5 悪女は迎合う(2)
王城には長い時間をかけて辿り着いた。当初の予定通り、後ろから数えた方が早いくらいだ。
先にデイビッドとレイモンドが馬車を降りると、二人が両側から手を差し出した。
「……父上、エスコートは俺の役目ですよ」
「だよなぁ……」
釘を刺すようなレイモンドの一言にデイビッドはしょぼくれたように手を引っ込めた。
「別にいいですよ。今日だけ特別ですからね」
「モルヴィアナ……!」
周囲にはすでに人が集まってきている。ここからはいつもとは違う、貴族令嬢の仮面が必要になってくる。モルヴィアナは今までのお勉強を復習するつもりでにっこりと微笑んだ。
デイビッドは満足したらしい。右手を掴むレイモンドは「父上を甘やかしすぎだ」と小言を漏らした。
――あんた達の方がよほど私を甘やかしてるっての。
ため息は人知れず飲み込んだ。
「旦那様、我々はここで待機致します」
「万が一のこともある。警戒は怠らないでくれ」
はっ、と勇ましく答えたアランはデイビッドに深く頭を下げるとルドを連れて護衛騎士が並ぶ壁際にそそくさと下がっていく。
念の為に会話をして置かなくては。モルヴィアナは好機を絶対に逃さない女だった。
「ルド!」
「お、嬢様……僕の名前を知っていたのですか」
「はい。今日はありがとう。初めてなのに私のために来てくれて」
「とんでもないです……」
【情報が解放されました】の文字がピックアップされる。適正魔法は水と表示されている。貴族では無い人間が魔力適正を測るには仕えているお家の許しがいる。いつの間に測ったのか知らないが、ルドはモルヴィアナよりも早く魔力適正を受けていた。
それ以外にも情報がどんどん開示されている。予想は当たった。お互いが面識を持った状態で会話をする必要があったわけだ。
モルヴィアナとルドはお互いに存在を知っていたのに会話をしていなかったため情報が一部しか入手出来なかった。
―――よし、サイズが分か……そっちは要らない!
【状態:歓喜・興奮・信頼】とステータスが増えていく。会話しただけで好感度が上がるなんてちょろい世の中である。
ついでというわけでアランにも声を掛ける。モルヴィアナは合理的な女だった。
「アランも、変わらず乗り心地の良い馬車だったわ。帰りもお願いね」
「お嬢様にそう言っていただけたなら十年御者を引き受けた甲斐が有るってもんです。諸々の不安は我々に任せて、楽しんでください」
護衛騎士達は揃って壁際に歩いていった。折角の護衛騎士であるのに壁際に立たせるなんてこの世界は矛盾している。普通真横で護衛してもらいたいものだ。
ぎゅ、と手のひらを握り込まれた。振り向くと兄が頬を膨らませている。十歳の子どもらしい表情だ。
「お前、ルドがタイプなのか?」
「タイプってなんですか。これは一般的な……」
斜め上の心配をされた。落ち着いて欲しい。ルドとは五つ以上も離れている。――いや問題は無いな。
顔はいいので許容範囲である。尻にしくなら護衛騎士でもいいのでは、とちょっと思った。
「なんで考え込んだ? やっぱタイプなのかっ?!」
「私にはまだ早いんじゃなかったの」
ちょっと考え事をするだけでこうだ。
隣で詰めよる兄をほっぽいて、モルヴィアナは人生で初めて来る王城の空気に意識を集中させた。
王城は常に開かれているわけではない。一般貴族が王と面会するのは何か成し遂げた時か、何かしでかした時だ。大体報奨授与か権限剥奪かの二通りである。お呼びがかかった者だけが入城を許可されるのだ。
そう考えると父は頻繁に王城に呼ばれる割には報奨も剥奪もされていないなと気づく。モルヴィアナが知る貴族男性は父親しかいないので、父が何のために王城に参上しているのかをいまいち知らないことに気がついた。
今気づいても聞くことは出来ない。後日ほかの会話に交えて探ってみよう。
どうやら父はモルヴィアナが外に興味津々であることがあまり嬉しくないようなので。
「レディ、気分は如何ですか?」
「この上なく」
同じく錆びた銀色を持った兄が愛しげにモルヴィアナを見下ろした。手のひらは優し過ぎるほどに暖かい。数瞬前までタイプだなんだのと騒いでいた人間と同一人物とは思えない程に。
かしこまった態度で手を差し出すレイモンドは御伽噺に出てくる王子様みたいだった。
いつも宝物だと耳がたこになるほど言われた。母親の命を奪って生まれたはずの赤子に、二人は溢れるほどの愛を注ぐのだ。全然信じられなかったその思いが、【ナビゲート】越しに紛れもない本心だと知る。
二人がモルヴィアナを見つめる目はいつだって柔らかかったから、モルヴィアナは何も怖くなかった。
「これはお守りだよ」
「ブレスレット? ……綺麗、氷の結晶みたい」
「如何なるものがお前を襲っても、必ずこれが護ってくれる」
小粒ほどのダイヤモンドが氷晶のようにちりばめられたブレスレットはモルヴィアナの腕にピッタリの形だった。光を反射するようにキラキラ輝いている。
