。
自分がどの国にいて、誰になっているのかもわからない。ただひたすら、空を見上げて落ちてくる人に向かって走り続けた。
諸所の理由から落下する人を受け止めることができない人々は、それでも何かをしたいと考えて独自に動き始めた。
ある人は家の前で無料の食事処を作り、ある人はひたすら水を配った。この事件を後世に残すためにカメラを回す人も、誰一人落ちませんようにと祈り続けた人もいた。
見知らぬ街で、見知らぬ人からお菓子を手渡された。次に飛んだ先は寒い場所で、震えていると温かなスープを手渡された。
食べたことのない料理を食べ、見たことのない町を走る。自分が奈央だと言うことすら忘れかけてきた頃、ドンと何かに押されるような衝撃の後で視界がグルリと一回転した。
訳も分からず尻もちをついた先は、懐かしい国の見知らぬ場所で、近くにいる人々も困惑したように周りを見渡している。
『あーあー、お待たせしました人間の皆さん』
キーンと言う甲高いハウリングの音とともに、美しい天使の声が聞こえてきた。
『先ほど無事に天使の引き上げが終わりました。大変ご迷惑をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます』
やはり天使の言い方は事務的だった。誰かが鼻で笑うが、続く言葉に緊張が走った。
『ちなみに、今回のことで残念ながら亡くなられた人は……』
焦らすように切られ、思わずゴクリと喉が鳴る。無意識に胸の前で手を合わせてしまうが、周りの人も祈るように手を重ねていた。
『いませんでした! 人間の皆さんの素晴らしさに、天使一同感動いたしました』
やはり天使の言葉は無機質で、パチパチとやる気のない拍手の音まで聞こえてきたが、わぁっと上がった歓声にかき消されてしまった。
奈央も隣にいた見知らぬ女性と手を取り合って喜び「やりましたね!」と健闘をたたえ合った。
お祭り騒ぎのように湧き上がる歓声は止む気配はなく、熱狂的な興奮に包まれていった。奈央もしばらくはその輪に加わっていたが、やがて重たい体を引きずるようにして人ごみから離れた。
ここがどこなのか知りたくてスマホを取り出そうとするが、肩にかけていたはずのバッグはどこにもない。
「落とし物は警察署で管理していますので、持ち物が無くなっている場合は自分が最初にいた場所の近くの交番まで行ってください」
制服の警官がメガホンを片手にそんなアナウンスをしている。
「コンビニやスーパーでは飲食物の無料配布をしています。ビジネスホテルも無料で部屋を貸し出していますので、帰宅が困難な方はぜひご活用ください」
奈央は近くにあったコンビニに入り、ここがどこなのかを理解すると、おにぎりとお茶を貰ってビジネスホテルに泊まることにした。
ここから自宅まではかなり遠く、今から帰ったのでは時間がかかってしまう。それに、この疲れ切った体では家まで持ちそうになかった。
クタクタに疲れた体は、誰かが誰かを助けるために奔走した証だ。人影を追いかけて、いろんな人が走り回ったのだろう。
自分が誰なのか、相手が誰なのか、分からなくても“誰か”を救うために人は走れる。
奈央は自分が助けようと手を伸ばした人たちの顔を、自分を助けようと手を広げた人たちの顔を思い出しながら、ベッドに横になった。
特別な今日が終わっても、明日は今日の続きだ。
だからきっと、今日世界に満ちた善意は明日にも続いていく。
(明日も良い日になりますように)
奈央は心の中でそっと呟くと、目を閉じた。




