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8 悪女は思索える(2)


「へへ、素敵な人だったなぁ」


 颯爽と現れた彼のことを思い出す。名前も名乗らなかった金色の天使様。

 抱きとめてくれた肩の温もりがまだ残っている。

 また会えるだろうか。


「あ、そういえば名前聞いてないやっ!」


 でも同じネクタイの色だったから同じ学年に違いない。同じ場所にいるなら、きっと会えるよね?

 なんだか追いかけっこみたいで私はくすりと笑った。


「ご機嫌よう。少しよろしいかしら」


「あっ、はい! なんでしょうか?」

 

 ふいにかけられた声に思わず立ち上がる。振り返るとそこには女神様みたいに綺麗な女の子が立っていた。

 ここは校舎から少し離れた裏庭で、普通の生徒は来ないって聞いてたんだけどな。

 現れた彼女の顔を呆然と見つめていたら、軽い咳払いの後、手のひらを差し出された。私は慌ててその手を捕まえた。

 近づくといい匂いがする。憧れのお姫様みたいな女の子が私を見ている。


「まずは淑女の挨拶をしなくては。身分が上の者にはカーテシーでお辞儀をするのですよ。転校生の貴方には馴染みがないかもしれませんが」


 立ち上がると口早にまくし立てられた。私はまだ淑女としての何もかもを知らない。言われるがままにここまで来て、どうすればいいのか分からず兎に角その真似をする。


「す、すみませんっ。えっと、カーテシーですよね……っ。ご、ご機嫌よう、あ、えと……お嬢様っ」


 拙い挨拶だなと自分でも思った。

 下げた頭の上からくすりと鈴鳴りのような笑い声がこぼされた。


「シェリル・ド・ラグランジュですわ」


 極上の微笑みが溢れて、私は思わず安堵感に肩の力を抜く。


「ふふふ、貴方は身の程をわきまえていないようね?」


 どこから出したのか黒い扇子が眼前に晒された。私の顔を扇子で指し示すように腕を伸ばす。彼女は小首を傾げながら少女のように笑った。


「……ああ、ご理解頂けなかったようね。つまり」


 次の瞬間、彼女の美しい微笑みが冷たく崩れた。冷酷な瞳は私を射抜くように睨みつけている。

 視線を向けられただけで恐ろしくて、知らぬ間に足は一歩下がった。ここには二人きりなのに、どうしようもなく怖かった。


「殿下の周りをうろつかないでいただけますか? 殿下も迷惑しておりますのよ」


 嫌でもわかる。ああ、私―――この人に嫌われているんだ。


◇◇◇


 以上が「フォーチュン・オブ・ラペンドルド」でのシェリルの初登場のシーンである。


 私が考えた淑女らしくない仕草の連発をカマす主人公に優しく「挨拶をする時はこの角度でお辞儀するのよ。相手の身分によって順序が違うんだから」とちょっと恥ずかしそうに口を出す彼女の姿はどこにもない。