どこから見ても美しい。
「俺も付けてる。父上も。お揃いだから、いつでも付けておくんだぞ。――お花つむ時もな」
「お兄様じゃなかったら今すぐぶん殴ってます」
レディに対して言う言葉ではない。
でも、お揃いの物が嬉しくてどうでも良くなった。
「行ってらっしゃい、ここで見守っているよ」
レイモンドにエスコートされるモルヴィアナを名残惜しそうに見つめながらデイビッドは会場入口の端でそっと立ち止まった。父が心配しないように胸を張って歩く。
「――行ってまいります。お父様」
とびきりの笑顔を見せれば父は満足気に背を壁に預けた。
「魔力の仕組みは知っているか?」
魔力適正検査は辿り着いた順番に受けられる。プレ・デビュタント達がいるこの瞬間だけは貴族間の身分差が存在しない。
五つまでは神の子だから人に順番をつけてはいけないのだと神が言ったらしい。モルヴィアナは神を信用していないので貴族が治める社会にしては珍しい考えだと思った。
どの世界も宗教なんてものは、その時に権力を持った人間の都合のいいように出来ている。創世記も神話も、後の世の人間が有利に動くための御伽噺だ。
だがフォイルナー男爵家の長女であるモルヴィアナは模範解答を知っている。
「はい。聖なる神、エル様が分け与えた力の一部と」
「厳密にはその神が作った世界樹から漏れ出た力のことを言うらしい」
「世界樹?」
「ラペンドルドでは神の御姿は世界を支えるほどの大樹だとされている」
授業でどこまで習ったのか、という問に素直に何もと答えた。実際、授業では何も習っていない。
モルヴィアナの知識は基本的に【ナビゲート】で勝手に視た情報だ。あまり知りすぎていると、その出処が危ぶまれてしまう。
今世は楽に自由に愛し愛され幸せな生活を送りたいのだ。変な疑心を抱かせたくはない。
「その世界樹が持つ魔力はこの世界全ての魔力で――つまり、俺たちは世界樹から魔力を分けていただいているという考えだな」
「だから人は亡くなったら魔力をお返しすると言うのですね」
「そういうことだ」
モルヴィアナの母はモルヴィアナが目を覚ました頃には死んでいた。出産と同時に亡くなったらしい。だがその魔力が世界樹に返されたわけではないことをモルヴィアナは知っている。
母が死んだ瞬間、モルヴィアナは母の魔力を受け取った。世界樹に返すことなく魔力は子に受け継がれていくのだと知った。
親を犠牲に生まれた子は強くなるのだろう。それを知っているのは自分だけでいい。
では、生まれてすぐに魔法を使えないのは何故なのだろうか。モルヴィアナは何度も隠れて魔法を行使しようとした。必要な知識は【ナビゲート】で手に入れることができたので困らなかったが、どう頑張っても一人で魔法を使うことは出来なかった。魔力を巡らせることは出来るのに、それを使って魔法を行使することが出来ない。
何とも不思議な話だった。
結局、魔力適正が何なのかは分からない。ただこの世界に「魔力適正を受けなければ魔力を使えない」という決まり事があるということだけは理解出来た。
「魔力適正を知ることにより俺たちは自分の魔力を知ることが出来、その瞬間に世界樹の祝福を受けるというわけだ」
「つまり魔力を下さってありがとうございますと伝えられる機会と言うことね」
「そうだ。そして、世界樹が与える魔力は五つある。――火、風、雷、地、水。誰でも聞いたことのあるこの世の五大元素だな」
「あ、それは知ってます。火は風を煽り、風は雷を呼び、雷は地を砕き、地は水を求め、水は火に打ち克つ。すくみの関係にある」
――でも可笑しいな。私の属性は氷だった。世界樹の渡す魔力が五つなら私の属性は一体なんの魔力なのか。
【ナビゲート】を呼び出そうとする前にレイモンドが頭を撫でた。
「お前は勉強が好きだなあ」
「だって早くお父様とお兄様のお役に立ちたいもの」
そういえば父も兄もモルヴィアナが外に興味を向けることを良しとしないのだなと急に思い至った。まるで知って欲しくないみたいにいつも苦い顔をする。
貴族令嬢として勉強をして欲しくないのかと思ったが、そういうわけでもない。むしろ知識を増やすことはいいことだと喜んでくれている。
じゃあ何が気に入らないんだろう。
「ゆっくり大きくなればいいんだ。お前は、いつまでも小さいお姫様のままでいい」
「ええ……いつまでも小さいのは嫌よ」
父と同じ顔で微笑む兄を見ながら、モルヴィアナは少しだけ薄ら寒くなったのだ。
画面の橋には【クエスト】か明滅している。【魔力適正を受けて自分の魔力を確認しよう!】の文字が喧しいくらいに主張している。
焦らなくてもこれからわかると言うのに。
「どうした、モルヴィアナ。眩しいか?」
「いいえ、大丈夫ですよ。ちょっと慣れない景色にびっくりしただけ」
【ナビゲート】を閉じる。視界の先で私を呼んだ。
閲覧ありがとうございます。