 出だしから嫌な女アピールのすごいこのシナリオこそ、モルヴィアナの今までの人生での唯一の汚点だと言える。


 前世の家族ガチャにミスったことは仕方がない、そういう運命もある。

 家族どころか親戚筋にすら頼れる大人がいなかったこともしょうがない、そういう運命もある。

 就職先の社長が「我が社では新しいことに力を注ぎたい」と新たなプログラミング言語を生み出し社員に使用を強制したこともしょうがない。そういう会社もある。

 そのタイミングがモルヴィアナが制作の総監督を任されたタイミングだったこともしょうがない。無限バグに昼夜うなされる日々も仕事であればままあるとだから。

 だが「私の大好きな最強の女の子」が「主人公の邪魔しかしない悪役令嬢」に改悪されるのは到底許せることでは無いのだ。

 絶対、疑いなく、どう足掻いても、一部の隙もなく許されざる行いだ。


 ―――ダメだ。苛立ちが収まらない。腹たってきた。


 全然終わってない。前世の話だからとか聞き分けが宜しく済むわけがない。


 モルヴィアナはプレ・デビュタント達が集うホールに向かう中、深い沈黙と苛立ちに苛まれていた。

 ぎゅっと手を握りしめるレイモンドの心配そうな表情にも気が付かない。


「おい、本当に大丈夫なのか」

「はぁ、本当に大丈夫ですよ」


 先程からこの調子だ。モルヴィアナの頭の中にはラグランジュ公爵家でのシェリルの扱いが改悪されたシナリオに近いということでパンクしているのだ。

 青筋が浮かぶモルヴィアナの表情は控えめに言っても淑女と言うにはばかられる形相である。


 ―――あれはシェリルに間違いない。あの聡そうな顔立ちは夢で何度も見たシェリルそのものだ。


 ツンと前を向いた澄ました顔の隅々までがシェリルだった。

 モルヴィアナはフォイルナー男爵家の中で育った。父も兄も侍従達も、身の回りのすべての人がが幼い頃から変わらず一心に愛を注いで育てられたおかげで、外の情報はほとんど手に入れることが出来なかった。

 やっとついた家庭教師のヴァイオレットと会話を楽しむようになったのもここ最近の話だ。

 生まれつき魔力適正のある貴族の子は、平民に比べ学習能力が高く内面の成長速度が早い。特にモルヴィアナは生まれつき大人の記憶があったので余計に適正があると思われていたのだろう。

 それはそれは外に興味を持たないように丁重に育てられたのだ。

 その結果、ラグランジュ公爵家という言葉を聞いておきながら頭の中でシェリルと全く繋がらなかった。良く考えれば分かったことなのに。

 ヴァイオレットから話を聞かされた時に察しても良かった。両親から愛情を注がれなかった可哀想な子ども。

 それはモルヴィアナ自身が夢で見た彼女の本質だったのに。


 空いた左側の指先を口に食む。カリカリと表面に歯を立てながらどんな言葉で彼女に近づくべきかを考える。


「モルヴィアナ、……モルヴィアナ!」

「あ、すみません。お父様、どうかしましたか?」

「どうかしてるのはモルヴィアナの方だよ。一体どうしたんだい。やっぱり魔力適正の時に何か気分の悪いことを言われたのかい?」

「そういうわけでは、……」

「君の悪いくせが出ているよ。口から手を離そう」


 左側の手を掴まれた。優しく指先を撫でる。慈愛に満ちた視線がモルヴィアナに注がれた。


「無理すんなよ。別にこんなパーティ、魔力適正が終わったら出なくてもいいんだ」


 レイモンドが視線を逸らしながらそう言った。握りしめた手のひらはじっとりと熱を孕んでいた。

 そういえばずっと手を握っていてくれたんだな、と思い返す。

 モルヴィアナがじっと黙り込んでも隣で返事を待ってくれていた。


「……ごめんなさい。緊張しただけなの。このまま一緒に行ってくれる?」

「もちろんだ」

「しょうがないな。ほら、行くぞ」


 二人に挟まれながらモルヴィアナは大きなその手に身を委ねた。



 ◇◇◇



「奇遇ですわ。私も火の魔力だったのですよ」

「まぁ、心地良い風の魔力ですね」

「良ければご一緒しませんか。僕は地の魔力について知りたい」


 会場は大人達の真似事をした子どもの独壇場だ。見様見真似で社交挨拶を交わす子供ども達は微笑ましい。

 今夜限りは無礼講なので下級貴族も目に入った人々に語りかけていた。

 大人達は大人達で自らの権力拡大(ビジネス)について売り込みをするのに忙しそうだった。


 ぐるりと見回してみてもシェリルらしき人物は見当たらない。そもそもシェリルは別に外向的な性格でもない。自ら声をかけるのも必要があれば、程度だ。

 ヴァイオレットは既に公爵家の話に興味津々な大人達に囲まれて大変そうだった。遠回りにシェリルのプレ・デビュタントに姿を見せない公爵家夫妻の事情とやらを他人が粗探しのように聞き込む姿はおぞましささえある。

 シェリルの護衛騎士らしい人物は直ぐに特定できた。ラグランジュ公爵家は闇の魔力に適正のある人物ばかりだ。他の属性と違いすくみの関係がない闇と光の魔力の持ち主は基本的に同じ魔力適正のある人物ばかりをそばに置きたがるものらしい。


 ヴァイオレットは人付き合いが上手いのでひっきりなしに掛けられる質問にもそつなく返していた。


 問題は―――モルヴィアナ本人だった。


「このオレンジジュース美味しいね。モルヴィアナはアップルとオレンジどっちがいい?」

「グレープもあった。とりあえず全部もらってきた」

「お兄様、ドリンクは飲める量でお願いします……」


 先程から父と兄が甲斐甲斐しく世話を焼いて来て困っている。様々なフィンガーフードを皿に取っては見て見てとせがむ様子は子どもみたいだった。

 どちらが子どもなんだか。モルヴィアナは呆れながらも食べてみろと差し出されてしまえば、口を開いてしまう。

 色とりどりのジュースが目の前に晒された。ボーイからかっさらって来たらしいトレイの上には可愛らしい色のジュースがキラキラと輝いている。とりあえず父が飲んでいるオレンジを手に取った。

 どれも一杯分なのでそんなに量はないのだが、目の前に並ばれると圧巻だった。


「あの、私そろそろ……」

「甘エビ美味しいかい?」

「アボカドソースが美味しいです。……ナッツ? ちょっと甘さもありますね。じゃなくてお父様、」

「このサーモンも食え」

「ん、オニオンのシャキシャキ感がすごく合ってます。このソース何味なんだろ。サワーっぽい? お兄様もやめて」


 次々に口に含むと感想を言わない訳にも行かない。もっと取ってくる、ととびきりの笑顔を見せた兄の背中を慌てて引き止めた。


「もう! お腹が! いっぱいです!」

「早くないか?」

「朝からあまり食べてないから心配だなあ」

「お父様、私たちクッキーつまみ食いしてますよ」 


 これだから甘やかしはいけない。そうだったっけ、と惚けながらデイビッドはモルヴィアナの口に桃を突っ込んだ。


 視界のヴァイオレットはまだ優雅な会話に明け暮れているし、質問攻めも全然収まらない。付き添いであるはずのヴァイオレットのそばにシェリルはいないのに、ヴァイオレットは特に焦った様子もない。

 多分シェリルはヴァイオレットに行き先を伝えてホールの中心部から離れたところにいるのだろう。

 何となく気持ちが分かる。


 

 お父さんとお母さんに愛されて育った他の子ども達の前で、いつも仏頂面の母は教室の後ろでつまらなさそうにたっていた。授業ギリギリにちょっとモルヴィアナの姿を見て、時間が来たらすぐに帰った。

 他の子は親とたくさんの話をしたり、先生と何かを話したりするのに、モルヴィアナの親は子どもに興味がなかった。

 三者面談の紙には「子どもには自分で考えられる器量があります」と書かれていた気がする。表面を繕った興味が無いということだった。


 シェリルはこの会場の中で唯一家族の付き添いのない子どもだ。そのことを何より理解している彼女が、平気な顔をして澄ましていられる時間はどのくらいなんだろう。


 そうして思い出した。―――夢の中のシェリルがパーティの喧騒の中堪らなくなって、庭園の噴水で声を殺して泣いていたことを。


「……お父様、お兄様。私ローストビーフのトリュフ風味のアレが欲しいです。あとドリンクに書かれていたドラゴンフルーツジュースが気になります。とろとろチョコレートのかかったミニケーキってあとどのぐらいで出来上がるでしょうか」


 モルヴィアナは思い立ってから決断し、行動に移すのがとんでもなく早い女だった。そして一度決めたらてこでも曲げない筋金入りの頑固者でもあった。


「今すぐ欲しいから、持ってきてくれますか?」


 とびきりの笑顔で言う。


 ―――だから、わがまま娘になってしまうって忠告したのに。


 心中でほくそ笑みながら、モルヴィアナは目の前の家族ににっこりと笑いかけた。


 

 

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